ひょんひょろ侍〖戦国編〗夢を紡いだ家の行く先(2)
めっちゃ遅くなりました。
ゴメンナサイm(__)m
さて、飯井槻の呼びかけに応じて季の松原城は三ノ郭の御殿に馳せ参じた人物は、以下の面々であったと云われている。
此の国の東の国境の防備を担当し、此度の添谷家の騒動では全面的に茅野家・飯井槻の味方に付いた【東の三家】。
即ち。
【印南家】当主【印南但馬守家廉】
【河埜家】当主【河埜播磨守盛廉】
【神嶌家】当主【神嶌安芸守政廉】
以上、三名。
これに事実上は此の国の守護職である【国主家】が依然として此の国の代表者ではあるものの、すっかり権力権威の座から転げ落ち、抱える重臣と家臣の多くは深志家に加担したため、深志家消滅と時を同じくして成敗されるか、またはどこぞなりと逐電するか逃散しており、今や国主家を支える家臣団はほぼ無きも同然となっている。
ために、この場に来ているのは、たまたま季の松原城内でそれぞれの役目に励んでいたところを呼び出され、会議に参集を求められた薄給の下層家臣の面々にしか過ぎない。
それらが三ノ郭の上席である大広間の上座に近い位置に招じ入れられ、左右に分かれ座している。
そしてもう一人。
深志壱岐守旗下の主力軍と無謀な決戦を行いそれと知らずに誘われ包囲されて、まるで濁流にのみ込まれた泥団子のように敵の激烈な攻勢に転がりながら抗いつつ、損耗率九割以上という玉砕に等しい奮闘を後世の語り草に残しつつも、肝心の敵である深志勢には軽微な損害しか与ええずして地上から穂井田家の軍勢は消え失せた。
その穂井田家の数少ない生き残りのひとり。
【倉橋左馬之助信政】
この人物は、かつての穂井田氏に仕えて密命を帯びて季の松原城下の農家の一室を借り、密かに国主家や深志家の動向を探っていた穂井田家のほぼ消滅した親族の生き残りにあたる人物である。
領地の大半を深志弾正・壱岐守親子に謀られ奪われた主からの密命を帯び、季の松原城下にある穂井田家と懇意のあった寺に潜み、主家滅亡まで深志家や国主家の動向を探ってはせっせと期の松原の動静を送っていたが、彼は穂井田家にとっては親族ではあるものの所謂遠縁にあたる人間で、そのうえ領地はと云えば、貧乏で此の国で有名な穂井田家の年貢の上りより少ない上りしか産まない山間の谷間にこじんまりとした城塞を幾つか抱え、穂井田家の為に薄給ながらなにくれとなく尽くしてきた男である。
ただし、彼を見出しこの場に連れ出したひょんひょろによると、此の者、なにかと主家である穂井田家に尽くすようなフリをしつつも、その実、肝心な情報は意図して流さず、結果的に穂井田家を滅亡に追い詰める働きをしてしまったらしい。
どうやらこの男、いつもいつも下働きじみた働きばかりを求めながらも大した報酬を寄越さず、昇進もさせない穂井田本家に嫌気がさしていたようで、そのことが彼をして上記の行動を起こさせる切っ掛けとなったらしい。
無論、何故にその事実をひょんひょろが見知ったのかは、いまは〝謎〟ということにしておこう。
そして茅野家からは以下の四名。
茅野家参爺の一人で、今回の会議に都合上参加できない壱ノ家老と弐ノ家老からの信任を得ている【戍亥太郎左衛門《これひさ》】。
茅野家が抱える実戦部隊の直接指揮権を委ねられている軍奉行の【神鹿兵庫介親利】。
正式に茅野家配下の家となったのは深志家崩壊後のことながら、この崩壊案件に前半はおっかなびっくりながらそれと無く深志家を潰す策謀を巡らせ、後半に於いては茅野家が参ノ家老【戍亥】を自身の策謀に取り込もうとしたところ逆に利用され、図らずも茅野家・飯井槻が企んだ最後の仕上げに加担せざるを得ない状態に追い込まれていた、元・深志弾正の懐刀【垂水源次郎正辰】。
現在の茅野家当主であられる飯井槻と、彼女の亡くなった先代当主であった旦那に見出された武人で、もともとはその旦那が住持をしていた田舎寺に勤める〝青侍〟であった【鎗田伊蔵惟頼(命名・飯井槻)】。
以上の茅野家の【武の方面で】重責を担う面々が、なぜだか〝返り血を衣服にしみ込ませ〟て、これより上座に現れる飯井槻を守護するかのように参集した各家の者たちと正対する様に上座を背にした横一列に並んで座っていた。




