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ひょんひょろ侍〖戦国偏〗夢破れた家の顛末(5)

そう、実は紀四郎次郎が仮の総大将となって率いる茅野軍勢は、添谷領内に進軍し行く手をおっとり刀で阻む諸軍を幾つか、それもほぼ無傷で蹴散らしながら添谷家が本城を攻めるとして、途中から四周に逃げ散る敵勢に大いに喧伝けんでんした。


 結果。


 この噂を聞き付けた領内の留守軍首脳部は、戦力の大半が季の松原に引き抜かれている主城を取られてはならじと、領内各地に居を構えている親族衆や家来衆に呼びかけ早急に城に集まる手立てを講じて一目散、添谷領全域から一斉に集結をはじめたのである。


 さてさて、攻めるぞ詐欺を働いた茅野勢はと云えば、この添谷家の混乱に生じた間隙を利用してクルリと反転。元来た道を大急ぎでとって返し、とっとと旧穂井田領内に舞い戻ると、今度は次期当主が決められぬ無主むぬし状態の穂井田家の領内の土地の大半巡り、鎮撫ちんぶ鎮定ちんていしてまわりだしたのである。


「大丈夫なのか、左様に乱暴な事を押し通して?先の深志家との戦で穂井田様やその嫡子ちゃくし、主従の主だった者や一族の多く失われて居るとはいえの、いまだあの土地は帳簿上でも同義的にも穂井田家の領地ではあるのじゃ。そこのところはどうなのじゃ?」

《御心配には及びません。むしろあの地をあのまま放置しておかれる方が危のうございまする。もしも他国から手出しをされることとなれば、これほど格好の餌はありませぬ》

「そうさのう」

《御社さまに於かれましては、ご承知のことでありますれば》

「わらわがのう♪」


 そのココロは、此の国を曲がりなりにも一個にまとめるには、もってこいの案件であるという事である。


 発案者は、誰あろう【紀四郎次郎きのしろうじろう】であったと伝わっている。


 この意味するところは、既に此の国の守護職しゅごしきである国主家の〝中央の承認〟を得た公的な【後見人】である飯井槻は、此の国の平安と安泰を願う全責任者であるという点が重要であった。すなわち、曲がりなりにも【国主家三家老】のうちで健在な家である【茅野家】は、実質【此の国の守護職代理】の立場にあたる。


 という事は、此の国の防備に不備が見つかれば当然、この是正ぜせいに乗り出さなければならず、また国内に不穏な行為に及んだり企んだ者は、これを成敗する権限も有している。という厳然げんぜんたる事実であった。


 つまり、紀四郎次郎の考え付いた思惑おもわくとは、飯井槻の権能は此の国随一であり、他に表だって逆らえる者も添谷家が瓦解中である現在ただいまの状況では此の国にはおらず、のちにそのような者が大手を振って跋扈ばっこするの者が新たに出現するのを防ぐためにも、国の地ならしを行う手立てとして旧穂井田領を確保し、すでに手中に収めている旧深志領と茅野領ともども此の国を北と西、そして南から添谷領を圧するよう目論んだのだ。


《四郎次郎殿の企み、如何でございましょう》

「面白いことを考えるのう♪」

《惣ては、御社さまの御為でございますれば》


 そう云ってひょんひょろは、少し照れたような表情を飯井槻にだけ見せた。


「ぬしの今の顔、兵庫介にもみせてやったらどうじゃ?さぞ喜ぶであろうに♪」

御戯おたわむれを》


 いつもの無表情さに戻ったひょんひょろは、残った照れを隠すためだろうか、敷かれた茣蓙の脇に生えていたよもぎの葉を一つもぎり、しばらく揉んでから匂いを嗅ぐ仕草をした。


 さぞ薬くさかったであろうと、飯井槻は思った。


 もちろんこの蓬も、薬草園で栽培されている薬草の一種である。


《御答えは?》


 ふしし♪と笑っている飯井槻に、ひょんひょろは問いかける。


「わらわは寛大な人間にならねばならぬのであろう?」


 わらわが滅ぼした深志家の一族のようにの…。


《願いますれば》

「なれば話は簡単じゃ♪よくやった!先ずは左様皆に伝え感状を届け、しかるのち東の三家を含めた皆を参集し礼を述べ、わらわの懐具合が危うくなりそうなくらいの論功行賞をするといたそうぞ♪さらには、これより当家が採るべき方針を皆にしかと聞かせてくれようぞ♪」


 普段着の、遠目には綺麗に見える着物ながら、その実、継ぎはぎだらけの粗末な衣装を翻して立ち上がり、飯井槻さまは座していても背の高さが変わらぬ股肱之臣に言い放った。


 そして、


「見よ!これはあの弾正が、気触れされた先代の国主さまを気遣って作った薬草園じゃ!それに彼の新御殿もじゃ!あれは御殿と申すより施薬院と呼んでも差し支えのない良い代物ぞ!」


 既に、医者の類は深志家崩壊後の後難を恐れて逃亡していたが、季の松原城の築かれている小山の北側斜面を掘削して建造された【新御殿】は、心を病んでしまった先代国主さまの療養りょうよう快癒かいゆのために営まれた施設であった。


 この事実を、飯井槻が新御殿に入られてから気付かされた。


御殿の手付かずの部屋には深志家の崩壊を知り慌てて薬師や医者が国外へ出立したせいであろう、薬研やげん乳鉢にゅうばち、それに薬箱の箪笥たんすが転がっていたのをつぶさに見、ときに手に取り観察したからだ。


「医学に関する書物や診療録も残されておったからの。それも二人分のう」

《先代の国主家と当代の国主家の診療録にござりますな》

「左様じゃ。先代は兎も角あれじゃったが、当代も…のう…」

《深志家は気付いておられたのでしょう》

「左衛門尉も微かながら気付いておった節がある。寿柱尼殿は、ああいう子に甘い性格ゆえ、歳の頃合いにしては余りに幼い言動と態度に、いぶかしるどころか『い子じゃ♪』とばかりに、猫かわいがり可愛がっておったのじゃからの。アレでは鱶池金三郎なる愚か者がこの世を大手を奮って跋扈ばっこして負ったのも、致し方ないところじゃろうの…」


 そう、飯井槻が深志の件がひと段落したあと、事後承諾を戴く為に面会して即座に松五郎君の奇妙さ看破したように、当代の国主様(松五郎君)は同い年頃の男子おのこのこと比べても、明らかに幼く、また難しいことを考えるのを嫌う傾向があり、あきらかに此の国の守護職の仕事を執り行うには役不足であろうことを察したのだ。


 こうした事例は戦国期に限らずいつの時代においても存在するが、後年、【織田信長おんだののぶなが】のもとへ人質として嫡男を差し出さなければならなくなった西播磨の雄【小寺藤兵衛こでらのとうのひょうえ】の嫡男が、同様の資質持ち(異説あり)であることを大層気にし、当時【小寺官兵衛こでらのくわんぴょうえ】と名乗っていた小寺家家老の【黒田官兵衛】が、代わりの子がいない主君の意を汲んで自身の息子(のちの黒田長政)を遣わした。


小寺家がほどなくして織田家に反意し敗亡。小寺藤兵衛とその息子が路頭に迷った際、自身に多大なる迷惑が及んだにもかかわらず黒田官兵衛はこれを許し、はじめ客分とし遇し子孫を家臣と成した。



「わらわもこれより慈愛を以て分け隔てなく、人に接していく所存じゃ♪」


 なにせこれより飯井槻は『あるじ』なる厄介な人間に仕えることは無くなり、此の国の【主】になっていくのだから。


常に主君第一とだけしか思考出来なかった、深志一族とは違うのだ。


《して、今後国主家を如何いかがなさる御積りで?》

「季の松原からは退去してもらうつもりじゃ」


 この件に付いて、ひょんひょろは異論を述べる発言を行ったという記録はない。


 ただ、その時期についての提案をした。


「そうじゃのう。添谷の一件が片付いた折にかのう」


 と、飯井槻は述べたとされる。


「での、わらわは妙案を思い付いておるのじゃが、聞かぬか?」

《なんなりと》

「添谷の件は、あの愚か者を焚きつけると致そうと思うのじゃが、どうじゃ」

《愚か者。鱶池金三郎をけしかけるのでございまするか?》

「ふししし♪奴を今、出来合いの配下を付けて野に解き放ったら何をしでかすかの♪」

《恐らくは、弱り目にたたり目の添谷家に乗り込み、自身の悲願であった当主の座に無理にでも就こうとすることでありしょう》

「間違いなく家中の混乱に拍車をかけるであろうの♪」


 現在の茅野家には、添谷家を真正面から打ち破るだけの武力は存在してはいない。


 その上に深志家を滅ぼしたばかりで、接収した新たな領地の経営も手をつけたばかりで、とてもではないがこれ以上、軍事にかまけている余裕などなかったのだ。


 よって数を減じた軍勢は整備のし直しをしつつ、予期せぬ領内からの叛乱の抑止にこそ使うべきであった。


そう飯井槻が考えても、無理からぬことであったと、見ることが出来る。


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