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ひょんひょろ侍〖戦国偏〗夢破れた家の顛末(4)

 元は【深志ふかしの弾正だんじょう少弼しょうひつ貞春さだはる】が信頼する股肱ここうの家臣。


 …には結局のところ成り切れなかった武将【垂水たるみの源次郎げんじろう正辰まさとき】の名を聞き、「ほほう。あやつがのう」などと感じ入った風の台詞せりふは飯井槻は云わなかった。


「さてさて、他にれごろの水菓子みずがし(果物)はないかのう♪あればよいのにのう♪」


 などとのたまいながら、自分で編んだ少しばかり左右が微妙にいびつな形に仕上がっている草鞋ぞうりを履いて、飯井槻は薬草園兼御花畑の中をふらり散策し始めた。


 どうも、飯井槻は垂水の話にさほど興味が湧かないらしい。


 と云うか、そもそも垂水が茅野家に付いたのはあくまでも彼の欲得であり、茅野家と飯井槻に心底から忠誠心を持っているのかはなはだ疑わしく思っていたからかもしれない。


 たとえ香弥乃大宮の神様の依り代として、身分の上下に関わらず公平な態度で人々に接せなくてはならない飯井槻と云えども、このようにあからさまな感情の起伏が見られるのは、矢張り人の好き嫌いがハッキリし過ぎている性格ゆえかもしれない。


 だが、兵庫介と戍亥の計らいにより、あらかじめ決められた刻限通りに棚倉盆地から山岳部へと配下二百余人と、あらたに兵庫介の領民となった旧鱶池きゅうふけ家領けりょうの五百人とも七百人ともされる民と、神鹿家から派遣されている役人である定番衆をまとめ引き連れ、季の松原をまざまざと見下ろせる中腹付近に広く人数を展開させて、皆、咽喉のどから血がにじむほどの大喚声だいかんせいを眼下に轟かせて旗やのぼりを空中に舞わせたのだ。


 その、季の松原の西側に折り重なる全山が惣茅野勢そうかやのぜいになったように添谷左衛門尉に見せつけて、先に喚声を上げた戍亥の偽軍勢ともども最終的には奴の心根を完全にポッキリおらせる力を成したのは、これ垂水源二郎正辰の手柄だと云っていい。

 

 無論、この功績は大したものであることを飯井槻は、当たり前だがよく理解はしている。


 垂水は兵庫介と戍亥からの要請を受けるや、一度も行ったことも無い土地に軍勢を引き連れ素早く赴き、会ったことも無い他人の領地の(神鹿兵庫介のことである)の新規領民を説得し、あまつさえその他人の持ち物である小集団ではあったが役人部隊ともども一つにまとめて自らの軍勢に編入し、このよく言っても烏合の衆団を使って上記の大事を成したのだから、飯井槻にとって垂水は、新参の家臣ながら自らの命を救う手助けをやってのけたのだと、心の奥底では理解してはいる。


 しかし、だからこそ本当の心根の素性が未だに知れぬ垂水に飯井槻は、ついついうがった見方をしてしまうのだ。


「のう、ひょんひょろよ。あの垂水なる武人は善きおのこか?わらわには眼をかけてくれた主君を売り捨てた性根のゆがんだ者なりに見えるのじゃが、どうじゃ」


 薬草園のウコギの生け垣に混じって一本だけポツンと生えていた〝枇杷びわの木〟から、飯井槻は枇杷の実を房枝ごともぎって来て、またもとの茣蓙ござに着座して、目の前でくつろぐひょんひょろに実を三個与えてから聞いた。


《ご馳走になりまする》


 ぺこりと飯井槻に辞儀をしてから、枇杷の実を皮ごと口中に含んだひょんひょろは、器用に皮と種だけを一瞬で取り除き、飯井槻に失礼があってはならないと考えているのか、ついっと後ろを向いてそれらを手のひらの上に吐き出し、さらりと土にうずめた。


《彼の者は実に自分に素直な軍人いくさびとにございます。それゆえ、此の者の気の持ちようは御社様なれば手に取るように察することが出来ましょう。なにせ、戍亥様よりさほど気を通じあわせたモノとは見えぬ兵庫介さまが、垂水殿の扱いにも慣れた様子でございますから》

「根は単純という事かの?」


 三つ目の実を食べ終わったらしいひょんひょろは、折れた枝が風で傾げた様に〝コクリ〟とうなづいた。


 同じく小首を傾げた飯井槻は、詳しくその訳を聞いたところ、彼女は思わず笑ってしまった。


 つまるところ垂水源次郎なる人物は、そこいらに転がっている大小土豪と同じく抱える領地と自分と親族、そして自身の領民を守ることを信条とし、その上で自身にとっての眼の上の〝たんこぶ〟であった深志家を隙あらば打つ算段をしているという、この戦国の風雲渦巻く御時世ではよく聞くたぐいの人物であり、ことまつりごとに関して言えば極平凡な人物でしかないのだと、ひょんひょろは云った。


 しかしながら、軍人の才に於いては、戦に強い武人を多く抱えていた深志家のうちでも一等秀でており、特にその防御戦の緻密ちみつさや、敵に予測させぬよう突如出現して戦を仕掛ける欺瞞ぎまんに長けた能力は、もしかすればあの兵庫介を以てしても大いに手こずる相手に違いなく、その事実を見抜いている兵庫介と戍亥の、茅野家を代表する二人の武人は垂水の自負する能力を最大限に生かせる機会を見抜き与え、此度の一件に於いて名を挙げ、『飯井槻さまと茅野家の御為に役立つところを身を以てお見せせよ』と、手紙でさとされた上、『貴君のように茅野家にとってかけがえのない武人なればこそ、この重大事を報せるのだ』と、念押しまでして奴を突き動かしたのだと教えられた。


 そもそも、深志家をつぶさんと企み仕掛けた一世一代のはかりごとが、まつりごとの険しさ卑しさ荒々しさを、そこまで注意深く考えたりはしない兵庫介に易々と看破されるくらいの力量しかなかったことからも、垂水個人の政治力を推し量ることが出来るのだ。


 そのひょんひょろからの答えについ、飯井槻は笑ってしまったのだ。


「つまりあれか?兵庫介と戍亥はわらわに対して奴をこれでもかと褒め称え、自尊心と懐具合を豊かにしてやってくれと、左様もうしておるのじゃな♪」

《左様にございます》

「如何ほどやればよい?」

《されば垂水郡の郡代なれば、彼の者もはげみになるでありましょう》


 ふむ。っと、飯井槻はひょんひょろからの提案を脳内で咀嚼するように思考して、


「なるほどの♪戍亥以外の参爺も承知の上で、恐らく誰も異論は出さず此の一件の手早い解決策として左様に仕向けたのであろう。なかなかに良い案じゃ♪」

《御社様が籠られておいででありましたので、致し方無き処置でありました》


 先ず間違いなく、事の一件に絡んでいたであろうひょんひょろは、すっとぼけた感満載で飯井槻の謂いざまに相槌を打った。


「構わぬ。わらわは情けなくも狂乱して負ったからの♪事後報告なんのそのじゃ♪しかし面白きことじゃのひょんひょろよ。元は垂水郡のうち十数ヵ村の領地しか持たなかったしがない土豪が、茅野に付けばあれよあれよと、一個の郡としては小さきながらも三千貫余りの土地を領有する家となるとはの♪これはこの先いろいろと使い勝手がよくなりそうで楽しみなのじゃ♪」


 この飯井槻の発言は、垂水個人にあてたものではなかった。


 これから乱れた此の国を麻糸で固く結ぶように結わえ、そして一つにまとまるよう束ねて統治していく過程では、垂水の一件は必ずや他の家々の茅野家への忠儀の表し方になっていくであろうことを示唆しさしていた。


 茅野家の御為に立ち働けば、出世間違いなし!と云う実体を持った現実が鼻先にぶら下がっているも同然だったからだ。


 無論、兵庫介と戍亥をはじめとした茅野の重臣おとなの面々が、そこまで考えていたのかどうかはわからぬまでも、ひょんひょろは間違いなくそこまで計算して上手く事が進むよう、それとなく手回しして取り計らっていたのだろう。


「なれば、わらわは決めたのじゃ♪」

《と、申しますと?》

「ぬしなればわずともわかっておろうが♪これまでの方針を改めるのじゃ♪わらわは無用に此の国の武家を滅ぼそうとは思わぬ。他国に於いてもじゃ♪当然、遮二無二歯向かうものをむざむざ放置してはおられぬが、懐柔出来得る家は懐柔し、当家の家来として迎え入れ大事に扱うことを約束しようぞ♪」

《御考え改め頂き、恐悦至極に御座います》


 実のところ、これがひょんひょろが飯井槻より是非とも頂戴したかった言質であった。


 この人成らざる者は、常に飯井槻と茅野家の将来を案じる行動をとっていたが、主である飯井槻が人の好き嫌いの激しい人物であることを憂慮しており、此の是正を如何いかにすべきかを日頃から思い悩んでいた。


 その為、国主家や深志家、はたまた添谷家と云った家々やこれらの家々に付き従う土豪が全て居なくなったあとのことを考えており、必要悪と呼んでも良い者達が消え失せたのち、寛容でゆとりを持った政に精を出すよう飯井槻に、それと無く注意を喚起するのが最終の目的であったと推察される。


 そしてひょんひょろは、この難事の成就じょうじゅに成功したのであった。


「おお、そういえば忘れておったのじゃ。のう、ひょんひょろよ、わらわは未だ聞いてはおらなんだので確認なのじゃが…」

きの四郎次郎しろうじろうらが率いる当家の軍勢の件でありましょうや?》

「相も変わらず察しが良いの♪して彼の者らは、〝添谷の本城を攻めず素通り〟したその足で、今どこで何をしておるのじゃ?」






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