ひょんひょろ付きの娘侍。【改稿版】(3)
「よし。これくらい馴染ませれば頃合いだろう」
手桶から蕎麦の実をざるに晒した兵庫介は、短躰ながら筋肉質の体を軽やかに水辺へと跳ねらせ、湧き水が流れる小川の脇に自生しているセリやオオバコを根から抜き、ざぶざぶと平たい石共々綺麗に水洗いしては、この石の上に菜を載せて懐から出した短刀で細かく刻んでいく。
「ひょろひょんよ、ぬしの分もあるからな!」
広やかな場所から離れたところでデンと転がる大石の上に立ち、ぼんやり辺りの風景を茫洋と眺めている男に告げる。
《これはこれは……。面目次第もございませぬ》
心底から申し訳なさげなひょんひょろを見て、大笑いした兵庫介は言ってやる。
「ハハハッ!なに気にも留めんわ。ぼさ~と、いつもの様にぬしはしておればよいのだ!」
何事かはわからぬが、常になにかしらかを考えているのが奴らしくて良い。兵庫介はそう、よく知らない男についてなんとなく思った。
ざっと刻んだ野草は、しばしザルの上に晒し洗った水でやや膨らんだ蕎麦の実とともに手製の小鍋に放り込み、水をひたひたに注いで蓋をした。これを、家臣たちが土と石を周辺からかき集めて組んだ即席の竈に落ちていた枝に通して掛ける。
周囲の配下の者たちも主従の関係などお構いなしに、自ら持ち寄った大小の鍋を次々と押し合いへし合いしながら同じ竈に掛けていくが、見回せば、他に幾十も組まれた竈も似たような様子で、その有様は、さしずめ獲物に群がる蟻の大群の様でもあった。
「此度の戦に我らは、兵三百人に小荷駄二百人を引き連れて来たのだから、混雑致し方ないか」
フッと笑みを浮かべた兵庫介は煮えてきた鍋の中の灰汁を大きめの匙で掬いつつ、異様に過大になった軍役の事とか、季の松原までの道程と、そこから導かれる到着時刻の計算をつらつらしていたのだが、うっかり煮立ちすぎて湯が溢れそうになってしまい、慌てて鍋を火から外して、これまた持参していた屑麦から作った、甘辛い味噌玉を指で潰しながら溶かして味見した。
「ようし。出来たぞ!」
鍋の中では蕎麦の実はふっくらと煮え、菜も味噌になじみいかにも美味そうである。
「おい!喰うぞ!!」
彼は振り返り、大石の上で未だボンヤリを決め込んでいるひょんひょろ向かってに声をかけた。
するとなぜか『トタトタトタ』と、小さく可愛らしい響きの足音が、こちらに駆け寄って来るのが聴こえ、やがてその足音は兵庫介の足元にまでやって来ると、チョコンと足を曲げ跪いたのだった。
「うん?」
小兵過ぎる兵庫介にとっては珍しいことに、自分の目線を下げて足音の正体を探らなくてはいけなくなった。
目線の先には、かなり背の低い小侍がチョコンと跪き、さっと腕を伸ばして椀を二つ兵庫介の眼前に差し上げた。
いや、誰かは知らんが自分で注げよ。
ムッとしながら兵庫介はこの小侍の無礼を脳内で詰ったが、なにやら見るにつけ、こやつの一つ一つの仕草がちょこまかと可愛くて、ついつい彼は椀をあっさり受け取ってしまっていた。
「矢張り殿様は、おなごには甘いようじゃのぉ~♪」
兵庫介の幼馴染にして、神鹿家馬廻衆筆頭の【右左膳】なんていう、ややこしい名を持つ家中で一番の剛の者が、ニタニタ笑いながら儂を冷やかしてくる。
ちなみにコイツ【右】が姓である。
「そうか?」
儂も奴に負けじと笑みを返したが……。
あっ…?今なんつった?え~と、なんだっけ?確か…。
「お・・・な・・・ご!?だと!!」
兵庫介は混乱した頭のままで表面上は平静を装い、煮えた味噌味の蕎麦粥を椀に注ぎ、懐中から山椒の実を取り出して短刀の峰で叩き潰し、パラパラと粉になった山椒の実をかけてやった。すると小さき侍は、サッと白い小さな両の手を伸ばして恭しく椀を受け取って辞儀をした。
その際、チラッと小侍の、いやさ娘の顔が見えたが、それが驚くほど美麗な稚児みたいな容貌で、思わず兵庫介は顔を赤らめ見惚れてしまった。
いやいや!違う違う。これは娘侍であろうが!それに儂は衆道には興味はない!しっかりしろよ、儂!!
混乱の中にあった頭を整理してよくよく侍を観察してみると、確かに右左膳が言うことに間違いはないようで、丸みを感じさせる体つきと、小さいながらも微かに膨らみがある胸元に、去っていく際のさりげない所作などから、この小侍が【おなご】に間違いあるまいと推察できた。
そしてこの事実を確認した兵庫介と云えば、くらっとする頭を支えながら近くにあった平石に腰をかけ、自分の椀から掬い上げた匙の中身を、うっかり口の端にその中身ごとぶつけてしまった。
「あっちぃ!!」
ぶっ! 右左膳が後ろで噴く。
これを見逃さなかった兵庫介はニヤッと微笑み、怒気を孕んだ瞳をググっと右左膳に向けたが、スルーと左膳は目線を横に逸らして、これ見よがしに粥を勢いよく掻き込んで素知らぬふりを決め込んだ。
「このやろ」
右左膳のあからさまな態度を見つつ呟いた兵庫介は、そのまま目を逸らさずに左膳を見据えてのっそり歩き、ひょんひょろが腰掛けている大石の隙間を間借りしてドッカと腰を下ろす。
彼の真後ろには、先程の娘侍が胡坐をかいて地べたに座り、蕎麦粥をハフハフと熱い息を吐きながら盛んに口に運んでいた。




