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ひょんひょろ侍〖戦国偏〗夢破れた家の顛末。(1)

此の国を手中に収めんとした添谷家の野望は、決起からたった三日にしてついえた。


のちの世に、日ノ本の国に於いて主君をしいし権力を手中にしようとしたものの叶わず、三日天下なる悲しい称号を冠せられた者に【惟任これとう日向守ひゅうがのかみ(明智光秀)】がいるが、日ノ本で一番有名な此の者とて死を以て仮の権力者の座から失墜するのは、実に主君殺害後から十一日目の事である。


よって添谷左衛門尉こそが、本来であれば【三日天下】の称号を冠してもよい人物なのであるが、六十余州の一国でしかない地方の此の国での狭い〝天下〟の出来事であるので、日ノ本どころか、百年以上経過した【慶長の世】では〝添谷左衛門尉〟なる此の国の守護職・国主家の家老だった者の名どころか〝添谷家〟そのものの名前を見知っている者とてほとんど居なくなっている始末である。


つまりは、より広い日ノ本では誰も添谷家など知らぬ上に、此の国でも古老の物知り以外では誰一人として彼がやった事柄すらそらんじる事は出来ない人物〝添谷左衛門尉〟を指して【三日天下】を見事体現した人物。とは呼ばれないのである。


あわれと云えばあわれであり、滑稽こっけいと云えば滑稽な時代の点景として、彼の身の上話をわずかではあるが書いてみようと思う。


ただし、彼を成敗した茅野家の面々が為したことを大いに織り交ぜながらではあるが…。


語り手は、季の松原城に居を構えた〝此度の一件では特にこれと云って何もしていない〟【飯井槻いいつきさま】こと【茅野かやのの大膳だいぜんの大夫だいぶ千舟ちふね】のもとに、事件解決の翌日ひょっこり帰って来た〝ひょんひょろ〟なる奇妙にしておかしな人物の手を借りてり行う事とする。




~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・




「ようやっと、わらわのそばに現れ居ったかひょんひょろよ♪」

《ご無沙汰しております》

「ふししし♪ご無沙汰と言うほどでもあるまい♪まだ離れてから一月ひとつきもたっておらん♪」



どこでどうやって過ごしていたのか、彼の国で対【山名家】工作にいそしんでいたひょんひょろが、不意に季の松原城の中腹に造営されている【新御殿】に住処すみかを構えた飯井槻の足下そっかに姿を見せた。


飯井槻一番の腹心との面会の場所は、新御殿内のこじんまりした薬草園兼庭園であった【御花畑おはなばたけ】だとされている。


飯井槻はそこで茣蓙ござを敷き、ちょうど咲き頃となった橙色だいだいいろ紅色べにいろが入り交じった〝紅花こうか(ベニバナ)〟の花を正座してで、ちょっぴり自身の鼻についてしまった花粉でムズムズさせながら、来着したひょんひょろにもう一枚の茣蓙を御手ずから渡して面前に座るように促した。


いささか手落ちにございました》

「なんの、お主と皆の手配りよって命ながら得たのじゃ♪」


一人で風雅なるものに浸っていた飯井槻は、春、自分で摘んだ〝うこぎ〟の若葉を干しものを釜にいれ沸かした茶を、ひょんひょろに進めた。


《かたじけのうございまする》


一礼したひょんひょろは両手で包む様にして、これまた飯井槻が飯井槻山の沢からとって来た粘土をこねて焼いた御手製の土器かわらけの味なかたちをした茶碗を受け取り、焦がし麦の湯のような割と濃いめの色の茶をかすかにらせながら眺めている。


湯面ゆづらに映る自らの顔だちを眺めるのは、久しぶりかのう」

《朝夕、顔を洗いますゆえに久方ぶりではございませぬ》

「左様なことではないのじゃがのう」


などとまだ云い募る飯井槻に対して、ゆらり顔をあげて小首を傾げ、人としての《顔のかたちなど、どうでもよろしいのです》と云った。


《これからどうなさるおつもりで》

「どうもこうもないのじゃ。これで穏便に此の国をまとめあげる手は尽きたのじゃ。わらわが極力ならば使いたくなかった力でもって統一せねばならなくなったの」

《力及ばず申し訳次第もございませぬ》

「なんの。此度の一件は完全にわらわの手抜かりじゃ。そなたが気に病むことではない」


ひょんひょろの姿をちゃんと見ることができる飯井槻は、にっこり微笑み、そしてこれまた御手ずからもいできた、熟して黒ずんだ“桑の実”を盛った土器かわらけの皿をついっと差し出された。


《過分な馳走、おそれ入りまする》

「なにの、わらわのやかたにも植えてある桑の木じゃが、ここにも植えられておっての、好物の実をたわわに実らせて腐るにまかせておったゆえ、喰おうと思い沢山たくさんちぎってまいったのじゃ♪それに、そなたも水菓子みずかし(果物)は好きであったろ♪」


一緒に食べよう。そして此度の一件について包み隠さず物語をせよ。


と言って飯井槻は、桑の実を一房ひとふさとりパクりと口に放り込み、ひょんひょろも同じく左手で一房くちに含んだ。


あもうございます。甘露とはこのこと》

「気に入ってもらえてよかったのじゃ♪茶も、冷めないうちに飲んでたもれ♪」


ひょんひょろは飯井槻にうながされるままに喉をうるおし、やがて口を開いた。


《かの添谷左衛門尉なる御仁は、一番肝心なところが抜けた御仁にござりました。そこが、御社さまとの一番の違いでありまして、それがかの御仁の最大の失策にござりました》




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