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ひょんひょろ侍〖戦国偏〗重なっていく策謀(10)

次の土曜日。


あげるつもりでしたが早く出来たので今あげる事にしました。


すいません。


次回はまた遅くなるやもしれませぬ。

添谷家は此の国の国主こくしゅである【国主家くにぬしけ】とその領域である季の松原の地を押さえている。


無論、すでに茅野家の拠点である二つの要害、すなわち【新町屋城】【季の松原城出郭・茅野屋敷】は監視下に置かれ、特に三の郭にほど近い茅野屋敷は添谷勢の重包囲下のもとにあり、また新町屋城は千を超す軍兵ぐんぴょうに道や國分川の船着き場を封鎖され、陸の孤島、孤立状態に追い込まれていた。


しかも此の二つの要害には、さほどの軍勢が込められてはいなかった。


新町屋城には、茅野家の家老で軍事全般をつかさどる参爺の一人【戍亥いぬいの太郎左衛門たろうざえもん惟寿これひさ】指揮下の将兵が二百人余。これに茅野屋敷の住人五十人余を足しても総勢三百人にも満たない。


この兵の少なさは実は他家も同様で、新たに手にした深志家とこれに同心した故に滅んだ土豪連中の旧領を茅野家と同心した者達、例えば東の三家を筆頭に分配され(ただし、左衛門尉率いる添谷本家は最後まで中立を保っていた為に恩賞は無く、代わりに策により本家と仲たがいした風を装い、茅野家と同心したと見せかけていた寿柱尼率いる分裂添谷家に恩賞として領地が分配された)て、此の新領地を押さえ、自領に滞りなく組み入れるためもあって茅野家以下の各家は鎮定に追われたが故に、此の国の政治の中心地である季の松原の地は事実上の政治軍事の空白地となっていた。


この点、飯井槻の大いなる不始末と云っていい。


彼女は当時においても第一等の読書人と呼んでも差し支えない優秀な人物であった。


それが、斯様に重大な失策を犯したところに人間としての驕りや甘さが現れたと見ることが出来る。


普段の彼女であれば、昔の書物から【画龍点晴《がりょうてんせい》】【漁夫ぎょふの利】という故事成語を、由来のもとになった話は知らねどその意味するところは誰もが知っているを言葉をすぐさま思い出し、今必要な心の戒めとして導き出せていたに違いない。



~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


【画龍点晴《がりょうてんせい》】


中国は南北朝時代。梁国りょうこくの画家【張僧繇ちょうそうよう】が、梁国の武帝に依頼され、安楽寺に壁画を描いたところ、そこに描かれた四頭の龍がまるで生きて天に昇るように見えた。これを眼にした武帝はなんと素晴らしい壁画だと喜び張を絶賛したが、やれやれ顔の張曰く。『いえみかど、この絵はまだ未完成品に御座います。なぜならまだ心眼が入れられておりませぬ』と云って、四頭のうち二頭のまなこに晴《せい》(ひとみ)を打ったところ、はたしてその龍は躍動し壁から抜け出して揃って天に昇って行ったという。



漁夫ぎょふの利】


古代中国は戦国時代。趙国は戦国七雄の中でも弱小国だった燕国を攻めようとしていた。これを事前に察知した【蘇代そだい】(縦横家・ザックリ言えば遍歴の外交官)が燕を救うために打った一手。


趙国に急遽赴いた蘇代は、国王の恵文王に面会しこう述べた。


『王様。私は道すがらある出来事を目撃いたしました。それははまぐりからを開け呑気に海辺で日向ぼっこをしていたところ、空からこれ幸いとばかりに一羽のしぎが蛤の身をついばもうとくちばしを身に差し入れようしました。ところが危険を察知した蛤が嘴ごと貝を閉じられてしまい抜けなくなり、お互いに罵り合い争って身動きが取れない状態になりました。そこに偶然漁夫が通りかかり、しめしめとばかりに蛤と鷸を抱えていきました。つまり、蛤である燕国と鷸である趙国が相争えば、漁夫、即ち両国の共通の大敵である超大国の秦国が我らの背後から襲い掛かり、国土を持ち去ってしまいますぞ』


と、いましめた。


これを聞いた恵文王は燕国への侵攻を取りやめた。




…この二つの故事成語を掛け合わせ導き出せば、ある答えが出て来る。


それは、うまくできたと喜んだ瞬間にこそ隙が生じる点。その隙を窺う第三者が背後でほくそ笑んでいるかもしれない点である。


飯井槻は深志家に勝った時にこの故事を思い出すべきであった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~



さて此度の陰謀を企んだ添谷家は、以前から新たに国主家の当主となった松五郎君まつごろうぎみひそかに近付き、これを抱き込んでいたのは、蒼泉殿の大広間にて若君を伴い表れた寿柱尼のくだりで察せられたと思う。


もともと松五郎君は、健在であったころの【深志ふかしの弾正少弼だんじょうしょうひつ貞春さだはる】の保護下にあったのだが、世俗を離れ尼となっていた寿柱尼は、尼であるという理由で、添谷家の国母と云ってもよい立場ながらたまにならご機嫌伺いとして面談することを弾正から特に許されていた。


これもまた、愛情深い武人であった深志弾正の甘さであったと云っていい。


その愛情深さ優しさ故に、飯井槻にまんまと付け込まれ謀られて、添谷家にも嵌められてしまい、やがては自身どころか愛する二人の息子ともどもに、優しき深志一族ははかなく國分川の河原に於いて処断され、命を落としたのは皮肉と言っていい。


だが飯井槻は、実はここでも失策をしている。


それは、既に国主家を叩き潰す方策を固めていたことと無縁ではなかった。


とっくの昔に此の国の守護職しゅごしきである国主家に愛想を尽かせていた彼女は、彼らの内情を部下に探らせてはいたが、彼ら自体に積極的に自ら進んで接近し、その目で見極めることをしようとはしなかった。


どうも飯井槻という女性にょしょうは、嫌いな奴には是が非でも会いたくない。といった気分を持った人物であったようだ。


この気性が添谷家に幸いし、茅野家を窮地に追い込む主因のひとつになった。


なぜなら、その彼女の間隙を突くかのように、その目を盗んで寿柱尼と左衛門尉は深志家敗滅後の様相を予感し、国主家に接触、松五郎君に気に入られることに成功し、あわせて親深志派ではない家臣との繋がりを作ることにも成功したからだ。


これにより、やがて牙を剥くであろう茅野家の下剋上に対処し、これを潰すことで此の国に於ける権勢を確たるものにしようとした。


またもし、深志家が危難を乗り切り茅野家の企み野望をくじいた場合に備えて添谷家を三分し(三分した一方は、事情を知らされることもなく添谷家を裏切り形となった鱶池金三郎の鱶池家も入る)、本家は当主である左衛門尉が周到に頭の悪いとぼけた人物を演じて深志家の注意を削ぐように策を巡らし、祖母である寿柱尼は表だって、だが密かに行動して、茅野家に加担するそぶりを見せつつ深志家にも松五郎君を通じて接近。どちらに勝機が転がっても生き残れるよう手を打っていた。


実際に彼女は飯井槻の勝ちが見えた瞬間、深志家が東の三家討伐のため急遽派遣した深志越前指揮下の軍勢を打ち破る作戦に参加。茅野家が家臣、神鹿兵庫介配下の右左膳うてなさぜん率いる小軍勢こぐんぜいに部隊を遣わし、茅野家が所有する炸裂弾【霹靂へきれき】を駆使して敵勢が夜間、狭い山間部を細い列なって通過中に集中的に本陣を攻撃、見事、越前の首を打ち取り、親深志派の中小土豪と百姓衆を主力とした軍勢が爆音の中で敵の姿を見つけられず同士討ちの果てに四散した事実によって戦後、家が分裂中であったにも関わらず高い恩賞にありつけ、また、茅野家の方針を真直で観察出来得る機会まで得たのだった。


まさに添谷家にとっては、願ったりかなったりの状況になったといってよい。


これ総て、深志家の動向のみに視点を据えて、知らず知らずに物事の判断をしていた飯井槻の失策であった。


故に、添谷家の動向を軽く読み、深志弾正が取ってしまった失敗の上書をしてしまう行動を、ついさっきまで陥っていたのだから。


「茅野に動きはないか?」


遅めの朝餉あさげを季の松原城の中腹に設営された【新御殿】の客間で摂った【添谷そいやの左衛門尉さえもんのじょう元則もとのり】は、すっかり日差しが強くなった御日様を庇越しにのぞき見しながら膳を下げる近臣に尋ねた。


「ございませぬ。なんとなれば、三の郭に籠りし大膳めにも動きはございません」


狐の眼のように切れ長で、どこか嫌味走った口元を持つ若侍は、手にして抱え上げた膳を一旦自身の横に据え直して姿勢を正して、こたえた。


「他家で我らに味方するものは無いか」

「未だ様子見。日和ひよってございます」


彼のもとにやってくる人数は、食い扶持を喪った元深志家や土豪の身分の低い家臣だったあぶれ者や、戦と聞けば現れる武功稼ぎの陣借り武者や、渡り足軽の類。つまりは戦が無いと困る者達の集団だけだった。


「我らに大儀があるのに、何故なにゆえたれも味方せぬのか…」


遣いは、走らせてはいる。


だが未だに色良い返事は、どこの家からもやっては来ずにいた。


左衛門尉は、事ここに至ってようやっと自身の根本的な失敗に気付きはじめていた。


結局のところ、かつての深志家がその人気の無さを気にかけ心配し、大恩ある国主家の御為に一族を上げ奮闘していた様に、もはや此の国において国主家を頼みとする者は、すっかりいなくなっていたからである。


居なくなった理由は至極簡単。


添谷家自身も成り行き上加担してしまった、深志家の滅亡によって残されたのは、国主家に期待していない大小の家ばかりとなった為であった。


この点は飯井槻の思惑通りであった。彼女自身は動揺のため、すっかり忘れていたようだが、国主家を潰すためにそうなるように謀りて仕組み、一時いっときだけは残す家を巧みに選んでいたからである。


そこに、


「ここに居られましたか左衛門尉様!いっ!一大事に御座る!!」


とある報せを持った使者が膝元に現れ、その者が話した内容に、傍に控える近臣ともども彼を驚愕させることと相成った。


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