ひょんひょろ侍〖戦国偏〗重なっていく策謀(8)
またまたまたまた、遅くなりました。
殴らないでくださいm(__)m
早朝。
飯井槻の寝所で親子はお互いの体を暖め合いながら会話を交わしている。
その光景はまことに微笑ましく、お互い、自身に付き従う侍女や近侍の者たちを介さず、この様になかむつまじく過ごすのは久方ぶりであった。
『千舟よ、其方。お化けは見たことはあるかな?』
「朝はないのじゃ」
『ならば昼はどうじゃ』
「昼も無いのじゃ」
『なれば夜はどうじゃな』
「夜なれば、…あるのじゃ!」
『してそれは、どの様なお化けであった?』
飯井槻にとりても、今からして思えば朝から何の話をしておるのだろう?とも思う話なのだが、当事者であるその頃の飯井槻は、とても楽しそうに六郎の膝の上で眼を真ん丸にさせてウキウキしていたのである。
「お化け…?あれは…父上の言うとおり、お化けであったかもしれぬのじゃ…」
『ほほう、興味深いの』
父の膝に深々と座り、体もその胸に預けた飯井槻は、自分が体験した怖い思い出をとつとつと話始める。
「夜半、寝屋からそとをのぞむとの、こうの、こうの、ゆらゆらたち蠢く影があったのじゃ。わらわを見詰めて立っておったのじゃ!」
『ひとか?』
「ひと?あるいはひとだったかもしれぬ。じゃがわらわらには、そうは、そのようには見えなんだ」
『お化けに見えたか?』
「…見えた。よく夜に起きたら見る。…ゆ、夢にも出てくる…。お化けは、怖い…のじゃ……」
先ほどの夢見を脳内に蘇らせた飯井槻は、父の体の中で小刻みに震える。
『怖いのはわかるが、夜尿には気を付けんとな』
「のっ!?」
六郎は侍女頭に聞いて知っていた。
小さくぷにぷにして、天女の娘ような色の白い可愛らしい顔を真っ赤にして、ついでに頬までぷっくり膨らませた飯井槻は、父の顎に盛大に頭突きをして押し倒し、自然と馬乗りになってしまった。
『うっ!ふししし♪いたいの♪それにお主は重うなった♪重くなったわ♪』
「うつけ!わらわは粗相なぞせぬわ!」
うそであった。
今日は幸いしなかったが、実は、昨日はしたのだ。
そして幼女な飯井槻の成長を、その体重で感じ取った六郎は欣喜し、翻って飯井槻は怒り父の腹や胸をポンポン、ポコポンとまるで祭りの太鼓を叩くように、でも、余り力をこめずに叩きに叩いた。
『ふししし♪痛いの、つようなったの♪』
「ふししし♪ではないが!うつけめ!わらわはおねしょなぞせぬわ!」
後年。
飯井槻自身がよく口にするようになる【ふししし♪】という含み笑いは、父である六郎が心から楽しんでいるときに出る【口癖】の笑いかたであり、飯井槻は、父が亡くなる以前から父のようになりたいと思い、その身振り話様、そして考え方までも自分なりに斟酌し、総てを生き写しのように真似するようになった。
まねることで彼女は、飯井槻という茅野家で、いや、此の国の内外でも評価の高い人物を作り出せた。
素の彼女は、怖がりで臆病で、人前に出るのすら嫌がるような内気な少女で、とてもではないが茅野家の当主になるような器ではなかった。
そう、彼女自身が考える自己評価のもと、自身の不足を補うためかき集めたのが、ひょんひょろや兵庫介などの人材であり、茅野家の判断の源でもある参爺との合議も彼女が思い立ち、父に話して作り上げたのだ。
つまり、現在の茅野家の体制は、彼女の臆病さから誕生したと云っていい。
『案ずるな千舟よ♪おねしょよりまずはお化けじゃ、お化けは、わしでも怖い』
「…左様なのか?」
『左様。左様♪』
激しく叩いていた飯井槻の腕が止まる。
「まことかや?」
『まことじゃ。お化けは心がけ次第で見えるものだからの』
「ん?こころがけ?」
『左様。お化けは千舟の心が見つけたもの、現にほれ、朝や昼間には見ぬではないか?』
云われた飯井槻は、庭をみやる。
そこに広がるは昨日と変わらぬ秋の風情を彩る草木と、庭の大部分を占める平安の世から滔々《とうとう》と水をたたえた池があり、いざというときには食料にもなる色味のない黒い鯉がいっぱい泳いでいる。
『化物はおるかな』
「おらぬ、夜しかおらぬ」
『それを千舟はどうみる?』
父のなぞかけに、飯井槻は「うーん」と唸る。
夜、彼女が起きる度にみるお化けは、生まれたての朝日の明るい日差しの中にはどこにもおらず、庭先のところどころに植えられている樹木と、庭全体を囲むように緑の葉を揺られせている紫陽花の群れが眺めれるのみであった。
「お化けは、どこからやってくるのじゃろう」
心底から答えがわからぬ様子の飯井槻は、父の腹の上で座禅を組み沈思黙考。
そして、しばらくその姿のままで過ごした。
やがて…。
「わかった!」
『あいた!』
飯井槻はニコニコで眼下の六郎の額を平手ではたいた。
『暴れん坊じゃの♪』
「ついじゃ♪ついついじゃ♪赦せ♪」
赤みが差した額を抑え笑う父と、よいしょっと♪っと、その父の上から反動をつけ退いた愛娘は、自屋の板間にペタんと座りこみ白い歯を見せ合って笑いあった。
「父上さまよ!」
『ほいほい♪』
「お化けはわらわの頭の中にあるのじゃ!じゃから夜、草木が揺れ騒ぐ動きや、水の音でも怖くなるのじゃ♪」
『明解♪』
ポンポンと板間から起き上がった六郎は飯井槻の頭を優しく叩きながら誉める。誉められた飯井槻は得意気にない胸を張った。興奮が収まらない。
落ち着いたところで六郎は諭すように飯井槻に云った言葉を、彼女は恐らく生涯忘れることはないであろう。
それは、
『上に立たねばならぬ者は、ひとより臆病であれ。なれば自然と知恵がわく』
という言葉であった。
「懐かしいの、あのときに戻れればよいのじゃが…」
父は商人になりたかった。
いろいろ土地に出向き多くの人々と取引する商人になりたかった。
わらわは詩歌の海に漂う歌人になりたかった。
じゃが、女好きは兎も角、頭も切れやさしく頼りにしていた旦那はあっさり亡うなってしまい、あれよあれよと兵庫介らに当主に据えられた。
もしヤツが生きておれば、わらわは子の一人や二人は授かり、日がな一日祝詞をあげ、暇なときは歌でも詠んで過ごしていたやも知れぬのにの。
どうしてわらわのような未熟者が、斯様な目に遭わねばならぬのか?
それのみが口惜しい。
意識を“いま”の世界に呼び戻した飯井槻は、半ばふてくされながら胡座をかき、ふとももの際までのぞかせながら文が焼いた干餅をパリパリいわせて頬張り、珠が淹れた茶湯で水分を餅に奪われた喉を潤す。
「あらあら、晴れ晴れとしたお顔をなされまして♪」
「憑き物ははれましたか♪」
あらたに拵えた焼きたての干餅と、これまた沸かしたばかりの湯をたんまりと入れた茶釜を用意して、欲しがるだろう飯井槻の期待に応える準備を調えていた。
「そなたらには苦労をかけるの」
飯井槻が口の周りを食べかすだらけにして、仲良し侍女二人に礼を述べたとき。
「なにやら外が騒がしゅうござりますね」
「ほんと、どたばたと御祭りのよう…」
「んん?」
飯井槻が干餅の欠片を喉につまらせるのが早いか、侍女二人は立ち上がり部屋の鎧戸を開けて外を見る。
そとは、具体的には三の郭を取り囲む添谷勢が、皆がみな東の方角を指差したり眺め見たりしながら動揺しており、代わりに三の郭に立て籠るというか、軍勢をあげて引きこもっている茅野勢は同じ方角を望みながら歓声をあげ太鼓まで打ちならしている。
「なんぞ?」
熱い茶湯をものともせず一気に飲み干して喉のつっかえを取り去った飯井槻は、自身の背の低さを夜具を丸めて積み重ねて補い、その上に飛び乗って戸の狭間から騒ぎの原因を探り当てた。
「新町屋の城じゃ!」
季の松原の御城から一里さき、國分川の向こう側、河岸段丘上に築かれた要害【新町屋城】を覆い尽くさんばかりに茅野の旗が、強風に煽られながら立ち並び、これに呼応するかのように城内から雄叫びじみた大声が沸き上がっており、すわ!戦か?!と、見るものの魂を潰すほどの勢いを放っていた。
「兵庫介め、気負ったか!」
そう、飯井槻が叫んだとき、
ドタン!
と、なにかが天井をふみ抜いて落ちた音が室内に轟いた。
「ひょ、兵庫介。ただいま帰参いたしました!」
飯井槻以下が振り向いた先には、無様に足をあげて腰をうち、背中をさすりながら板間に転がっている【神鹿兵庫介親利】と、身のこなし軽く着地した【さね】の姿であった。




