ひょんひょろ侍〖戦国偏〗重なっていく策謀(7)
此度も遅くなりましたm(__)m
飯井槻は、珠と文が拵えた湯茶と焼き干餅を嗜みながら考えている。
この、抜き差しならぬ事態に対処する、もしくは勝てる方策はないかとこれまでも昼も夜もなく考えている。
傍目には、季の松原の三の郭に籠って以来、飯井槻が毎日呑気に過ごして焼いた干餅を喰い詩歌を嗜み、現在茅野家が置かれた危機的状況を鼻で笑っているように見えたために、彼女に付き従っている伊蔵や羅乃丞、それに百五十人もの将兵達の心を安堵させ、決起に逸ろうとする気持ちを穏やかならしめ、物思いに更ける飯井槻は存じ知らぬことではあったのだが、添谷勢の重囲に陥った茅野勢をひとつに纏める効果をあげる結果をもたらしていた。
だが、飯井槻は心のゆとりの無さからその事実に気付きもしない。
というか、気付ける心の暇がなかった。
普段の彼女であったならば郭内を何気なくふらり出歩き、将兵や主だった者のもとに訪れては気さくに語らい、茅野勢の様子や士気の状況、それに敵方の状況を探る手立てを立て戦の仕方はわからぬまでも、勝てる策を立てるか、最低でも茅野家の被害を最小に抑える方策を考え付き、これにあった適任者を選び出して大いに用い実行に移すであろう。
それは例えばどこぞから拾い上げた【ひょんひょろ】であり【鎗田伊蔵惟頼】であり【狩間羅乃丞公俶】であり、【さね、こと茅野実衛門】であり、親子ごと臣下に加えた【神鹿兵庫介親利】を適材各所に用いた。
無論、もとより居た重臣や家来衆も分け隔てなく使い、それによって茅野家も家来も新たに配下になったものも滞りなく、茅野家は六郎以来三代に渡り努力を重ねた結果、此の国に於いて第三位の貫高を誇り、実利に於いては此の国随一と呼んでもよい裕福な豪族になりえたのだ。
それは、喩え他国の者に他領の者、貴賤を問わず親しく交わり言葉を交わすこと抜かりなく、商いを手広く行い味方となりえる者や味方となった者達との知己を得て、それらを多く得ることにより各地の情報を得て茅野家は、三代に渡る栄華を国主様のように無用な戦にかまけることも無く手に入れる事に成功したのだ。
…だが今の飯井槻は、生まれて初めて経験した挫折から立ち直れず、折角の知己や家臣をどのようにいかすべきかの手段すら思い付けないでいる。
そんな状態の彼女が脳内でやっていることと言えば……。
昔、こんなことがあったの…。
などと、亡き父である茅野六郎寿建との幼き頃の懐かしい思い出の世界に浸っていくという、現実逃避だけであった。
……そうそれは、まだ飯井槻が可愛い幼女だった頃の話。
ある秋の日の朝、起き出しの飯井槻はひどくしょげていた。
夢見が悪かったのである。
母を産まれてすぐ亡くした彼女にとって、甘えられる人は父親である【茅野六郎寿建】くらいであった。
だが当時は、現在のお気楽な茅野家と違い親子であっても易々と会える立場ではなかった。
成り行きで成ったとはいえ一応は武家であり、その上、朝廷から勅使をお迎えする事もしばしばな高位の神職でもある茅野の家は、他の家と同じく家格に応じた〝しきたり〟が存在していたからだ。
だから如何に怖く寂しくとも飯井槻は庶民の家と違い、「父上さまぁーー!」と六郎の部屋に転がり入り身にかきついて甘えることも出来ず、泣きたい気持ちをグッとこらえ、一人で自室に設えられている御帷の中に据えてある、畳を重ねて作られた平安の頃から変わらぬ造りの敷き布団と小さな畳の枕を抱いて、掛け布団かわりの前日に着ていた単を頭から被ったまま耐えるしかなかったのだ。
そんな折、不意にだれかが飯井槻の寝所に現れた。
「誰ぞ!」
『六郎に候ぞ』
やってきたのは六郎であった。
「父上!」
『なんぞしたか、千舟』
御帷の外に座り、父はゆるり娘に話しかけてきた。飯井槻の喜びようは、彼女がぴょんぴょん敷布団の畳の上ではねたことからも察せれるだろう。
『怖い夢でも見たか?』
問われた飯井槻はモゴモゴして、何も応えられないでいた。
『ふむ。…よいか千舟よ。夢というは良い時もあれば悪い時もある。それを恐れるというは恥ではない。此処事、其方はわかるかな?』
そう言って飯井槻の父親である六郎は、年端のいかぬ幼い愛娘がついと寝所から顔をのぞかせた機を逃さず膝に引き寄せ、軽く背後から抱きしめながら頭を撫でた。
六郎が、飯井槻をあやすときは常にこうしていた。
あたたかな肌のぬくもりが、お互いの衣越しに伝わり合う。
「うーんと、怖いのは武家として恥じゃからか?」
『いんや、怖い夢見は誰にでもあるから、違うの』
さすりさすり、飯井槻の長い髪を上から下まで慈しむように撫でつつ、六郎は優しく答える。
「ちがうのか?」
『違うな。……ふむ、然らばこの父と朝餉の支度が調うまで話すと致そうか』
「うむ!そうするのじゃ♪」
飯井槻は破顔して父に搔き付き、御話を早う♪早う♪と急かした。




