ひょんひょろ侍【戦国編】重なっていく策謀(5)
茅野家は知らぬ間に、危急存亡の秋を迎えている。
当主である【茅野大膳太夫千舟】は、自ら進んで死地に飛び込み、今や季の松原城内は三の郭の御殿に百五十名の配下と僅かばかりの供とともに引きこもったがため、国主家一番家老の【添谷左衛門尉元則】と、その祖母【寿柱尼】によって郭の門を外から閉じられ竹矢来を組まれて閉じ込められ、添谷家とその息のかかった国主家の軍兵とすっかり囲まれてしまい、飯井槻当人の預かり知らぬことながら、これを仕掛けた側の解釈では【幽閉】。本当の意味では兵糧攻めを喰らう立場となっている。
「にも関わらず、御社さまはナニをお考えか。御殿に入られてからこっち、日がな一日愉しげに歌を詠まれたり菓子を食べられたり、何故さような怠惰な生活をなされておられるのであろうか?」
鎗田伊蔵が申すところの御社さま。……つまり飯井槻さまは、毎日毎日あきもせず、仲の良い侍女ふたりを相手に連歌をしたり詩歌を吟じたり、御手ずから焼いた干餅を食べたりと、恙無く気ままな日々を送っている。
「にしても、こうも周到に手配りをされていては逃げ出すことも敵わず」
伊蔵が御殿の屋根にぽっこり上がっている小さな矢倉の中から辺りを見渡し、うーむ。と、唸る。
それもそのはず、三の郭の周囲はぐるり添谷家の軍勢に囲まれ、蟻の這い出る隙間とてない。
その数五百人。
実に閉じ込められた茅野家の人数の三倍以上の兵力だ。
その兵達が外聞を気にしておるのかどうなのか、御殿の様子を伺う一部のものを除き皆が皆、三の郭に背を向けて陣取っている。
これ以外にも季の松原城内には、ざっと目で計っただけでも千人もの軍勢が詰めており、城の外に潜んでいる軍勢をも含めると二千人は下らぬのではないか?と思われた。
しかもその人数は刻々と増え続け、このまま推移すれば、さほど日を置かずして五千人を越えるのではないか?
などと、左様な不安が頭をよぎり伊蔵は、自身の力では到底どうにもならぬ状況に忸怩たる思いを拭えないでいる。
斯様な配置をしておるのは、隙をあえて此方に見せ、背後から我らに襲わせる気でおるのだろうと伊蔵は推察した。
そのこころは。
添谷家の奥底に渦巻く黒い内面はともかく外面としては、あくまでも下剋上を企んだ下手人として御社さまを裁き、茅野家の領地を奪い、さらには名声を地におとしめて此の国における政治力の一切を無くす所存なのだろう。
だからあえて隙を作り、我らに配下に軽挙妄動させて御社さまを逃がすため打って出ること待っているのではないか?
さすれば、それを口実に誰憚ることなく御城で乱暴狼藉を働く不埒者として一網打尽に征伐され、添谷家に確実なる大義名分を与えてしまう。
「であれば、たとえ兵庫介殿が軍を率いて参られても、どうにもなるまい」
むしろ軍勢を率いて現れれば最後。
すわ!やはり茅野家は国主さまがまだ幼いのを奇貨とみて下剋上を企んでおったか!
と、世相に噂され、いや、それどころか事実として捉えられるだろう。
もちろん、我らが軽挙妄動して打ちかかっても結果は同じだ。
そして、このままではいずれ兵糧は尽き、外に出るため添谷に頭を下げて降参するより手が無くなる…。
伊蔵はここまで考えて溜め息をついた。
解決策を見出だせないからだった。
「ほほう。ここは見晴らしの善きところじゃな♪」
「うお!?」
不意に真横から声がして、伊蔵は仰け反った。
あまりに考え事に集中していたために、周囲への警戒を怠っていたせいであった。
「これは御社さま!」
「そのままそのまま♪なに、わらわは退屈での、そなたには悪いがしばらくここで暇をしのがせてもらうぞ♪」
ひょいと御出に為られた飯井槻に面食らった伊蔵は、
「…」
と、おもわず無言のままうなずくしかなかった。
「ふししし♪それにしても大層物々しい警固じゃの♪」
「警固、ですと?」
「左様警固じゃ♪お陰さまでわらわは毎夜毎夜、心安らかに安静にして眠ることが出来るのじゃ♪ふししし♪」
飯井槻は伊蔵の悩みもなんのその、陽気な顔をして御殿を包囲する添谷の軍勢をどうやら頼もしく思っておるらしい。
その所為か、伊蔵はなにやら頭痛がしてきた。
「御社さまはアレらが我らを守っておると、本気で御思いか?」
「如何にも♪アレらの警固が厳しいお陰でわらわは無駄に外に出ずとも良いのじゃ♪もしもの、もしもわらわが表におらば、添谷家はもちろんのこと、国主家にいらぬ忠義立てをして出世か褒美を貰おうとするものめらが何処から出て参り、攻め寄せて来るは必定。じゃが、わらわが大人しく御城の一角に引き隠り、添谷家の願い通り表面上は素直に幽閉されておるような身になっておればの、他のものも添谷家の手前、勝手な行動もとれず、わらわも茅野家も安泰なのじゃ♪」
「畏れながら御社さま、その御考えはちと甘すぎではありませぬか?夜討ちに朝駆け抜け駆けが信条なのが武家でござる。特に小身の土豪や野伏などはその中でも顕著な存在でございまするぞ」
「だからこそじゃ♪だからこそ、こうして誰にも触れさせぬよう左衛門尉は固く三の郭を律儀に守っておるのじゃ♪むざむざと主導権を取られぬようにな♪おそらく、此の国中の端々にも自らの威厳を示すため、日夜せっせと睨みを利かせてもおるのじゃろうて、なんとも有難い話ではないか♪ふしししし♪」
この飯井槻の仰りように伊蔵は、だからあのとき御城の外に逃げず三の郭に隠ると申されたのか。と、目からうろこが落ちる思いがした。
「それにしても左衛門尉はアレかの、石橋を叩きまくったあとでないと安心してろくに橋の一本も渡れぬ性分かの♪なんとも難儀なことよ♪」
ふしししし♪
と、またひとしきり飯井槻は面白そうに眼下に陣取る添谷の軍勢を見ながら含み笑いし、「これで兵糧でも差し入れてくれればわらわの感謝の念を文にして手ずから渡してやるのにの♪残念なことじゃ♪」などと云いながら、トントンと矢倉の狭い階段を降りていかれたのだった。




