ひょんひょろ侍【戦国編】重なっていく策謀(3)
おまたせいたしました♪m(__)m
ほんのひとつきほど前、添谷家は下剋上を企んでいるなどと噂され、しかも此の国随一の権勢を誇っていた深志家に付くか付かぬかで意見が別れ、当主である【添谷左衛門尉元則派】と、その祖母である【寿柱尼派】に事実上分裂していた。
深志家がその間隙を突き、混乱に乗じて添谷家の主家か、家中の自陣への取り込みを計り、この望みが叶わぬと見るや【寿柱尼】のもう一人の息子であり、添谷家では三番家老の高位者ながらあからさまに疎まれていた【鱶池金三郎元清】に接近し、ささやかながらも添谷家に楔を打ち込むことに成功していた。
のだが、
「叔父上には悪いですが、添谷家のため利用させていただく許可を許されたこと、深く御礼申し上げます」
と、左衛門尉は寿柱尼に対して慇懃に礼を云い、それに寿柱尼は“こくり”と頷いた。
先程も著述したが、添谷家は対深志外交に於いて家中の意見を分裂していたのだが、これ全て左衛門尉と寿柱尼の話し合いによる謀略で、それは左衛門尉が寿柱尼に提示した【阿呆のふりでもいたしましょう】の一言からはじまった。
以来かれは毎日の日課を固定して、それ以外の雑事や重要ごとは後回しにするか無視する日々を過ごすようになる。
無論、これによって彼自身の評価は大いに下がり、相対的に添谷家にとって国母ともいえる寿柱尼への期待感が増すことも、此の国においては大なる家である添谷家の近隣に所領があるため、致し方なく付き従っている小身の土豪どもの反感が増幅するのを承知した上での仕様であった。
もちろん、これら土豪の押さえは内情を知らされた譜代の重臣たちに任せられていて、元が小勢な土豪たちの、一人では何も出来ぬ不満を吸収させ、ついで土豪らが寄り集まり談合に及ぶのを防ぐ役目を負わされていたのは言うまでもない。
つまるところ左衛門尉は、世間の云う愚鈍でうつけものという評価を自ら進んで作り上げた人物であったのだ。
この謀によって深志側は、『自家の意見すらろくに纏められぬ左衛門尉と添谷家は当家の脅威にならず。当面の間は放って於いてもよい』という気持ちの緩みを産み、誤った情勢判断を持たせることに成功し、また、それでも結束が固い重臣連中の調略があまり上手くいかないとみるや、長年、添谷本家に疑念を抱き、あまつさえ機会があれば当主になろうと無駄な闘志を内に秘めていた鱶池金三郎を抱き込ませることにも成功していたのだ。
「金三郎殿、いやさ、今は【元愚】殿にござりましたね。彼の人なれば当家から去ろうとも痛くも痒くもなく、これを頼りに従う家中もおらず、我らとしては誠に有難い仕儀にござりました」
「もしあれがもう少し機転の効く良い子であれば、家としても別の使いようもあったであろうが、ああも頭が回らぬ子では是非もなし…」
僧侶に立ちもどり、田舎寺で生かしてもろうただけでも結構な馳走と思うて貰わねばならぬ。
そう自らに言い聞かせるように云って寿柱尼は、国主さまの未だ小さな右手を両手で包み慈しむようにさすった。
「おばあさま。こそばゆい♪」
「おお、尼をおばあさまと御呼びになられまするか、可愛いい子じゃ♪可愛らしい男子じゃ♪」
すっかり頬を緩ませた寿柱尼は、自らの膝の上に座らせようと国主さまを招き、
「うん♪」
と、国主さまは首を縦にふり左衛門尉から離れちょこんと寿柱尼の膝へと腰を下ろした。
とても、年相応の仕草とは思えぬ。
国主さまの幼い振る舞いに左衛門尉は疑念を抱き、小首をかしげた。
「して、大膳太夫の扱いはいかになさるのです」
「あの者はあのまま此の城に閉じ込めまする。幸い、彼奴の方から三の郭に棲みかを構えてくれました。もしや茅野領か若しくは新町屋城なりに遁走する積もりであれば、外聞悪かろうとも城内外に隠してある軍勢で圧し包み、丁重にこの城に軟禁するつもりでありましたが、我ら添谷家に運気が巡っておる証拠にござりましょう。向こうから勝手にこの城の一角に居を構えてくれました。有難いことです」
「左様さな。運気が我が家に憑いておるようじゃ」
うんうん。寿柱尼は「確かに確かに」と何度も云いながら頷く。
「なにせあの小賢しき姫御前はアレでも香弥乃大宮の御祭酒様でありますから、殺める訳にも参りませぬ。それ故、先程は逃げるに任せたのです」
「アレは神の依り代でもありまする。手荒な真似はそなたにも慎んで貰わねばなりませぬ。そうでなくては今後、我が添谷家に味方する者もおらぬようになってしまいまする」
「其の点に関しましては心得ておりますれば、ご心配には及びませぬ。そして何より国主さまは我らと共にございます。御安心なされてくださりませ」
国主さまの手を握る寿柱尼の両手に自分の右手を重ねて左衛門尉は、目を閉じて自信ありげな笑みを浮かべて祖母を安心させる。
「そうじゃのう。現に左衛門尉殿の見事な手配りによって、我が家は深志の奴腹めらの今思い出しても忌々《いまいま》しい、身のほどを弁えぬ干渉も其方の知恵に依り手玉にとれましたからね。信頼しておりますよ、左衛門尉殿」
「承知いたしております」
左衛門尉は寿柱尼に向き直り、グッと畳に両手の拳を押し付けて一礼した。
その後、やおや左衛門尉は上座から立ち上がり下座である板間におり、かわって国主さまに仕えるおんなどもが大広間に入ってきて、国主さまと手を繋がれた寿柱尼ともどもたちどころに御殿の奥へと消えていった。
「さてな…」
板間で平伏し、立ち去る国主さまと寿柱尼様を見送った左衛門尉はスッくと立ち上がり、彼に対して深々と平伏している国主家の武者と自身の添谷家の武者どもに向かい。
「大膳が三の郭に入り次第、門前に竹矢来を組み閉門とせよ。そして城下に斯様な噂を流せ、大膳は此の国の乗っ取りを計り国主さまに蟄居を命ぜられた。とな!」
「「「ははっ!」」」
左衛門尉の警護役の人数を残し、めいめいガチャガチャ草刷の音を賑やかに響かせながら御殿から出ていった。
「さてな、この事態に茅野家の御歴々はどうでてくるかな?こちらとしては是非とも兵を挙げて欲しいところではあるがはて、楽しみである」
刻を経ずして【神鹿兵庫介】のもとに届けられた文は、飯井槻さまが季の松原城内は三の郭において百五十名の配下ともども、ほぼ軟禁に近い状態に置かれたことを報らさせたものであった。
兵庫介はまるで操られるが如く、千五百人の将兵を率いて表街道を駆けている。
手紙の差出人が、左衛門尉とも気付かずにである。




