ひょんひょろ侍〖戦国偏〗重なる策謀(1)
兵庫介やひょんひょろ、それに飯井槻さまがやっていることのまとめ話の一回目になります。
お楽しみくださいませ♪
さてさて、箕崎表の戦いに勝利した茅野勢は十日間。三度の飯よりも作事普請が大好きな神鹿兵庫介の指導のもとで、この付近の海岸沿いに点在する小山群の連なりを大いに利用して、神鹿家が本拠地の神鹿山城の防御方策に似た連携式の城塞化を簡易的ながらも終えようとしていた。
「まあまあの、出来だ」
兵庫介は合戦以来ずっと本陣にしていた小山を下り、表街道を西に進み、やがて、この国の守護職である山名家が領有する、見るからに実り豊かな平地の境目にあたる、急峻ではあるがポンと一つだけこんもり盛り上がった丘の頂に至った。
「作事は順調か」
「おお殿様。見ての通りたった今しがた出来上がってござる!」
赤ら顔の右左膳が、汗だくの赤土まみれの顔を更に真っ赤に上気させ、如何にも仕事をやり切ったと云った表情で、馬廻を連れ立ってふらりやって来た自分の主に元気のよい返答をした。
「ふむ。確かに儂が渡した絵図面通りの仕上がりだな」
砦の、本郭代わりの断崖上の平たい土地に床几を据えた兵庫介はドカッと腰かけ、おもむろに手を額にかざしながら、夏の暑い日差しを避けつつ、周囲の現況を苦虫を潰したような顔をしながら見渡した。
「うん?手立てに間違いはないと思うのだが、御不満でも御有りか?」
「いやな。飯井槻さまが御立てになったと聞きし策の為とは申せ、こんなにもつまらない作事をしなければならないとはな。思いもしなかったわ」
なにせこの城塞郡は飯井槻さまの一声があれば明日にでも、一部を残して破砕される代物なのだからな。
ぶう。
唇を鳴らして童じみた異音を発した兵庫介は、なんだ。左様な事かと呆れ顔の左膳を横目に見つつ、遥か遠くまで続く山名領を望み見る。
「よもやとは思うがの殿様よ。まさかこの国にこれ以上首を突っ込むつもりではなかろうな」
グイっと眉間に眉を寄せ、肌脱ぎの左膳が兵庫介の真ん前にズザッと座り、口吸いでもするかのように顔を近付け云った。
「ない」
「なれば安心した」
今後、茅野家がとるべき算段が山名領への侵攻ではないことに安堵した左膳は、でっかい胸板を下げて厳めしい表情を和らげた。
近いよお前、儂に何をする気だ。ああ、鬱陶しい。とっとと離れやがれ。
左膳の汗でぬるっとした顔を手のひらで押しのけ、兵庫介は嗤いながら左膳の胸板をゴンと叩いた。
「うくっ…。相変わらず良い突きをしなさる」
胸骨の下あたりを抑えた左膳が、呻きながらポンポンと兵庫介の肩を叩いた。
「して殿様よ。此処に何しに参った。もしや国の様子に何ぞ変化でもあったのか?」
「甚三郎様を筆頭に、領内や国政を纏め上げている最中だ。それに戍亥様も、御自身の軍勢を上げて御巡回を繰り返し為されておるそうだ。特段の問題はなかろう」
今あっては堪らないが。
「では、なんぞ良い知らせでもあったから参ったのか」
「そうだな、無くはないぞ」
「それは?」
神鹿家随一の猛将にあるまじきワクワクした表情を見せ、ニヤニヤ左膳はまたもズイッと兵庫介に顔を近寄らせた。
「だからお前、顔が近いって言ってるだろ」
ニヤッとしながら兵庫介は、幼い頃より仲良しの左膳の頬を人差し指で払いのけると、小さな声でひょんひょろが旅立つ前に聞かされた。〝飯井槻さま御自ら発案し企画立案した〟機密話を始めたのだ。
それは、今を去ること三年余り前から、飯井槻さまを中心に密かに開始された一つの企みであったという。
当時、彼の深志弾正と【深志一族】が、心からの忠誠を誓う守護職〖国主家〗と、その当主である〖国主様〗の中央政界での哀れな境遇…。
多分にそれは、国主様の子供その物のような幼い自己主張の発現と、これを補い叶えるには余りにも足りなさすぎる〝守護大名としての能力〟の所為なのだが…。
…と、〖国主様〗を中心とした此の国の将来を慮り、国の政務を国主家に成り代わり行い始め出したころ。
のちに、同じく国の未来を憂う飯井槻さま率いる茅野家は、深志家とは異なり〖国主家〗の存在そのものが、此の国の運営そのモノを悪化させる旧態依然とした存在であると判断し、その旗下で碌な働きもせず胡坐をかく家老中老衆と、結果的にその働き自体が混乱を招き、故に、他国の付け入る隙を大いに与える存在になりかねない深志家も排除すべく、【下剋上】を成功させたことは依然述べた通りだ。
さてここで問題となるのは、前記に記した『他国の付け入る隙を与えず』と云う点であった。
どの時代を問わず、何かしらの改革や権力の移譲が行われる際に気を付けなければ、自国を狙う〝他国〟からの干渉であるのは論を待たない。
古の物語に親しみ、古今東西の史書にも大層明るい飯井槻さまは、この点を大いに留意し、自身が茅野家当主に成らざるを得なかった時分よりも以前から、下剋上を企んでいた亡き父である〖茅野六郎寿建〗や、自身の夫となり茅野家を継いだのち一年程で他界した〖茅野右近大夫兼寿〗と、再三に渡り協議を重ねた結果。
他国の干渉を事前に防ぎ、いらざる家の無益な妨害を防ぐため、下剋上の実施には速攻性を重視する事が了承された。
朝廷を筆頭に有力な寺社や将軍家、それに有力武家である山名家や細川家などで構成される中央政界との繋がりを、ただの一国の守護代如きではあり得ないほどに強化して、特に武家では近頃頭角を現せ始めた〖細川右京家〗との連携を、大いに強める方針を打ち出したのであった。
これは即ち、朝廷・寺社・将軍家・山名細川の有力武家勢を【四竦み】の政治的緊張感で取り巻き、それ故に此の国に対して軍事的にも身動きが取りづらい環境を、周囲の国々にまで遍く築いたことを意味しており、よって隣国の山名家などが混乱中の此の国に何がしかの手を出した場合、即座に〝待った〟がどこかしらかの勢力からかかってしまい、例えば茅野家が、今回の防衛戦で一敗地に塗れたとしても、敵方はそれ以上の具体的な行動を生半には移せないことを意味していた。
また他の効果には、此の国の中で、他国の勢力を巻き込み威を借るモノが現れ出でるのも、事前に防ぐ『他に利益を与えたくないどこかしらかの勢力から、何がしかの情報がもたらされる故』などの効果も期待されたのだ。
幸にも、左様な家は結局出ず仕舞いではあったのが、出たところで今度は〖国主家〗への反逆を問われ、誰憚ることなく打ち果たせる大義名分になるだけであろう。
「で、此度は戦に勝てたお陰でな、飯井槻さまの仕事がはかどっている様子なのだ」
「と申すと?」
「銭も大層御入用だったそうだがな、此の国の政務に関する全権を朝廷はもとより、将軍家と細川家から保証されたそうな」
「其れは目出度い」
パラっと兵庫介は、昨日得能家からもたらされた一枚の書状を懐から取り出し、左膳についっと見せてやる。
「なるほど。よくわかんが、文には先程の内容のことが書いてあるのだろう?」
文盲という訳ではないが、難しい言い回しが嫌いな左膳はちょっとだけ字面に眼を這わせただけで飽きた様子で、直ぐにプッと顔を上げてしまった。
「ふふ。お前らしいな。だがな、まだよい話はあるぞ」
幼少の頃より見知った存在である左膳の、そのいつも通りの自然な態度に目を細めつつ、もう一つ、ついさっき届いたクシャクシャになった粗末な紙を取りだして、左膳の前で寛げてやった。
「これは?」
「あの、ひょろひょんからだ」
「ひょっとして、ひょん殿のことで?」
「…左様」
最近、何となくわかって来たのだが、どうやら儂が〖ひょろひょん〗と渾名する、あのひょろく背の高い細身の男のことを他の者が違った言い回しで渾名している気付かされたのだ。
「して、ひょん殿はなんと?」
「すっとぼけたあやつらしい話なのだが、いつの間にか山名本家との和議を纏めたみたいだぞ」
「それも目出度い。道理で向うの山に城を構える山名家の奴らが、今日は嫌がらせの攻めをして来ぬと思ったわ!」
そう言って憚りもなく、兵庫介の真ん前にズンと立ち上がって背を見せた左膳が、平地に拡がる田地を挟み対峙している、山名方の【駒井城】という名の粗末な作りの城とも呼べぬ代物を指差し、大笑いした。
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