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2-4

 そうこうしているうちに、次の満月の日――怪盗リュミエールが予告した決行日がやってきた。


 陽が落ちた頃、ミシェルとコランタンの邂逅以降初めて屋根裏部屋へ戻ってきたリュシアンは、ずた袋にあれこれ詰め込むと玄関の前でミシェルと向かいあう。


 ミシェルは、リュシアンの顔をまともに見られなかった。

 当然だ。ああいう言い合いをしたという気まずさもあるし、ミシェルはこの人が死んだって仕方がないとまで思っているのだ。


 自分が幸せになるために。


 そんなミシェルの姿を見てなにかを悟ったのか、リュシアンはあからさまなため息を一つついて見せた。


 それから、

「なっ……」

 俯いていたミシェルの顎を、長い指でくいと持ち上げた。


「りゅ、リュシアンさん……?」

 しばらくまともに見ていなかったつくりの整った顔が、眼前に現れた。翠色の瞳が拘束するようにミシェルの視線を捕まえる。抵抗しようにもなぜか魔法をかけられたように身体が動かない。


 リュシアンはそのまま、呪文を囁くように言った。


「ミミ、この間はごめんな。――きみが俺を心配してくれてることは、俺だってよくわかってる」

「えっ!?」


 それは、ミシェルにとって思いもよらない言葉だった。


「でも、ごめん。俺はやっぱり怪盗リュミエールでいなきゃ、ダメなんだ」

「……ええと、その、はあ」


 なんと言っていいのかわからないまま口から漏れた生返事を肯定と受け取ったのか、リュシアンは満足げに頷くと、いつもより些かしっとりとした、しかしとても魅力的な笑顔を浮かべる。


「分かってくれて嬉しいよ、ミミ。いってらっしゃいのキスは?」

「えっ」

「冗談だよ。――いってきます」


 名残惜しむように一度頬を撫でると、リュシアンはずた袋を担ぎ直してミシェルに背を向けた。そのままドアノブに手を掛け、今にも部屋を出て行こうとしている。


「あ、あのっ……」


 その背中になにか言わなければいけないのは分かっていた。だが、なにを言えばいいのか、なにを言いたいのかは自分でもよくわからず、

「――き、気をつけてくださいね?」

 気づけば口から飛び出していたのは、そんな言葉だった。


「俺がヘマするわけないだろ」

 リュシアンは、自分がなにを言ったのかもよく理解出来てないミシェルを背中越しに振り返り、白い歯を見せていたずらっぽくウインク。


「それじゃ、いってきます」


 ばたん、と立て付けの悪いドアが閉まり、

「……いってらっしゃい」

 後には呆然と立ち尽くすミシェルだけが残された。


「…………」

 なんだか、熱に浮かされたように頭がぼうっとして、思考がうまく働かない。


 ミシェルはそのまま、ぼうっとしたまま軽い夕食を摂り、ぼうっとしたままその片付けをし、ぼうっとしたまま細々とした仕事を済ませて、ぼうっとしたままベッドに入った。


 そしてぼうっとしたまま目を閉じると――瞼の裏に突如鮮明に浮かぶのは、鋭利な刃物がかすめたように肩口の大きく裂けてしまった外套。


 コランタンは怪盗リュミエールを殺すと言った。

 コランタンがミシェルにちらつかせた投げナイフ。あれが今度は外套では済まなくて、本当に怪盗リュミエールの心臓を貫く。

 そうやって、怪盗リュミエールは死ぬ。


 ――リュシアンは、死ぬ。


「……それでいいわけ、ないじゃない」


 ミシェルは胸の中に溢れかえる黒いもやもやに堪えきれず、ベッドから身を起こした。


「……あなたの言う通りですよ」

 ミシェルは胸の中のもやもやを吐き出すように、暗闇に向かって一人ごちる。


 このもやもやの正体に、本当はもうとっくに気がついていた。


「わたしは、あなたが心配で心配でたまらなかったんです。向こう見ずで、うぬぼれ屋で、我が強くって――わたしの家族たちに、そっくりだから」


 このもやもやの正体は――心配という感情だ。その正体に気づかないふりをしていたのは、自分が抱えるリュシアンへの想いを認めるのが怖かったからだ。


 リュシアンと初めて出会った時から、ミシェルは直感的に気づいていた。

 この人は多分、このままではいつか人の恨みを買ったり、自分の力を過信してなにかとんでもない無茶をしたりして、ろくでもない死に方をする人だと。

 ――わたしの家族たちと同じように。


 だから、ミシェルは極力、リュシアンに心を許さないようにしていた。あくまで怪盗じっこうはんとお針子きょうはんしゃの関係を崩さず、相手に踏み込むことも、踏み込まれることも避けようとした。


 自分のことを愛称で呼ぶことを突っぱねていたのもそのためだ。

 ミミ、と子猫を慈しむようにミシェルを呼んでくれた家族たちは、みんな死んでしまった。


 あんな思いは、もうしたくなかった。


「……はずなのに」

 ミシェルは結局、リュシアンを心配してしまっている。

 それはつまり、ミシェルは――


「――ああ、もう!」

 ミシェルは薄い毛布をはねあげると、ベッドから降り、窓際のテーブルに座る。置きっ放しになっていた裁縫箱を開くと、窓から差し込む満月の月明かりを頼りに針に糸を通し、適当な端切れをひっつかんで闇雲に針をくぐらせた。


 あの頃はこうすれば、なぜか無心になれた。目の前の作業に没入することで、どこまで続いていてくれるかわからない未来に対する不安も、この先どうなってしまうのだろうという心配も、どこか遠い世界の出来事のように錯覚できた。


 けど、今は。


「……リュシアンさん」


 脳裏にはあの印象的な笑顔ばかりが浮かんで、それは一向に消えてくれない。


 確かにリュシアンという人間は、ミシェルの人生において、できれば関わり合いにならずに生きて行きたかった種類の人だ。


 だが、ミシェルの作る服を初めて褒めてくれたのも、家も、身寄りも、社会的地位さえも失くして一人ぼっちだったミシェルに、歪ながらも救いの手を差し出してくれたのも、間違いなくあの人だ。


 あの人のあり方は、きっとこの社会では正しくない。

 神様だってきっと、彼の生き方には顔をしかめていることだろう。


 それでもどんな運命のいたずらか、こうして出会い、ともに歩くことになってしまった以上、ミシェルはリュシアンが大切で、心配で、失くしたくなかった。


 そうでなければミシェルはまた、一人ぼっちになってしまうのだ。

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