カルテ08 山田が語る 競馬の話
久しぶりに山田が診察室へ入ってきた。
「こんにちは。お久しぶりです」
「お久しぶりですね、山田さ……」
中山は顔を上げ、いつものように笑顔で迎えた。しかし、山田の姿を見た時、中山は一瞬止まって二度見をする。
「……山田さん、痩せました?」
「ああ、分かります?」
「分かりますよ。以前よりかなりすっきりしています」
山田は自分の腹を見下ろして、少しだけ笑った。
「体重はどのくらい変わりました?」
「8キロくらいです」
「8キロ?」
中山は思わず聞き返した。
1か月ほど前の山田を思い出す。
中年太りとまでは言わないが、山田はもともと少し丸い印象だった。それが8キロも体重が落ちたことで、以前より明らかに細くなっている。
気のせいで済ませられる程度ではない。
中山の中に、少しずつ不安が膨らんでいく。
人間関係や家族のことで、精神的に大きな負担を抱えているのではないか。
食欲が落ちているだけならまだいい。眠れていなかったり、気分が落ち込んでいたりする可能性もある。
中山は医師として、いくつもの可能性を考えながら、言葉を選び、慎重に問診を始めた。
「何か、最近大きなストレスを感じるようなことはありませんでしたか?」
「特には何も」
「生活環境が変わったとか、仕事で何かあったとか」
「それも無いです。相変わらず色々聞こえはしますが、先生の言う通り、気にしないようにしています」
山田はそう言って、いつもの調子で笑った。
その言葉に、中山は少しだけ安心した。
少なくとも、以前より症状に悩まされている様子はない。仕事も続けているようだし、生活そのものが大きく変わったわけでもないらしい。
それでも、8キロという数字だけは引っかかった。
「それで……どうして、8キロも痩せたんです?」
「そのことですか」
山田は何でもないことのように言葉を続ける。
「実はですね、ちょっと変わった体重計に出会いまして」
その話を聞いた瞬間、中山は少しだけ嫌な予感がした。
山田は1か月前の出来事について語り始めた。
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1か月ほど前、修はある夫婦の家へ洗濯機の出張修理に向かった。
依頼内容は、ドラム式洗濯機から水が漏れるというものだった。
少し前の機種ではあるが、修にとっては珍しい修理ではない。
症状を聞いた時点で、内部の排水系統に使われている蛇腹ホースの劣化が頭に浮かんでいた。年数を考えれば、亀裂が入っていてもおかしくない。
念のため、その機種に合う交換用のホースも持ってきている。
修はまず、洗濯機を点検モードに切り替え、空のまま動かしてみた。
少しだけ給水させてから、今度は排水の動作に入る。
洗濯機の中から水が流れる音が聞こえた。
修はしゃがみ込み、洗濯機の下の様子を確認する。
排水ポンプが動くと、洗濯機の下のほうから、結構な勢いで水がボタボタと落ち始めた。
「ここですね」
修は漏れている場所を確認すると、奥さんに声をかけた。
「やっぱり下から漏れてますね」
「そうなんです。洗濯すると、床が濡れてしまって……」
修は漏れの量を確認しながら軽く説明をする。
「実はこの機種、長く使っていると、排水のホースが少し弱くて、よく破れるんです」
「そうなんですか?」
「はい。おそらくホースに亀裂が入っていると思います」
修はそう説明すると、必要な工具を取り出した。
「確認するには少し分解する必要があります。ホースを交換すれば直ると思いますので、このまま作業してしまいますね」
「お願いします」
奥さんがそう答えると、山田はすぐに洗濯機の分解に取りかかった。
分解を始めて数分もしないうちに、いきなり声をかけられた。
<兄ちゃん、ちょっと聞いてくれよ>
「……だれ?」
最近は家電の声が聞こえないと思っていたのだが、完全に油断して反応してしまった。
声のしたほうを見ると、そこには少し大きめの体重計が置かれていた。
修はしまったと思いながらも、聞こえないふりをして洗濯機の修理に集中する。
<おもろいレースがあるんやけど、兄ちゃんも一口乗らへんか?>
修に話しかけてきた体重計は、国内メーカーが製造した高性能な体組成計だった。
そのメーカーは、家庭用の体重計だけでなく、医療分野の機器も手がけている、健康機器では国内でも有数の企業だった。
そんな企業イメージとは裏腹に、体重計の喋り方は、まるで競馬場のあちこちに転がっているオッサンそのものだった。
<あのな、ワシな、体重計やねん>
修は、なんだか酔っ払いに絡まれているような気分になった。
<ただの体重計やあらへんねん。Wi-Fiにつながんねん>
<でな、オレらデータを持ち寄って、レースしとんねんw>
体重計がレース?
修には、いまひとつ話が見えなかった。
そもそも、体重計同士がデータを持ち寄ってレースをするという発想自体がおかしい。
喋り方も含めて、どう考えてもまともな体重計には思えなかった。
修は完全に無視することに決めた。聞くだけ無駄だ。
<この家のにぃちゃん、今期の有望株やねんw>
修は眉をひそめた。
なんだ、コイツ?
<馬体重が順調に増えとる。ええ感じや>
<この分やと、今月の全国レースで10位以内確実や>
「……なんのランキング?」
修は意味が分からず、つい興味本位で聞いてしまった。
<体重増加レースや!>
「……は?」
<全国のつわものがな、自慢の馬体重を持ち寄って競っとるんや>
体重計が、自分の主の体重を持ち寄って、どれだけ増えたかで競争している……。
健康機器として、それはどうなんだ?
いや、どうなんだではない。
最悪すぎる。
<この家のにぃちゃんはな、新婚さんやろ?>
<毎日、奥さんの手料理を残さずペロリや>
<夫婦仲もええ。毎日キャッキャウフフや>
<そらもう、馬体重も順調に増えるっちゅうもんやw>
<ランキング上位を狙えるワシも、毎日キャッキャウフフやw>
「…………」
<先週な、先頭を走ってたやつが脱落しよってんw>
<疾病が発生して、出走取り消しやw>
修は、洗濯機の前部カバーを外しながら、自分の腹を見た。
42歳になったおっさんの腹は、少しだけポッコリとしている。
下部カバーのネジを取り外して、目的の蛇腹ホースを確認する為にしゃがむと、このポッコリおなかが少し気になる。
シャツの下では、おそらく3段くらいに分かれているのだろう。
<兄ちゃんも、なかなかええ馬体しとるでw>
<体重計買って、兄ちゃんも参加したら重賞狙えるかもしれんで>
<今から鍛えたら、来年にはもっとええ馬体になるでw>
修は、バネ式のアナログ体重計を買おうと心に決めつつ排水ホースカバーを外す。
洗濯機の水漏れは、やはり予想通りの場所だった。
水漏れしていた蛇腹ホースを交換し、修理は無事に終了した。
<お、期待の新星が帰ってきよった!>
『ただいまぁ~』
『おかえりィ~』
さすが新婚さんである。
人目もはばからず、玄関先でキャッキャウフフしている。
修は、ちょっとうらやましいなと思いながら、洗濯機を組み立てていく。
『そう、ホースから水漏れなんだって。でも部品あるから、すぐ直るって』
新婚さんが会話しているのが聞こえてくる。
『今日さぁ、会社で健康診断があったんだけど、太りすぎって言われちゃったよ』
『えー、シュンくん、ぽっちゃりでも、か・わ・い・い~』
<なんかちょっとハラ立つけど、いい奥さんだよなぁw>
『アオイのつくってくれる料理がおいしいからだよ♥』
<量がバグってるけどなw>
上部パネルの最後のネジを締め終わると、修はそそくさと片づけに入る。
『でも明日からダイエットしないとね』
<あ? ちょいマテ、何言っとんねん!>
「修理完了しましたー」
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「で、ダイエットを始めたと……」
中山は、少し驚いたように山田を見る。
それにしても、たった1か月ほどで8kg。
これまた、とんでもない理由でダイエットを始めたものだ。
しかし、その理由はともかく、実際に8kgも落としてしまう山田の実行力には、中山も驚かされていた。
「ちゃんとアナログの体重計を買いました」
山田はドヤ顔で、自慢げに腹をポンポンと叩く。
そういえば、中山もそろそろお腹周りが気になり始めている。
医者の不養生ではないが、人間ドックでやや不審な値が出ていたことを思い出した。
話を聞くと、山田は毎朝軽く1時間走っているらしい。
「確かに、毎朝光を浴びること、軽い運動をすることなどは、体の調子だけではなく、心の調子にも重要なことですからね。もしかしたら私も、山田さんのように少し運動するべきかもしれないですね」
「そうですね。私の場合、いきなり走り始めたので、初日で軽く足を痛めまして」
「みんな出来ることではないですからね。山田さんの行動力を見習いたいものです」
「先生も、いきなり時計を出そうとしない方がいいですよ」
「そうですね。……時計?」
「無理にペースを上げずに、じっくり身体を仕上げた方がいいです」
「あ、はい」
「私のように最初から飛ばすと故障しますから、最初は軽く流すくらいでいいと思います」
「山田さん、ダイエットの話ですよね?」
「はい。最後の週は私もギリギリまで追い込んで、2kg減です」




