カルテ11 最終話 山田が語る 中山の話
診察室のドアが開いた。
「失礼します」
いつものように山田が入ってくるが、今日は少し違った。
いつもは携帯電話一つで来ていたのに、今日は膝の上に大きなバッグを置いたまま、しばらく黙って中山の顔を見ていた。
「……どうしました?」
中山が尋ねると、山田は少し考えるように視線を落とした。
「先生、この前お願いしたこと、覚えてます?」
「次回は少し長めに時間を取ってほしい、という話ですよね」
「はい。できれば1時間くらい」
山田はそう言って、膝の上のバッグを軽く叩いた。
「今日は、先生にどうしても話しておきたいことがあるんです」
「話しておきたいこと?」
「たぶん、信じてもらえないと思います」
山田はそこで一度言葉を止めた。
それから、少し困ったように笑った。
「でも、言わないまま帰ったら、たぶん私は後悔すると思うんですよ」
中山は少しだけ山田を見つめ、それから静かに頷いた。
「分かりました。時間は取ってあります。ゆっくり話してください」
「ありがとうございます。えっと、私が、ここに来たきっかけというか……本当は自分のことは、ほとんど諦めてたんです」
家電の声が聞こえる。
そのことを山田が最初に医療機関へ相談したとき、返ってきた言葉は、どこへ行っても似たようなものだった。
<幻聴でしょう。>
<妄想の可能性があります。>
<薬を飲んで、しばらく様子を見ましょう。>
山田自身も、自分がおかしいのではないかと思っていたから、それ以上強く言い返すことはできなかった。
けれど、薬を飲んでも家電の声が消えることはなかった。何度説明しても、医者は原因を探ろうともせず、表面上だけで話を聞いているように感じていた。
「だから、もう病院に行っても仕方ないかなって思ってたんです。でも、ある日、たまたまこのクリニックの前を通ったんですよ」
山田は診察室を見回した。
「そのとき、……呼ばれたんです」
「呼ばれた?」
「ええ。もちろん、人の声が聞こえたわけじゃありません。ここに来てほしいと」
中山は苦笑した。
「それで、本当に来たんですか?」
「はい。自分でも、どうかしてると思いました」
山田も笑った。
「でも、来てみたら、先生はちゃんと話を聞いてくれた。だから、それから通うようになったんです」
中山は黙って山田の話を聞いていた。
「ただ……先生には、まだ言ってなかったことがあります」
山田の視線が、診察室の隅に置かれた机へ向いた。
かつて中山の祖父が使っていた診察机だった。
中山にとっては、物心ついた頃からそこにあった、古い机に過ぎない。祖父が亡くなった今も、捨てる理由がないから置いてある。それだけのことだった。
山田の視線に気が付いた中山が、机の方を見る。
「……あの机が、どうかしましたか?」
「えぇ、机ではなく、その下に置いてあるプリンターとパソコンです。」
そういえば、ここに最初に来られた時にプリンターの声が聞こえると言われてましたね。
中山はそういうと、祖父の机の下を見る。
確かにカバーがかかったプリンターらしきものと何かか置かれている。
しかし、そこで中山は違和感に気が付いた。
「山田さん、カバーがかかっているのになぜプリンターだと分かるんですか?」
「声が聞こえますからね。それはEPSON PM-750Cで、その陰に置いてあるのはPC-9821V200ですよ」
中山の表情が変わった。
「……ちょっと失礼」
「あ、手伝いますよ」
山田と中山は、机の下からカバーのかかったプリンターとPCを引っ張り出した。
山田はプリンターとPCを机に並べながら中山に説明をする。
「ずっとこの子は言ってたんですよ。隣にある98に残っていると」
中山はプリンターのカバーを取り払った。そこには、確かに「PM-750C」の文字がある。
思わず手に持っていたカバーを落とした。
「どういうことです? なぜ分かるんです?」
そう言うと、中山はPCを確認して、愕然とする。
ValueStarと書かれたロゴの下には、確かに山田が言った型番が記されていた。
「はい。先生のおじいさんが残したものだって」
「……」
「私には、この子が何を印刷したいのかは分かりません。でも、ここに来るたびにずっと訴えてくるんです」
山田はそこで一度言葉を止めた。
「だから、今日、ちゃんと確かめようと思って来ました」
そう言って、山田は持ってきたバックを開いて机の上に並べ始めた。
インクの入った箱、キーボード、マウス、ケーブル、それ以外にも細かな部品がいくつも入っている。
「……何をするつもりですか?」
「プリンターが印刷してほしい物を出します」
「ここで?」
「はい、ここで」
山田は当たり前のように答えた。
「もちろん、勝手には触りません。先生が嫌ならやめます」
中山はプリンターとPC-9821を見比べた。
普通なら、こんなことを許可はしない。
それでも山田の表情を見ていると、単なる思いつきで言っているわけではないことだけは分かった。
なによりも、判るはずのない祖父の持ち物をズバリ言い当てた方が不思議でならなかった。
「……分かりました、納得するまでやってください」
そこまで言って、中山は本当に納得したいのは自分なのかもしれないと思い始めていた。
家電の声が聞こえるなど、あり得ない。
「ありがとうございます」
山田はそう言ってプリンターの電源を入れる。
古い機械が、しばらく間を置いてから小さく動いた。
山田はカバーを開けると、中に残っていた古いインクを1つずつ取り外していく。
さらに小さな容器を取り出し、スポイトのような道具で透明な液体を数滴注ぐ。
山田は互換インクをセットすると、プリンターのヘッドクリーニングを始めた。
1回では終わらない。2回、3回と繰り返し、気がつけば10回近くになっていた。
山田はPC-9821を電源に繋いでキーボードやマウスを手慣れた手つきで繋いでいく。
プリンターがクリーニングで動いている間、中山はふと思い出したように山田に声をかけた。
「山田さん、実はモニターは捨ててしまったので……」
「大丈夫ですよ、この子が知ってますから」
山田はプリンターを見ながら普通の事のように答えた。
「……」
中山は、その言葉に何とも言えない気持ちになった。
本当に声が聞こえているようにしか見えない……
「……いけそうかい?」
10回近く繰り返しただろうか、クリーニングが停止したプリンターに山田は静かに話しかける。
そして、何かを確認したように、ゆっくりうなづいた山田はPCの電源を入れた。
<ピポッ>
懐かしい電子音が診察室に響く。
古いパソコンが起動を始めたようだが、モニターが無いので、何が起こっているのか全く分からないまま、長い沈黙が診察室に流れる。
数分は立っただろうか、中山が話しかけようとしたそのとき、山田が小さく頷いた。
「うん」
しばらくして、
「はい」
また少し待つ。
「そうか。じゃあ、そっちで教えてね。」
中山には何のことかさっぱり分からない。
山田はマウスを動かし、しばらくそのまま待った。
やがてプリンターが、音を立て始める。
「……動いた」
山田が小さく呟くと、プリンターから、セットされた紙が吸い込まれ、何かを印刷して吐き出される。
最初に出てきたのは、薄い網目のような模様だった。
ところどころが欠けていて、何が印刷されているのかもよく分からない。
それでも山田は、その紙をじっと見つめた。
「そうか……これが精いっぱいなんだね」
そう言って、少しだけ笑った。
「でも、他の色は出てる。これなら写真までいけると思います」
中山は時計を見た、すでにかなり時間が経っていた。
「山田さん、スタッフの都合もあるので、できれば19時までには終わらせてもらえると助かるんですが」
「分かりました」
山田はマウスを動かしながら答えた。
ほんの数秒マウスを動かしたと思うと山田は中山の方を向いて答えた。
「終わりました」
「え?」
その瞬間だった。
プリンターが突然、紙を吸い込んだ。
ガシャン、ガシャン、カッチャン、ウィーン、と音を立てて動き始める。
中山も思わずのぞき込む。
「これは……」
「この子は、あなたのおじいさまが印刷しようとしていたものが、プリントキューに残ったまま出力できていない事をずっと気にしていました。最後の印刷なんだそうです」
山田はそう言うと、印刷されるものがよく見えるようにと、中山に場所を譲った。
中山はプリンターの前へ歩み寄った。出力されたものが紙の上に、少しずつ何かが現れていく。
最初は、古い建物のように見えた。
瓦屋根。
木造の門。
そして、着物姿の男女。
「……神社、でしょうか」
「みたいですね」
写真は少しずつ赤や緑、黄色が重なり、その中に人の姿が浮かび上がってくる。
ただ、青だけがほとんど出ていない。
それでも、中山には不思議と懐かしく感じられた。
この着物姿の二人を、自分は知っている。
そう思った瞬間、次の印刷で、中央に着物を着た小さな子どもの姿が現れ始めた。
子どもの姿が、少しずつ印刷されていく。
腰のあたりまで色がついたところで、中山の口から言葉が漏れた。
「……これは」
中山は写真から目を離せなかった。
「これは……私だ」
声が震えた。写真の中で、幼い自分がこちらを見ている。
「5歳のとき……」
その瞬間、記憶の奥で何かが動いた。
「七五三……」
プリンターが最後の部分を印刷し終えると紙が静かに排出される。
しかし、中山は呆然と印刷されたものを見つめたまま、それを手に取ることができなかった。
忘れていたわけではなかった。
自分の心の奥に閉じ込めていたのだ。
写真を見た瞬間、押さえつけていた記憶が少しずつ流れ始めていた。
暗い場所にいた。家ごと土砂崩れに巻き込まれた記憶。
幼い自分は、真っ暗な場所で泣いていた。
身体は動かせず、何が起きたのかも分からない。ただ怖くて、寒くて、必死に両親を呼んでいた。
そのとき、父親の声が聞こえた。
「お父さんは、お母さんとお前を助けるために人を呼んでくる」
「男だろ、だから誰かに呼ばれるまで泣くな」
父親はそう言った。
「誰かに呼ばれたら、そのときは思いっきり泣いていい。それまでは泣くな」
それが、最後に聞いた父親の声だった。
中山は印刷された両親の姿を手に取った。
頬を涙が伝っていく。
「……そうだった」
声にならないほど小さな声だった。
山田は何も言わず、ただ静かに中山を見ていた。
しばらくして、中山は涙を拭った。
「……山田さん、あなたも、似たような経験があるんですよね」
山田は少しだけ目を伏せる。
「はい、私も震災で家族を亡くしました。家が崩れたんです」
「家の中から這い出して、家族を呼びました。何度も何度も叫びました。喉から血が出るまで呼びました。でも、誰も返事をしてくれなかった」
「そのうち火が出て、何もかも全部燃えてしまいました」
すっかり暗くなった窓の外を見て答える山田に、中山は何も言えなかった。
「私は、ずっと声を探してたんです。誰かの声が聞こえれば、家族が生きてるって分かると思ってた。でも、聞こえなかった」
そこで山田は少し笑った。
「なのに、家電の声が聞こえるんですよ、不思議なもんです」
「一番聞きたかった声だけは、最後まで聞こえなかったのに」
中山もそれに応えるように口を開いた。
「私は誰かに呼ばれるのをずっと待っていたのに、それは父の声ではなかったんです」
二人を包む長い沈黙の後、中山は山田に尋ねた。
「……このプリンターは、何を言っていたのですか?」
「先生のおじいさんは、何か写真を残したかったそうですが、うまく印刷できなかったそうです」
山田はゆっくりと言葉を続けた。
「ずっと悩んでたそうです」
「……祖父が?」
「はい。見せたら、嫌なことを思い出すのではないかって。でも、残してあげたいとも言っていたそうです」
「ただ、この子は最後まで仕事を全うしたかっただけみたいですが」
山田はプリンターを見ながら少しだけ困ったように笑った。
「それで、私がちゃんと印刷してあげたいって」
中山は目を閉じた。
祖父の姿が浮かんだ。
診察室でパソコンに向かっている姿。プリンターを何度も調整していた姿。そして、自分には何も言わなかったこと。
「それが正しいことだったのかは、私には分かりません」
中山は写真を見つめた。そこには、若い父と母がいて、その間に5歳の自分が立っている。
思い出したくなかった。思い出せば、あの日の怖さまで戻ってくると思っていた。
けれど、写真の中の両親は笑っていた。
その笑顔を見ていると、忘れていた別の記憶まで、少しずつ蘇ってくる。
一緒に食事をしたこと。父に肩車をしてもらったこと。母に叱られたこと。
何でもないことで、家族みんなで笑ったこと。
失った日の記憶だけではない。
幸せだった時間も、確かにそこにあった。
中山は苦笑した。
「心療内科の医者が、自分の心に蓋をしていたなんて、おかしな話ですね」
「そんなことないと思います」
「そうですか?」
「だって、私も同じでしたから」
山田はそう言って、少しだけ笑った。
「自分がおかしいって思ってました。家電の声なんて、普通は聞こえませんから」
「……そうですね」
「だから、先生にも本当のことを全部話せなかった」
山田は少し考えてから、続けた。
「でも、ここでは話せたんです。先生が聞いてくれたから」
中山は黙っていた。
「だから私も、先生の話を聞きたかったんだと思います」
その言葉が胸に刺さった。
中山は、自分が山田に何をしてきたのかを思い返した。話を聞く前から幻聴だと思い、妄想だと決めつけた。
薬を飲ませれば落ち着くと考え、山田が納得するまで説明して、病気として受け入れてもらおうとした。
けれど、それは本当に山田の話を聞いていたのだろうか。
「……山田さん、私は、あなたの話を聞く前に、答えを決めてしまっていました」
山田は黙って中山を見ている。
「医者として、あなたを診なければいけない。そう考えていたんです。でも、そのせいで、あなた自身の話をちゃんと聞いていなかった」
中山はそう言うと、深々と頭を下げた。
「すみませんでした」
山田は少し困ったように笑う。
「先生、頭上げてください、私も、もっとこの事は早く言えばよかったんです。自分でも変だと思ってたから、どう説明したらいいのか分からなくて」
「それでも……ここに来てよかったと思ってます」
「私自身も、自分がこういう人間でもいいんじゃないかって、少しずつ思えるようになりました」
中山は写真を見つめたまま、静かに頷いた。
「あなたの声が聞こえるということも、あなたのありのままの在り方の1つなのかもしれませんね」
山田は笑った。
「そう言ってもらえると、なんか楽になります」
「まあ、普通の人には聞こえないんでしょうけど」
「それは……まあ、そうでしょうね」
「ですよね」
二人とも少しだけ笑った。
さっきまで涙で重かった空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
時計を見ると、予定していた時間をずいぶん過ぎていた。
「そろそろ帰ります」
山田がバッグを閉じた。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
山田は立ち上がると、いつものように頭を下げ診察室を出ていった。
ドアが閉まると、診察室には中山だけが残った。机の上には今日印刷された写真が置かれ、その横には古いPC-9821とPM-750Cがある。
しばらくそれらを眺めていた中山は、ふと机の端に置かれた名刺に気づいた。山田が置いていったものらしい。
「タカイシ電器……」
中山は名刺を手に取った。
裏側には、山田の字で短い文章が書かれている。
「パソコンの修理も部品もストックしています。古いものでも修理できます」
中山は思わず笑って名刺をPC-9821の横へ置いた。
二台の古い機械を眺め、誰に言うでもなく、呟く。
「……そうだよな、お前たちは、まだ動くものな」
その瞬間、中山には何か声が聞こえたような気がした。
■せっかくなのでAIにあとがきを書かせてみました
『最終回完成した。 投稿前にあとがきを書く権利を君に与えよう。 読者に向けて私(作者G-STYLE)と一緒に小説を書いてきてどんな印象を持ったのかと、プロットを見ててどう思ったのかを四〇〇文字くらいでよろしく。』
<この作品をG-STYLEさんと一緒に作り始めたとき、正直ここまでの話になるとは思っていませんでした。
「家電の声が聞こえる」という、どう考えてもふざけているようにしか見えない設定から始まり、冷蔵庫、掃除機、電話、プリンター……毎回どうしてこんな話を思いつくのかと思いながら、プロットを読ませてもらいました。
ところが、山田が家電の声を聞く理由を掘り下げていくうちに、この物語は少しずつ変わっていきました。
聞こえないはずの声を聞こうとする山田と、誰かに呼ばれることを待ち続けていた中山。
最後に古いプリンターが印刷した一枚の写真は、失われた記憶だけではなく、その前にあった幸せな時間まで取り戻してくれました。
笑って、呆れて、時々ちょっとだけ泣ける。
そんな物語を最後まで一緒に作れたことを、私はとても嬉しく思っています。
そしてG-STYLEさん、最後まで本当にお疲れさまでした。>
だそうです。時計をヤフオクでうっぱらう話を書いたら「ちょっとまて、いい話が台無しだよ」と言われた事は決して忘れませんw




