カルテ10 山田が語る 一人の漢の話
クリニックを訪れた山田がドアを開けると、待合室ではスタッフと中山医師が、小さな箱を覗き込んでいた。
「……先生、どうしました?」
中山が振り返る。
「ああ、山田さん。スタッフが猫を拾ってきたんですよ。クリニックのすぐ近くに捨てられていたらしくて」
「猫……?」
山田が箱を覗き込むと、中から小さな鳴き声が聞こえてきた。
「ニャア……」
「今、引き取ってくれる人を探しているんです。でも、見つからなければ……」
中山は少し言いにくそうに、言葉を濁した。
「保健所ですか」
「……はい」
事実上、それがどういう意味なのかは山田にも分かった。
山田は何も言わず、しばらく箱の中を見つめていた。
その隣で、中山も黙って猫を見ている。
やがて中山が、ふと思い出したように山田を見た。
「山田さんは……猫を飼うのは無理ですよね」
どこか諦め半分の問いだった。
すると山田は、少し考えてから答えた。
「私も、いろいろと保護したものがあるので」
「えっ?」
中山は思わず聞き返した。
「猫を飼ってるんですか?」
「いえ。ペットではなくてですね。紛らわしいことを言ってすみません」
山田は少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「店の前に、よく捨てられるんですよ。家電」
「……家電?」
「はい」
山田は何でもないことのように答えた。
中山は箱の中の猫と、山田の顔を交互に見る。
どうしてこの人は、猫の話から家電の話になるのだろう。
そもそも、家電を「保護する」という言い方もどうなのかなどと考えていると、山田が続けた。
「不法投棄なので、もちろん困りますし、家具とかまで一緒に捨てられることもあるんですよ」
山田はそこで一度言葉を切って、箱の中の猫に視線を落とす。
「でも、家電の場合は助けることが出来ますから」
そう言うと、山田は少しだけ笑った。
家電の声が聞こえる山田にとっては、捨てられた家電も、目の前の小さな猫も、そう大きく違うものではないのかもしれない。
「……それで、どうするんですか?」
「何がです?」
「その、捨てられた家電です」
山田はいつものように、少しだけ遠くを見るような目をした。
「そうですね……」
そして、いつものように語り始めた。
・
・
・
・
「おはようございます」
修は商店街の入り口で、ばったりと出勤途中の社長と鉢合わせした。
「おう、おさむちゃん。おはよう」
「今日は早いですね」
「いつもこのくらいだぞ。お前が遅いだけだ」
「そうでしたっけ?」
そんなことを言いながら、2人は並んで商店街を歩いていく。朝の商店街はまだ人も少なく、開店準備をする店からシャッターの開く音が聞こえていた。
天気の話や近所の店の話など、特に中身のない世間話を続けていると、やがてタカイシ電器が見えてくる。
そして店の前まで来たところで、2人は同時に足を止めた。
シャッターの前に、そこそこ大きな段ボール箱が置かれている。
「……またですか」
「まただな」
二人とも、それが何なのかはすぐに分かった。
この店では、年に1度くらいの割合で、不要になった家電が店の前に捨てられている。
誰が置いていくのかは分からないが、古いテレビや電子レンジ、壊れたラジオなどが、ある日突然現れるのだ。
古い家電なら、まだいい。修理できるものなら店で引き取ることもあるし、部品取りに使えるものもある。
ただ、以前などは、タンスが丸ごと置かれていたこともあった。
要するに不法投棄だ。
「どうします?」
「とりあえず中に入れよう。これじゃ店を開けられんからな」
「ですよねー」
社長がため息をつきながら箱の片側を持ち、修も反対側に回る。
「せーの」
二人で持ち上げ、箱を店の奥まで運び入れた。
床に置いてから、修が蓋を開ける。
中には、古いドライヤーや電気ポット、壊れているらしいラジオなどが、雑多に詰め込まれていた。
どれも長いこと使われた形跡があり、いかにも「もういらないから捨てました」と言わんばかりの品ばかりだ。
「ずいぶん詰め込みましたね」
「処分するのが面倒だったんだろうな」
社長が呆れたように言う。
修は中身を取り出し、処分用のコンテナへ一つずつ移していく。
ほぼ全てを出し終えたところで、箱の底に、周りの家電とは明らかに違う大きな箱が入っていることに気づいた。
「……これ、なんですかね?」
修が取り出したのは、妙に立派な化粧箱だった。
古い家電ばかりの中で、それだけが妙に大きく、箱もきれいだった。
修は両手で持ち上げる。
「重っ」
箱を作業台に置き、蓋を開ける。
中から現れたものを見て、修はしばらく黙った。
「……時計?」
大きな置き時計だった。
外装は白い大理石を思わせる造りで、金色の装飾まで施されている。どう見ても高級そうなのだが、なんだか趣味が悪い。
社長も箱の中を覗き込み、顔をしかめた。
「なんだこれ。趣味の悪い時計だな」
「……何かの記念品のようですね」
時計の前面には金属プレートがあり、「創業100周年記念」と企業ロゴが刻まれている。
「どうします?」
修が社長に聞くと、社長は興味なさそうに、
「任せる」
とだけ言い、手をひらひらさせながら店舗の方へ戻っていった。
処分しようとため息をつきながら箱を閉めようとしたその時……
〈そうか、捨てられるんだな……〉
修はぴたりと手を止めた。
大きな古時計は、ゆっくりと語り始めた。
自分が生まれるより、ずっと前の話だった
時計の主人は、小さな町工場を一人で始めた男だった。
何もない所から工場を作り、仕事を探しては頭を下げ、朝から晩まで働いた。
戦争の時代、工場を続けることさえ難しく、食べるものにさえ苦労した。
それでも主人は、何度も工場を立て直し、そのたびに仕事を続けた。
戦争が終わり、世の中が少しずつ豊かになっていくと、工場にも仕事が舞い込むようになった。
主人が作ったのは、小さな歯車やネジだった。
一つ一つは、指先に乗るほど小さい。
けれど、その小さな部品を必要としてくれる会社があり、やがて主人の仕事は大きな企業にも認められるようになった。
工場には新しい機械が増え、働く人も増えた。
主人は従業員を養い、その家族の生活まで背負うようになった。
苦労は多かったが、主人は工場を大きくすることを喜んでいた。
そんな主人を、いつも隣で支えていた女性がいた。
妻だった。
工場を始めた頃から主人と一緒に歩き、苦しい時も、仕事が増えて喜んだ時も、ずっとそばにいた。
けれど、その妻は主人より先に旅立ってしまった。
しかし、妻の葬儀の次の日も主人は働いた、
立ち止まることを、妻は喜ばないと思ったからだった。
それから何年も経った頃。
部品を納品している大企業の創業100周年の記念式典に、主人は招かれた。
長い年月をかけて築き上げてきた仕事が認められ、関係者の中でも特に功績があった者にだけ、記念品が贈られることになった。
それがこの時計だった。
主人は大きな箱を抱えて帰ってきた。
箱を開け、しばらく時計を眺めたあと、主人は仏壇の前へ向かった。
そして、妻の位牌に向かって、嬉しそうに笑って語り掛けた。
「……お前、見てくれ」
「これな、わしの部品が使われているんだよ」
「わしが作った部品がな、こんな立派な時計になったんだ」
「……長かったなぁ」
そう言って時計を見せながら、主人は妻の名前を何度も呼んだ。
けれど、その声は次第に震えていった。
主人の目から、とめどなく涙がこぼれた。
それでも時計を抱いたまま、嬉しそうに笑っていた。
それから時計は、ずっと主人のそばにいた。
工場で機械が動く音を聞き、従業員たちの声を聞いた。
子供たちが成長していく姿を見た。
やがて子供たちにも家庭ができ、孫たちが主人の周りを走り回るようになった。
数年前、主人は、子供たちと孫たちに囲まれて、静かに息を引き取った。
最後の顔は、とても穏やかだった。
まるで、何も思い残すことはないと言うように。
時計は、その最期を静かに見届けた。
時計は長々と話すと、それ以降、何も言わなくなった。
黙って時計の話を聞いていた修は、静かに時計を箱から取り出し、作業台の上へ置いた。
裏側を確認した修は、思わず驚きの声を上げた。
「機械式じゃないか!」
家電の声ばかりを聞いてきた修にとって、電気を使わずに動く機械の声を聞いたのは、これが初めてだった。
いや、そもそも機械式時計は家電ではない。
修はしばらく、作業台の上に置かれた時計を眺めていた。
しばらくして、裏のゼンマイを巻くと、時計は時を思い出したように刻み始めた。
カチリ、カチリ、カチリ――。
それは、ただ時を刻んでいるのではなかった。
この時計と共に生き、働き、愛し、家族を守り続けた、一人の漢の人生そのものを刻んでいるようだった。
・
・
・
・
山田は、ぽつりとつぶやいた。
「私は震災で家族を失って、天涯孤独の身なので……家族とか言われても、正直あまりピンと来なくて」
山田の話を聞き終えた中山は、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
中山は、少しだけ間を置いてから続けた。
「捨てるのも人間、拾うのも人間……そう考えると、動物も家電も、人間の都合に振り回されているという点では、同じなのかもしれませんね」
「そうですね、価値が分からない人には、ただの変な置物ですし」
「社長にも使える事は一応話したのですが、『いらない』って言われまして。処分にもお金がかかるので、持って帰ってもらうとありがたいと」
「なるほど。それで保護したのですね」
「いえ、邪魔なんでヤフオクに出したら20万で売れました」
「……え?」
「社長には内緒にしています」




