俺と王女様
俺は今女の子の部屋に来ている。もちろん二人っきりだ。今まで彼女のできた事のない俺にとってはずっと憧れていたシチュエーションだ、舞い上がるような気持だっただろう。もし……相手が王女様でなければ。
あの後、俺は良くわからないままにクレール様の私室へ連れてこられ、彼女と二人っきりにされた。
正直まだ何が起こったのかよくわかってない。今日、姫様は結婚相手を選ぶ予定だったはずだ。そして俺の所へ来て夫になれと言った。ということは俺が結婚相手?いやいやいや、そんなのおかしいだろ。
「ヴァレール」
「は、はい!」
ずっと姫様と視線を合わせられずに壁の絵の方を向いていた俺にしびれを切らしたのか、クレール様は怒ったような声で俺を呼んだ。
「怒っていますか?いきなりこんなことをしたこと」
「え……?」
怒っているかと思われた姫様は俯いてぎゅっと手を握りしめている。俺にはわかる。これはクレール様が何かを我慢している時の仕草だ。
「怒って……はないですよ。ただ……まだ何が起こったのかわからなくて……」
「そうでしょうね。わざとあなたに考える時間を与えないようにしましたから」
「えっ?」
姫様なりの冗談か?と思ったが彼女は痛いほどに真剣な顔をしていた。
「すべて私の策略です。あの場でいきなりあんなことを言い出せばあなたが断れないだろうというのも計算のうちでした」
策略?計算?いったい姫様は何を言っているんだろう。まるで頑張って頑張って俺に結婚を了承させたみたいじゃないか。
「あの……まず、どうしてこうなったのかを教えて頂きたいんですが……」
「どうして……ですって……、そんなの当然よ!こうするしか思いつかなかったのよ!だってヴァレールは……ヴァレールは!」
姫様はきりりと俺を睨み付けた。
「全然わたくしの気持ちに気が付かないんだもの!周りはみんな気づいているのに!」
「お、落ち着いてくださいクレール様!何ですか気持ちっていうのは!」
「わたくしがあなたの事が好きってことよ!」
好き、好き。姫様が俺を好き。それって……
「ええええぇぇー!!!??」
「やっぱり気づいてなかったのね!この鈍感!」
姫様は俺の胸倉をつかむとぶんぶんと揺さぶった。
「何年も何年も……何で気が付かないのよ!周りの視線が痛かったわよ!」
「でも!何で俺なんですか!?俺なんて別に取り柄とかないし!」
「だって……だってあなたは魔法とか使えるし……」
姫様は急に俺から手を放すと恥ずかしそうにもじもじとし始めた。
だが、俺の頭は急に冷えた。魔法が使える?そんなわけない。まずい、姫様は俺のでたらめ魔法を信じ込んでいるんだった。やばい!!
「すいませんでしたー!!!」
「ちょっ、ちょっといきなりなんなの!?やめて!!」
急に地面に頭をこすりつけた俺を見て、姫様は慌てて俺の体を起こそうとした。だが俺はここで頭を上げるわけにはいかない。俺はクレール様をずっと騙していたのだ。それこそ何年も。
「魔法が使えるっていうのは嘘なんです!!最初にかけた魔法も全部でたらめです!!俺はロクに魔法も使えない落ちこぼれなんです!!」
「知っています」
「そうですよね!知ってますよね!……って、ええぇ!?」
あっさりと頭を上げた俺に見えたのは顔を真っ赤にしてこちらを睨むクレール様の姿だった。
「もちろん知っています。あなたが学院で最低の成績だったことも、カスタニエ夫妻の取り成しで城へ来たことも、研究塔を追い出されてあの地下にいた事も知っています」
あらためて口に出されると恥ずかしい。というかそんな所まで知られてたのかよ。
「じゃあ、何で俺の事、その……好きって……?」
「……それはね…………あなたの前だと本当のクレールでいられたから。わたくしはこの国の王女だから、いつもその地位にふさわしいプリンセスでなければならないの。でも……あなたの前だといつもそんな事を忘れられた。不思議でしょう?それに……」
姫様はそこで一度言葉を切ると潤んだ瞳で俺を見つめた。
「あなたはわたくしに魔法をかけたじゃない」
「え……俺は魔法なんて使えないし……」
「いいえ、わたくしは確かにかかったのよ」
姫様はぽすっと俺の胸に頭を埋めると小さな声で呟いた。
「恋の……魔法よ……」
姫様の耳は真っ赤に染まって体も震えている。俺の眼下にさらけ出された首筋からはとてつもなくいい匂いがして俺の心拍数が上昇した。
あれ、クレール姫ってこんなに可愛かったけ?こんなに綺麗だっけ?一緒にいるとこんなにドキドキしたっけ?
俺は導かれるように彼女の背に手を回してぎゅっと抱きしめた。
どうやら俺も恋の魔法にかかってしまったみたいだ。
「これはハーライド伯。よくぞいらっしゃいました!」
「ヴァレール殿下もお変わりないようで何よりです。それで、先日ご相談した治水の件なのですが……」
現在俺のとある貴族の来訪を受けていた。少し前にも彼はやって来て、彼の領地の治水について少し話をした覚えがある。
「まさしくヴァレール殿下のおっしゃった通りでした。我が領民は皆喜んでおります!いやあ、さすがはクレール王女が選んだお方だ!最初に見た時には何だこいつと思いましたが」
そんなこと思ってたのかよ。これから貴族の前に立つのが怖くなったじゃないか。
そう、彼の言った通り俺はクレール王女に選ばれた、結婚相手として。そして結婚した。
まあその間にいろいろあったのだが、すべては恋の魔法の力で何とかなった。我ながら恐ろしい魔法を使ってしまったものだ。
クレール様……いや、クレールと結婚した俺は王家に婿入りする形となった。しがない魔道士、しかも落ちこぼれがそんなことになって大丈夫なのかと思ったが、クレールが結婚前からちゃくちゃくと外堀を埋めて行ってくれたらしく大した問題はなかった。俺の嫁ながら恐ろしい。
そして俺はこうして時折城を訪れる貴族たちと会談したり、相談に乗ったりしている。魔法の方はからっきし才能がなかった俺だが、何故か貴族たちの間では俺に相談を持ちかけると綺麗に解決できると評判になっているらしい。いやいや、人間どこに才能が眠っているかわからないものだ。できれば魔法の方で発揮してほしかったぜ。
散々俺を褒めちぎって帰っていったハーライド伯を見送ると、入れ違いでクレールがやって来た。
「お話は終わった?さっきの方の様子を見たけれど、またうまくいったみたいね!」
「本当にな、何でそんなにうまくいくんだか。……もしかして、また何か仕組んでたりするのか?」
俺がじとっとクレールを見つめると、彼女は慌てたようにぶんぶんと手を振った。
「ないない。わたくしはなにもしていませんわ。これはあなたの天性の才能でしょう」
「うーん、そうなのか……正直自分でもよくわからないんだが」
「あら、わたくしにはわかりますわ」
クレールはぴょんと俺の首に抱き着いた。結婚してからも彼女のお転婆っぷりは相変わらずだ。変わったのはそんな彼女を俺が余裕を持って受け止められるようになった事ぐらいか。
「わたくしが夫に選んだんですもの!隠れていた力の一つや二つ出てきてもおかしくはないはずよ!」
いや、それはおかしいだろ。といった言葉は口にする前に俺の胸の中で消えて行った。これも恋の魔法の力だ。
クレールと俺は至近距離で見つめあう。彼女は何かを期待するように目を閉じた、俺はそれに逆らわずにそっと彼女の唇に俺の唇を近づける。
うぉほん!と部屋の隅から先ほどからずっと俺たちの様子を窺っていた執事のわざとらしい咳払いが聞こえたが、今の俺達はそんな事では止まらない。恋の魔法の力って本当に恐ろしいものだ。