選ばれし者編side story「動かざる者、動き出す」
「魔力の乱れを感じたのでここを訪れてみたのだけど。まさか、魔神様がお昼寝中だとは思っても居なかったわ」
先程の大雨で十二分に泥濘した地面の上を、堂々と仰向けになっている女性に、輪廻が近づきながら話す。
「まぁ、最も、死んでいるとは思っていたのだけどね。まさか生きていたなんて、あの大魔法使いも随分と好い加減なものね」
輪廻は女性の頭下に立ち、まだ振り続けている小雨を防ぐ為の傘を回しながら、女性を見下ろし話を続けた。
「だから、私が殺すわ。言い残すことはないかしら?」
女性は、何も言わずに輪廻の足元に視線を移す。宙に浮いていた。それは、泥濘によって靴を汚さない為だと女性は即察し、そしてそのまま弱々しい笑みを浮かべると、輪廻の靴に泥を軽く飛ばした。
飛ばされた泥は、靴は愚か靴下までもべっとりと汚し、見た者が内部まで泥が侵入しただろうと容易に想像が出来るほどに汚されていた。
「随分と些細な嫌がらせね。魔神様とは思えないわ。ふふ……そうね。気が変わったわ。殺すのはやめて――」
「――死ね!」
輪廻の言葉を遮るように、大きな若い声が聞こえ、唐突に斬撃が輪廻を背後から襲った。それも首元を狙うかのように。
しかし輪廻は、まるでその攻撃を予想していたかのように、そのままの姿勢でその剣を素手で受け止め、背後へ視線を向ける。
「背後から襲われる。我はそう聞いて居たんだがな。まさか、こうも容易く背後を許すとは思わなかったぞ。人間」
そこにはもみ上げがやや長い金色で短髪の少女が、瞳を輝かせていた。
それに対して、輪廻は剣を受け止めた自分の手に視線を向ける。赤い血が流れていた。それは剣の刃を辿って流れ、地に落ちている。
「生憎、私はあなたのように暇じゃないのよ。そんな事より、今の私は機嫌が悪いの……よ?」
輪廻は低い声で威圧的にそう言うと、手に力を込めた。鋭い刃により肉に食い込み、流血がひどくなる。そしてあろう事か、やがて切れてしまい、落ちた。
「脆いわ」
輪廻はもはや靴が汚れる事など気にもしないで、今、落ちたばかりの剣先を踏みにじり大きな溜息をつきながら言った。
「お気に入りの靴だったのだけれど……この怒りの矛先はあなたに向ければいいのかしら?!」
そう言い終えると同時に、血まみれの手で少女の首を掴み取り、そのまま地に叩き付けるように投げ捨てた。その勢いで、泥が舞い上がり、まるで返り血を浴びたように汚れる輪廻。
そしてあまりにも突然なダメージに声にならない悲鳴を上げ、体を弓形に反らす少女。
輪廻はそうしてもがき苦しんでいる少女の顔のすぐ横を全力で踏みつぶし、またもや泥が勢い良く舞い上げる。そして、少女の顔をそのまま真っ黒に汚すと同時に、泥諸共、少女を吹き飛ばした。
「あら? 私とした事が、少し大人げなかったかしら?」
輪廻が、数mも飛ばされた少女に、笑みを浮かべながら言った。
それに対して、少女は顔を押えながら弱弱しく立ち上がると、折られた剣先を輪廻に向ける。
「うふふ。殺したりはしないわよ」
輪廻はそう告げると、第一歩を踏み出した。それだけで足元に風が巻き上がり、輪廻の周辺の泥を弾く様に吹き飛ばす。そして第2歩目を踏み出そうとしたその時、突如、剣先を向けている少女の腹部を半透明の剣が突き抜けた。
その事態を、輪廻も少女自身も予想だにしなかったのか、驚愕を隠しきれず、一斉に少女の背後に視線を向ける。
「悪いが魔神よ。この世界を再び闇に染めさせたくは無いのだ」
そう言って、剣を抜いたのは男性だった。それも輪廻がよく知る男性だった。




