閑話 ダンジョンが生まれた日(裏)真壁視点
「異常領域対策室室長、か」
俺は机上の名札に目を落とし、小さく息を吐いた。
二月前まで存在すらしていなかった組織だ。
そしてその存在理由もまた、二月前まで誰一人として想像していなかった。
「どうされましたか、真壁室長」
「いつ見ても、難儀な肩書を背負ったものだと思ってな」
「え? あぁ」
陸上自衛隊一等陸佐――現在は異常領域対策室付補佐官を兼任する石田が、ため息の理由を察して苦笑した。
「何というか、その、特撮みたいでかっこいいと思いますよ」
「慰めはいらんよ。名前がどうであれ仕事は仕事だ」
「ならこれ見よがしにため息を吐かないで下さい」
「お前も遠慮がなくなったな」
この一月で寝食を共にしすぎた弊害か。
俺は部下とは適度な距離を保ちたいのだが、仕方あるまい。
まともに眠れた日など、片手で数えられるほどしかなかったのだから。
俺はコーヒーを一口飲み、机上の書類へ視線を落とした。
石田もつられて視線を向ける。
そこには一人の少年のプロフィールが記されていた。
三橋暁一。
十六歳。
私立集成高校一年生。
行方不明者ナンバー35。
特筆するような情報はない。
スポーツで有名なわけでもなく、至って普通の少年だ。
異常領域から自力で帰還――その一文さえ無ければ。
「本当にこの少年が攻略者なのでしょうか」
「分からんが、可能性は高い」
「しかし、普通の高校生にはあまりにも……」
石田が口ごもるのもよく分かる。
俺は石田のように自分で調査に入った訳では無いが、映像を見ただけでもあそこの異常性は分かっているつもりだ。
だが、状況が彼を攻略者だと言っている。
「三橋少年が異常領域から現れた時、彼は大怪我を負っていたそうだな。そして未知の物質でできた大斧を持っていたとも」
「……ええ、まぁ。肩から腰までざっくりと裂傷がありました。持っていた大斧に彼自身の血が付着していたので、恐らくそれで切ったのでしょう。それといくつか火傷の跡も」
「怪我の原因はともかくとして、それが昨日の話だ。今朝の診断では、既に大半が塞がっているそうだぞ」
「知っています。つまり彼は異常領域で得た何らかの力によって、身体能力そのものが強化されたと、そう言いたいのですね。その力で異常領域を攻略したのだと」
「回りくどいな。レベルアップでいい」
既に公然の秘密だ。外交では既にその言葉が使われている。
今更現実から目を逸らした所で意味はない。
「しかし、私はまだ納得できません。自衛官も調査中に身体強化、いえレベルアップを果たした者がいましたが、精々一割ほど能力が向上しただけです。重傷を一晩で治癒するなど常識ではとても……」
「だからこそ、確かめなければならない」
常識、という言葉はもう事ここに至っては邪魔でしかない。
あの日から、俺はその言葉を捨てたのだから。
二ヶ月前、俺達はまだこれを事件だと思っていた。
誘拐か。
テロか。
あるいは国家規模の工作か。
官邸地下の会議室に呼び出された時、東京都内では既に百名を超える失踪者が確認されていた。
場所も年齢も職業もバラバラ。
唯一の共通点は、全員がほぼ同時刻に姿を消したことだけ。
「テロの可能性は」
「外国勢力による工作は」
「監視カメラの映像はどうなっている」
当然、会議室では様々な憶測が飛び交った。
だが、その認識は数分後に崩れ去る。
「失踪現場で共通の現象を確認しました」
その報告で事態は別物に変わった。
「共通の現象?」
「はい。一部の目撃証言によれば、失踪直前に発光現象が確認されています。加えて、局地的な振動も」
その場にいた全員が眉をひそめた。
理解できなかったからではない。
理解したくなかったからだ。
「映像を出せ」
その一言で会議室正面のモニターが切り替わる。
映し出されたのは都内各所の防犯カメラ映像だった。
駅前。
住宅街。
商店街。
学校前。
撮影場所は全て異なる。
だが、共通点が一つだけあった。
地面の一部が歪み、その亀裂の奥から光が漏れていた。
次の瞬間――人が消えた。
誰も言葉を発しない。
何を言えばいいのか分からなかったからだ。
「映像の改竄は」
「否定されています」
「機器の故障は」
「確認されていません」
「発光現象の解析結果は」
「不明です」
「不明?」
「現時点で確認されているあらゆる既知の現象と一致しません」
担当官がそう答える。
流石に会議室がざわついた。
「一致しないとはどういう意味だ」
「文字通りです。電気現象でもありません。レーザーでもありません。放射線でもありません。光源そのものが確認できません」
説明を受けても理解できない。
いや、理解できる方がおかしい。
俺は映像へ視線を戻した。
地面が割れる。
光る。
そして人が消える。
映像だけを見れば悪質なCG映像だ。
だが、それが現実に起きている。
「……失踪者の遺留品は」
「現場に残されています」
「血痕は」
「なし」
「争った形跡は」
「なし」
「監視カメラの死角は」
「――ありませんっ」
ついに、答えた担当官が悲痛な叫びを上げた。
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
そして、それを破ったのは一人の職員だった。
「先ほど外務省から連絡が入りました」
職員の顔色が悪い。
嫌な予感がした。
「アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国においても同様の失踪事案が発生したとのことです」
その日から二十一日間、俺達は何一つ答えを得られなかった。
警察庁、公安、自衛隊、情報機関。
動かせる組織は全て動いた。
失踪現場の解析。発光現象の調査。海外当局との情報共有。
だが結果は全て同じだった。
原因不明。
原理不明。
目的不明。
失踪者は一人も見つからなかった。
そして二十一日後、アメリカで最初の失踪者が発見された。
そこから先は、さらに常識外れだった。
異常領域。
未確認敵性生物。
レベルアップ。
……答えを得た後も、地獄はまだ続いている。
対策室にノックの音が響いた。
時計を見る。そろそろ時間だ。
「行くぞ。手順は分かっているな?」
「問題ありません。私もあの少年がただの生存者とは思っていませんよ」
肩を竦める石田に俺は小さく頷いた。
これまでに七人救助し、二人自力で帰還している。
だが、三橋暁一はそのどちらにも当てはまらないだろう。
彼等と同じ心持ちでいられたらと思ったが、杞憂だったらしい。
……さて、鬼が出るか蛇が出るか。
実際に会ってみた三橋暁一は、驚くほどに普通の少年だった。
痩せ型。
どこにでもいそうな高校生。
少なくとも見た目だけなら英雄にも怪物にも見えない。
他の帰還者と違って終始冷静だったのは気に掛かった。
二ヶ月以上の過酷なサバイバルを経験した人間にしては、落ち着き過ぎている。
これまで面談した帰還者は違った。
興奮して語る者。
恐怖で言葉を詰まらせる者。
未だ現実を受け入れられない者。
三橋少年には、そのどれも見られない。
攻略者ならばそういうこともあるかと、俺はこれ以上の邪推は避けた。
話を聞く限り、彼が二階層到達者であることはほぼ確実だった。
他国も公には情報を伏せているが、帰還者の多くは五、六人の集団で攻略に当たっていたと報告を受けている。最小人数は三人だと俺は把握していた。
三橋暁一は一人だ。
つまり彼は、世界初の単独攻略者ということになる。
その事実は十分に衝撃だったが、少年に対する印象を変えるほどではない。
彼自身の協力的で温和な姿勢から、俺はそう判断していた。
だが、二回目の面談でその認識は覆される。
「……どう思う、石田君」
面談室を出てから数分。
そう問いかけると、石田は興奮を隠しきれない面持ちで口を開いた。
「正直、想像以上の少年だと思いました。あの場で語った評価は嘘でもお世辞でもありません。今すぐにでも自衛隊に迎え入れたいとすら思いました」
「ほう、そこまでか」
「そこまで? よく考えて下さい真壁室長。彼は我々が一月掛けてできなかったことを成し遂げているのですよ。いいえ、私はその事実で判断した訳ではありません。私は彼の、決して諦めず、生存の道を常に模索する姿勢に感服したのです」
石田が珍しく語気を強めている。
藪蛇だったかと後悔した。
「彼はあの環境で生き残るために考え続けていた。限られた情報から状況を分析し、試行錯誤を繰り返し、失敗しても諦めなかった。恐らく極限状態で才能が開化したのでしょう。そうせざるを得なかった状況に置かれたのは同情しますが、あれほど稀有な人材はそういません。まずは保護者から話を通すべきでしょうか」
「なんの話をしている」
「彼を仲間に迎え入れる話です。もちろん即現場に投入するような真似はしませんよ。安心してください、教育過程はきちんと辿らせます」
「それなら構わないが……いやそういったことは後でやれ」
そもそも三橋少年が未成年であることを理解しているのかこいつは。
いや、だからそうではない。
「俺が聞きたかったのは彼の評価ではない。もちろん素晴らしい才能を持っているのは理解できるが、そこはこの際どうでもいい。問題は、彼のステータスだ」
「……それは」
石田の熱が急速に冷め、顔に難しい色が浮かんだ。
恐らく俺の方がもっと険しい顔をしている。
「……異常、かと」
「ほう」
「室長も知っての通り、自衛官の最高到達レベルは3です。三橋君はレベル10。そこは特に気にしなくてもいいでしょう。レベルを一つ上げるのに敵性生物を百は殺さなければならないとしても、それだけ過酷な環境を生き延びたということでしかないのですから」
「そうだな。それで」
「ですが、そのステータスはあまりにおかしい。具体的に言えば数値です。我々は1か2、最悪0でも珍しくないのに、彼は一つの項目で一気に数字を伸ばしている。そうでなければ説明ができない値でした」
【力】66という、埒外の数字が脳裏に浮かぶ。
自衛官の平均数値が12だ。およそ6倍近い。
彼の元々の数値は不明だが、この差を説明するには到底足りない。
「加えて、彼はスキルにも何かしらの記載がありました。『リジェネ』が何かは分かりませんが、これも我々自衛官には前例がないことです。はてな三つに至っては意味がわかりません。これを異常と言わず、なんと言いますか」
石田の訴えに、俺も思わず頷きそうになる。
だが、俺の立場がそれを許さなかった。
「異常か。その言葉で片付けていいものかな」
「……どういう意味ですか」
「むしろ逆だと考えろ。異常だと断じてしまえば思考が止まる」
前例が無いとは言うが、前例などあってないようなものだ。バカバカしい。
そもそも普通ではない現象の連続なのだから、これから理解していくしかない。
「彼のステータスが高すぎるのか。それとも我々の集めたデータが間違っているのか。あるいは、まだ把握できていない要因が存在するのか。全てに可能性がある。我々の尺度で測っていい事態はもうとっくに過ぎているぞ」
「それは……」
「分からないなら調べろ。頭を使え。偉そうに評価していた本人が、彼よりそれができなくてどうする」
「は! 失礼しました!」
石田は背筋を伸ばし、力強く返事をした。
俺はその返答に頷きながら、頭では違うことを考えている。
三橋暁一。
日本で唯一の二階層攻略者であり、世界で唯一の単独攻略者。
彼の重要性は計り知れない。ステータスを抜きにしてもそう思う。
もはや一個人の問題として扱える段階ではない。
彼は協力的だ。頼めばこれからも力を貸してくれるだろう。その為に言質を取った。
だが、まだ十六歳。未成年だ。
国家は善意だけで動く組織ではないが、それでも越えてはならない一線はある。
彼の扱いは極めて難しい。
……俺も覚悟を決める必要があるな。
時計を見る。あと小一時間もすれば関係省庁との会議が始まる。
最初に議題として上げるには丁度いいかもしれない。
「石田君、三橋少年のプロファイルを纏めておいてくれ。一時間以内に」
「い、一時間以内ですか?」
「動くと返事をしただろう。動け」
「――はっ!」
石田の疲れた顔は見なかったことにする。お互い様だ。
むしろこれから更に忙しくなるだろう。
今以上に? という思いが脳裏を過るが、諦めるしかない。
「異常領域対策室室長、か」
俺は机に置かれた名札を見た。
本当に、難儀な肩書だ。




