小話:クラリッサ回顧録〜あの子が帰ってこられる場所〜
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私、クラリッサ・オストロとエドワード・ライゼンの付き合いは、王立学園時代まで遡る。
とはいっても、最初から親しかったわけではない。
同じ伯爵家の令嬢と令息として、顔と名前を知っている程度の間柄だった。
しかし、ライゼン家といえば、王国開闢以来の名門である。
代々、王国の要職に就く人材を輩出してきた家柄で、エドワードも当然のように、次期当主として周囲から期待されていた。
それに比べて、オストロ家は同じ伯爵家とはいっても、ごく普通の法衣伯爵家だ。
領地を持たず、中堅どころの文官を輩出するのが精々という家柄である。
そんな我が家に、二年生を修了した春休み――突然、ライゼン家から婚約の申し込みが届いた。
「……どうして?」
それが、私の率直な感想だった。
父も驚いていたし、次期当主となる兄など、驚きのあまり、しばらく息をするのも忘れていたほどだ。
何しろ、相手はあの名門ライゼン家である。
こちらにとっては、願ってもない良縁だった。
けれど、だからといって、どうして私なのかという疑問は残る。
エドワード本人に尋ねても、曖昧な返事しかしてくれなかった。
婚姻を結んで二十数年が経った今でも、詳しいことは教えてくれない。
どうやら、学園に入学して間もない頃から、私のことが気になっていたらしいのだけれど――
まあ、その話は後にしよう。
当時の私は、エドワードがそんなことを考えているとは、まったく知らなかった。
学園では、私は淑女科ではなく、領主科に在籍していた。
貴族令嬢の多くは淑女科を選んでいたけれど、私は昔から外国語に興味があった。
領主科では、国政に携わる者に必要な知識として、外国語も授業に取り入れられていたからだ。
それに、将来、嫁ぎ先で夫を手伝って領地を運営することになったとしても、領主科で学ぶことは役に立つ。他国との交流について学んでおくのも、決して無駄ではない。
そう考えた私は、両親を説得して領主科へ進み、外交関係の勉強にも力を入れていた。
そして、エドワードも同じ領主科に在籍していた。
政経科の授業では席が隣同士だったため、言葉を交わすこともあった。
ただ、当時の私は、
「さすがライゼン家の次期当主ね。お若いのに威厳が漂っているわ」
くらいにしか思っていなかった。
成績は優秀で、授業中も余計なことはほとんど話さない。
必要なことを聞かれれば、簡潔に答える。
それでいて、何かを任されれば、きちんと結果を出す。
今思えば、昔からあの人はそういう人だった。
――無口で、非常に優秀。妙なところでこだわりを見せることもある。
まあ、私がその性格を本格的に知るのは、もう少し後のことになる。
◇
そんなある日、婚約の申し込みを受け、両家で顔合わせをすることになった。
約束の日、ライゼン家の当主とエドワードが、我が家を訪ねてきた。
両家で挨拶を交わし、しばらくは当たり障りのない話をしていた。
家同士の話なのだから、当然といえば当然なのだけれど、私は少し緊張していた。
やがて一通りの挨拶が終わると、
「後は若い二人で――」
ということになり、私とエドワードは庭園へ出ることになった。
「こちらが我が家自慢の庭園です。この時期は、ちょうど薔薇が見頃を迎えておりますの。
よろしければ、少しご案内いたしますわ」
「お願いします」
エドワードは短く答え、私の隣を歩き始めた。
「この辺りは、庭師が特に力を入れている場所なのです。
花の色合いだけでなく、咲く時期も考えて植えているそうで、季節ごとに違った景色を楽しめるのですよ」
「なるほど。よく考えられていますね」
「ええ。庭師の方がとても熱心で、私が子供の頃から、季節折々の花を楽しめるよう工夫をしてくださっているのです」
そんな具合に、私は少し緊張しながら庭を案内した。
もちろん、婚約の話が出ている以上、何か特別な会話をしなければならないとは思っていた。
けれど、いざ二人きりになってみると、何を話せばいいのか分からない。
「クラリッサ嬢は、庭園がお好きなのですか?」
「はい。花を眺めるのも好きですし、庭師の方から手入れの工夫を聞くのも楽しいのです。
自分ではなかなか真似できませんけれど」
「そうですか」
「エドワード様は、いかがですか?」
「嫌いではありません」
返事は短かったけれど、そっけないというわけではなかった。
ただ、そこから話を広げるのは、なかなか難しかった。
返事は短かったけれど、そっけないというわけではなかった。 ただ、そこから話を広げるのは、なかなか難しかった。
「エドワード様は、普段どのようにお過ごしなのですか?」
「学業が中心です」
「そうですわよね。領主科では学ぶことも多いですし、政経科の授業もありますものね」
「ええ」
「私も外国語や外交関係の勉強には力を入れておりますの。いつか、学んだことを役立てられればと思っておりますわ」
「それは良いことだと思います」
エドワードはそう答えたものの、そこから話が広がることはなかった。
私も何か話題を見つけようとしたけれど、気の利いた言葉はなかなか浮かばない。
結局、庭園をひと巡りする間、私たちの会話は途切れがちだった。
やがて庭園の奥にあるガゼボへ移動し、二人で腰を下ろした。
そこで私は、婚約の申し込みを受けてからずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「エドワード様」
「何です?」
「どうして、私だったのですか?」
エドワードは少し考え込んだ。
――いや、かなり考え込んでいた。
そして、しばらくしてから口を開いた。
「最初は、もっとふんわりした令嬢だと思っていた」
「……それは、どういう意味でしょう?」
「だが、話してみると、思っていたよりもしっかりしていた」
「そうですか?」
「ああ。そのギャップが、気になった」
私は少し意外に思った。普段、明確に答える彼にしては、どうにも曖昧な返事に感じられたからだ。
それに、自分では特別ふんわりしているつもりもなければ、しっかりしているつもりもなかった。
「それで、お申し込みいただけたのですか?」
「……それだけではない」
「では、他にはどのような理由が? 差し支えなければ、お聞きしたいですわ」
そう尋ねると、エドワードは再び黙り込んだ。
そして――結局、うまくはぐらかされてしまった。
具体的に何が決め手だったのか、そのときも教えてもらえなかった。
それからも、機会があるたびに尋ねてみたのだけれど、二十数年経った今でも、答えは聞けずじまいである。
……本当に、あの人は昔からこういうところがある。
◇
その後、両家の間で正式に婚約が取り交わされた。
婚約が決まってからも、私たちの関係が急に変わったわけではない。
学園ではこれまでどおり顔を合わせ、言葉を交わすこともあったけれど、エドワードは相変わらず口数が少なく、私も彼の考えていることをすべて理解できたわけではなかった。
それでも、婚約者として交流を続け少しずつ互いを知りながら、私たちは卒業の日を迎えた。
高等部を卒業して半年後、私とエドワードは無事に婚姻した。
エドワードは内務省に入り、仕事でも順調に出世していった。
ライゼン家の領地については、エドワードの両親が半ば隠居する形で管理してくれていたため、私は王都のタウンハウスでその補佐をしていた。
やがて、私たちには二人の息子が生まれた。
長男は幼い頃から内政に興味を示し、成長すると領地へ赴いた。
祖父母から領地経営を学び、今では自ら領地の管理を担っている。
次男は騎士科へ進み、卒業後は近衛部隊に配属された。
若くして副隊長に抜擢されたこともあり、今ではタウンハウスを出て王都の寮で暮らし、任務に追われる毎日を送っているらしい。
二人とも、それぞれ自分の道を見つけた。
気がつけば、子供たちはもう親の手を必要としない年齢になっていた。
エドワードも監査部長となり、仕事に追われる日々ではあったけれど、家庭には穏やかな時間が戻っていた。
夫婦二人で過ごす時間も、自然と増えていった。
そんな、何の変哲もない日々を送っていたある日のこと。
エドワードが、とんでもない子供を連れて帰ってきた。
◇
エドワードが連れて帰ってきたのは、まだ十歳の少女だった。
名前はユリアナ・ド・アンジファー。アンジファー王国の第十三王女である。
ただし、その存在は王宮の奥深くに忘れられていた。
生まれてすぐに母を亡くし、養育を任された女官長の不正によって、幼い頃から下女見習いとして働かされていたという。王女でありながら、下女よりもひどい扱いを受けていたらしい。
事情を聞いた私は、しばらく言葉が出なかった。
「このまま王宮に戻すわけにはいかない」
エドワードの説明によれば、今すぐユリアナの存在を公にしても、関係者のうち誰か一人を切り捨てて、事態を収められてしまう可能性があるという。
そのため、十分な証拠を揃え、適切な時期に告発するまで、ライゼン家で密かに保護することになった。
「分かりましたわ」
私はそう答えた。
事情が事情なのだから、反対する理由などなかった。
こうして、ユリアナは我が家で暮らすことになった。
初めて本人から挨拶を受けたときのことは、今でもよく覚えている。
十年間、下女以下の生活を送っていたと聞いていたので、私は、礼儀作法どころか身の回りのことも満足にできない子なのではないかと思っていた。
けれど、実際は違った。
貴族令嬢としての礼儀作法が身についていたわけではない。
それでも、裕福な平民の家で育った同年代の娘と比べて、特に問題がない程度には礼儀を心得ていた。
何より、教えれば覚える。それも、驚くほど早かった。
最初に驚かされたのは、読み書きだった。
ユリアナは文字を読むことができなかった。
その存在を公にできない以上、教師を招くわけにもいかない。そこで、私が少しずつ文字を教えることにした。
ところが、基本的な文字をいくつか教えたところで、ユリアナは自分で文字の法則性を考え始めた。
そして、何やら紙に書き始めたと思ったら、文字の早見表を作っていたのである。
「……これ、どうしたの?」
「このほうが覚えやすいと思ったので」
そう答えたユリアナは、自分で作った表を使い始め、あっという間に文字を覚えてしまった。
計算も同じだった。足し算や引き算はもちろん、掛け算や割り算まで理解していたのである。
理由を尋ねると、
「生きていくのに便利だったので」
と答えた。
十歳の子供から出てくる言葉とは思えなかった。
けれど、ユリアナにとっては、本当にそれだけのことだったのだろう。
基本的な文字を覚えてからも、ユリアナには驚かされることばかりだった。
辞書を片手に書庫へ入り、片っ端から本を読み始めたのである。
最初のうちは、分からない言葉があるたびに辞書を引いていた。
けれど、次第にその回数も減っていった。
気がつけば、ユリアナは一日のかなりの時間を書庫で過ごすようになっていた。
たまに書庫から出てきたと思えば、今度は魔法書を手に裏庭へ向かい、何やら実験を繰り返している。
私は何度、
「今度は何をしているの?」
と尋ねたことだろう。
ユリアナは、そのたびに簡潔に説明してくれた。
説明は分かりやすい。
ただし、十歳の子供がする話とは思えなかった。
そして、その頃から私は、ユリアナについてもう一つ気づき始めていた。
彼女は表情に乏しく、感情を表に出すことも苦手らしい。
けれど、感情そのものが乏しいわけではなかった。
よく見ていれば、ほんの少し目が動いたり、声の調子が変わったりする。
エドワードと長年一緒に暮らしてきた私には、そんなわずかな変化を見分けることなど難しくなかった。
……思えば、私は人生の中で、無口で妙に優秀な人間を二人も相手にしている。
一人は夫。
もう一人は、まだ十歳の少女。
どうしてこうなったのかしら、と、ときどき思う。
◇
そんなユリアナだったけれど、王家主催の大夜会では、さらに私を驚かせた。
二種類の魔法を使いこなし、第五王子と第九王女を相手に一歩も引かず、その後の演説でも堂々と振る舞った。
まだ十歳にも満たない少女とは思えない姿だった。
世間では、ユリアナのことを「生まれついての王女」などと持て囃した。
けれど、私は少し違う気がしていた。
確かに、ユリアナは類まれなる才に恵まれた王女だ。
けれど、あの子があれだけのことをできるのは、王女だからというだけではない。
これまでの環境の中で、生き残るために身につけてきたもの。それを自分で考え、組み合わせ、応用して使っているのだ。
私は、そんなふうに見ていた。
あの子は、誰かに守られることを当たり前と思える環境で育ってきたわけではない。
何かを教えてもらえるのを待つのではなく、自分で考え、必要なものを見つけ、身につけていかなければならなかったのだろう。
その力が、あの夜、王族たちを前にしても臆することなく振る舞う姿につながったのだと思う。
立派だとは思う。
けれど、十歳の子供がそこまでしなければならなかったことを考えると、手放しで感心する気持ちにはなれなかった。
もっと早く、あの子に手を差し伸べる人がいてくれたなら。
そんなことを考えずにはいられなかった。
夜会の後、ユリアナは事情聴取のため、一週間ほど王宮で過ごすことになった。
その間、家の中が少し静かになったように感じた。
もともと口数の多い子ではない。
それでも、書庫へ向かう足音や、裏庭で何かを試している気配がなくなると、家の中がいつもより寂しく思えた。
あの子がここにいることが、いつの間にか我が家の日常になっていたのだろう。
そして一週間後。
ユリアナ本人の希望もあり、そのままライゼン家で保護を続けることになった。
十歳という年齢。そして、これまでの生い立ち。
これから先のことを考えれば、簡単には片づけられない問題がいくつも残っている。
それでも、ユリアナ自身は王籍から離れることを望んでいた。
私は、その気持ちを無理に変えようとは思わない。
王女として生まれたからといって、王女として生き続けなければならないわけではない。
あの子には、自分の人生を選ぶ権利があるはずだ。
これまで、自分の意思だけではどうにもならないことが、どれほどあったのだろう。
だからこそ、これから先のことくらいは、あの子自身が決めていいと思う。
これから先、ユリアナが何を好きになり、どんなことをしてみたいと思うのか。
いつか、この家を出て自分の暮らしを持つ日が来るのかもしれないし、ずっとここにいてくれたって、私は構わない。
ただ、これからは誰かの都合に振り回されるのではなく、あの子自身の望むように生きてほしい。
そのために、今はこの家で穏やかに過ごしてほしいと思っている。
何かを学ぶのも、魔法を研究するのも、あの子の自由だ。
その類まれなる才を、誰かのために使ってもいいし、自分のために使ったっていい。
もう、生き残るためだけに力を身につけなくてもいいのだから。
私にできることがあるのなら、その手助けをしていこうと思う。
……ただ。
書庫にこもる時間は、もう少し短くしてほしい。
せっかく外に出てきたと思ったら、すぐに書庫へ戻り、また別の本を抱えているのだから。
もちろん、本を読むことが悪いわけではない。新しい知識を得るたびに目を輝かせるユリアナを見るのは、私だって嫌いではないのだ。
それでも、たまには本から顔を上げて、外の世界にも目を向けてほしいと思う。
庭に咲く花を眺めたり、街へ出かけたり、同じ年頃の子供たちと遊んだり。そんな何気ない時間も、あの子には知ってほしい。
まだ十歳なのだ。
これまでの十年間、あの子がどんな思いで過ごしてきたのか、私にはすべてを知ることはできない。
だからこそ、これから先のことまで、私の想像で決めつけたくはなかった。
ただ、これからは何かを恐れて最初から諦めるのではなく、自分がやってみたいと思ったことに手を伸ばしてほしい。
楽しいことも、嬉しいことも、時には失敗することもあるだろう。そうした経験を重ねながら、少しずつ自分の好きなものや、やりたいことを見つけていけばいい。
そして、疲れたときには、ここでひと休みすればいい。
この家が、あの子にとって、いつでも安心して帰ってこられる場所であればいいと思う。
そんなことを考えながら、私は今日も、書庫へ向かうユリアナを見送っている。
午後の光が長い廊下に差し込み、磨かれた床に、ユリアナの細い影が伸びていた。
両手で本を抱えた彼女は、書庫の扉の前でふと足を止め、こちらを振り返った。
何か言いたいことでもあるのだろうか。
そう思って見ていると、ユリアナは小さく口を開いた。
「……え、と…午後のティータイムには出てきます…」
「なら、取っておきのアップルパイを焼いて待っているわ」
「……ユリアナ様が作られるのですか?」
「ええ、私の楽しみのひとつなの」
私が答えると、ユリアナは頷き、書庫へ入っていった。
閉じかけた扉の向こうから、ユリアナが声をかけてきた
「今度焼くときは……お手伝いさせてもらって…いいですか?」
少しためいがちに、それでもいつものように淡々と言葉を紡ぐユリアナに、
「もちろんよ。次は一緒に作りましょうね」
そう応えた私に、ほんの少しだけ口の端を緩めてから、ユリアナは扉を閉めた。
やがて、廊下に静けさが戻った。
私はしばらく扉を眺めてから、ゆっくりと踵を返した。
今はまだ、あの子にとって、書庫の中がいちばん心安らぐ場所なのかもしれない。
それでも、今日のあの子は、自分から午後のティータイムを約束してくれた。
次は一緒にアップルパイを焼くことになるのだろう。
そんな小さな楽しみを思い浮かべながら、私は自分の仕事へと戻った。
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