31.お嬢様は出発する
「いつまでも英雄として我が宮殿に留まっていて欲しいものだが、行くというなら止めることはできぬ。ここより北、『約束の地』に向かう道中にあるザリア火山の麓の村はグリフォンに襲われているそうだ。くれぐれも気をつけるのだぞ」
メサティア公国の首都メルドリアを救った数日後、アリステアたちは街の外れで公爵自らの見送りを受けていた。
「ありがとうございます。では、グリフォンもわたくしが退治してまいりますのでご安心くださいまし」
「まったく、お嬢様は。お人好しが過ぎますよ」
「なぁに。これからは誇り高き吸血鬼である妾もついておるのじゃ。大船に乗った気持ちでいるが良い」
アリステアを狙撃した吸血鬼の少女フィニーも、アリステアたちの旅に同行すると張り切っている。アリステアに生命力を与えられてカサンドラの呪縛から解放してもらった恩を返さないわけにはいかないと言い張って聞かなかったのだ。
「それでは、行ってまいりますわ」
アリステアがそう言って馬にまたがろうとした時、街道の向こうから猛スピードで馬車がやってきた。
「お待ちなさい、アリステア」
馬車から降りてきたのは、ウィンズベリー伯爵のカサンドラ。
「お母様!」
「カサンドラ様……!」
「わ、妾を取り返しに来おったのか……ッ!」
フィニーは恐れおののいてアリステアの背中の陰に隠れる。
それを見てカサンドラは「違います」と冷たく言い捨てる。
「アリステア、あなたを連れ戻しに来たのですよ」
そう言われてアリステアはきょとんとして首をかしげる。
「わたくしを? どうしてですの?」
「あなたの力が必要だからですよ」
カサンドラは背筋を伸ばし、アリステアを見下ろして言う。
「このままでは我がウィンズベリー伯爵家が乗っ取られてしまうのですよ。王家の傀儡になるのです。ウィニカたちはすでに家を捨てて王家や他の貴族家に取り入ろうとしています。報告によれば、あなたはこの旅で大きく成長したとか。私とともにウィンズベリー領に戻り、王家勢力に立ち向かうのです」
アリステアは眉根を寄せる。
「え、嫌ですわ」
カサンドラは驚いて「な、何を……!」とのけぞる。
ヒナがアリステアの横に立って腕組みをする。
「いろいろツッコミどころはありますが、頼むなら頼み方ってものがあるんじゃないですかね、カサンドラ様」
カサンドラが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「く……! 侍女の分際で……!」
ヒナは耳に手を当てて聞き返すような仕草をする。
「何ですって? なんか勘違いしてませんか、カサンドラ様。お嬢様に帰ってきて欲しいならそれなりの態度ってものがあるでしょう。お嬢様を追放した挙げ句に、殺し屋まで送り込んでおいて、いつまで偉そうにしているつもりなんですかねぇ」
カサンドラはプルプルと震え、怒りで顔を真っ赤にする。
「ぐ……ぐぐ……す、す…………ッ!」
ヒナがニヤニヤと笑って「す? なんです?」とまた耳に手を当てる。
カサンドラは固く目をつぶり、勢いよく頭を下げる。
「すみませんでした! どうか帰ってきてください!」
その場にいた者たちが動きを止め、しばしの静寂が流れる。
それを破ったのはアリステア。
頬を膨らませ「もう」と言ってヒナの脇腹を肘で小突く。
「いけませんわ、ヒナ。意地悪なことを言っては」
一瞬ヒナは意外そうに目を見張るが、すぐに微笑みを浮かべて小さくため息をつく。まったく、お嬢様は。そんな言葉が顔に書かれている。
アリステアは頭を下げるカサンドラの近くまで歩み寄る。
「頭を上げてください、お母様」
カサンドラが深々と下げていた頭を上げると、その目の端にはかすかに光るものが見えた。
「あ、アリステア……!」
アリステアは首を振る。
「お母様が謝る必要はありませんわ」
カサンドラは震えながら、アリステアに手を伸ばす。
「アリステア……! あなたは、こんな母を許してくれるのですか……! なんて優しい子なのでしょう。私も考えが足りなかったのです。ま、まさかアリステアがいなくなっただけで、こんなことになるなんて……! ですが、あなたが帰ってきてくれるなら何とかなりそうです。では一緒に馬車へ」
カサンドラが伸ばした手を払い、アリステアは
「嫌ですわ」
と短く言い切る。
「な、なぜ……! 許してくれたのでは……!」
困惑するカサンドラに、アリステアは首をかしげる。
「何を言っているのです? 許すも何もありませんわ」
カサンドラはわけのわからない様子で「?」を浮かべる。
アリステアがさも当然のことのように淡々と言う。
「この旅は、勇者様が生まれなかった原因を探るために『約束の地』へ向かうことが目的なのでしょう? 追放なんかではなく。それに、わたくしもこの旅のおかげでずいぶん成長できましたわ。謝る必要なんてありませんわ」
ヒナが「いや、それは……」と口を挟もうとするが、アリステアはお構いなしに言葉を続ける。
「それに、旅はまだ途中。いくら謝られたって、帰るわけにはいきませんわ。これからグリフォンも退治しに行かなくてはなりませんもの」
アリステアにすがるようにカサンドラは再び両手を伸ばす。
「で、ですが、あなたが帰らなければ、ウィンズベリー伯爵家はなくなってしまうのですよ!?」
アリステアは再びカサンドラの手を払い、さらりと言う。
「別に良いではありませんか」
カサンドラは「な……ッ!」と絶句する。
アリステアは穏やかな微笑みを浮かべて言う。
「聖女の使命は人々を守ること。家を守ることではありませんわ」
「そ、そんな……ッ!」
カサンドラはガクリと崩れ、地面に膝をつく。
御者台から降りてきた老執事ヴィクターが、カサンドラの背中に手を置いて静かに首を振る。
「では、わたくしたちは先を急ぎますので、これにて」
アリステアはそう言って、さっそうと馬にまたがる。
その後ろに、ちょこんとフィニーが乗る。
「ま、待って……」
馬上のアリステアに手を伸ばすカサンドラ。
アリステアは何か思い出したように振り返り、
「最後に『この方』からも一言」
と言って、ゆっくりと目をつぶる。
再び目を開いたアリステアの表情は別人のように険しいものに変わる。
眉間にシワを寄せたアリステアがカサンドラに一喝する。
「テメーも聖女だってんなら、テメーの〝ケツ〟くらいテメーで拭きやがれ! だせえマネしてんじゃねーぞ!」
顔面蒼白になったカサンドラに、アリステアは微笑みかける。
それは柔らかで、いつものアリステアの微笑みだ。
「うふふ。少し口は悪いですけど、激励の言葉だそうですわ」
そう言ったアリステアの横で、もう一頭の馬にまたがったヒナが慌てふためいて尋ねる。
「お嬢様……そのスケバンとは、いつからそんな風に……!」
「ふふ、内緒ですわ」
「いけませんよ、お嬢様! そのスケバンと仲良くしちゃ!」
ヒナの言葉を意にも介さず、アリステアは馬を走らせる。
「さあ〝出発〟ですよ、ヒナ!」
「お、お嬢様! なんて言葉遣いですか!」
ヒナも遅れて馬を走らせ、アリステアを追いかける。
地面に膝をついたままのカサンドラやその背中に手を置く執事ヴィクター、ぽかんとして見送る公爵たちを置き去りにして、アリステアとヒナはスピードを上げて荒野を駆けていく。
土煙に混じって、こんな会話が聞こえてくる。
「行きますわよ、ピリオドの向こうへ!」
「そんなこと言ってはいけません! お嬢様!」
「次の町まで競争ですわ!」
「そんなにスピード出したら危ないですって!」
「大丈夫ですわ! 〝事故〟るのは〝不運〟と〝踊〟っち」
「言わせませんよ!?」
本作はこれにて完結とさせて頂きます。
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また何か思いついたら作品を投稿していきたいと思っています。
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