終章05
――数年後。
ユウは兄と久しぶりに酒を酌み交わし話し込んでいた。
「おまえ、こっちへ戻ってくれば」
そういう兄の顔を覗き込む。
目じりにできた皺が、過ぎてきた年月を思わせる。
正月の席である。
最近、病気がちの母のため、兄が言い出したことだった。
「ユウちゃん、遊ぼう」
年齢が離れた弟が、背中に抱き付いて来る。
「まぁな、お前にもいろいろ言い分もあるだろうが、おばさんたちにもさ、脩平が生まれたわけだし、来年にはもう一人産まれるみたいだし、母さんだって、すごく後悔しているんだ。もう許してやれよ」
「許すって、私、何も怒っていないよ」
「ウソ言え。父さんの初恋の人の名前を付けたって知って、お前に冷たく当たるんだって、お前良く言ってたじゃん。だからあんなことを言い出したって、母さん言っていたぜ」
「あんなことって?」
「だから名前だよ名前。さゆりなんて名前、大嫌いって言って、名前を変えてくれって頼んだんだろ」
「そうだったけ?」
まったく、私に覚えがない話だった。
「しかし、まさかお前が写真家になるとはな」
私はいつのころから、空がやたら恋しく思うようになっていた。
いろな表情の空を撮りためることは、私にとって恋人に会うのと同等に思えて仕方がないのだ。
営業の仕事を辞め、フラフラしていた私は一枚の写真と出会った。
最近できたばかりだというタワーマンションのエントランスに飾られたその写真は、青空を見上げる一人の青年の後姿が映されていた。
それを見た瞬間、風や雲の流れて行く様が目に浮かび、惹きつけられてしまっていた。
「その写真、良いでしょ?」
そう声を掛けられ、振り向く私に、男性が微笑む。
「良かったら、これ差し上げます」
惜しげもなく彼は首から下げていたカメラを差し出し微笑む。
「え? そんな高価なもの、いただけません」
「実は私、ここを引き上げることになりまして、荷物を減らす必要がありまして、貰って頂くと有難いんだけど」
そう荷物にならないであろう一眼レフカメラを渡し、いたずらっぽく笑うその男性を、なぜか懐かしく思ったことを、今でも覚えている。
どうしてそう思うのか、どこかで会った気がして仕方がなかった。
「あの」
後をすぐに追ったけど、姿はどこにもなかった。
それからだった。
まるで違った人生の幕開けに、ユウは戸惑うことなく突き進んだ。
そして、そのカメラを手にした日からユウは時々、夢を見るようになっていた。
風が優しくそよぐ場所で、誰かと楽しく過ごす夢だ。
顔がはっきりとわからない相手が、ユウに話しかけてくる。
「もうユウさん、こんなにガラクタを心に貯めて、掃除が大変になるでしょ」
山積みにされたものを一つ一つ片しながら、微笑むその相手が、誰なのか分からない。しかし、その声を聴くと、胸の奥が切なくなる。誰なのか、確かめたくて、一気に山を崩そうとするユウの手を止めさせ、そっと頭の上に手が乗せられる。
「慌てなくとも、必ず会えます。その日を大切に待っててください」
そう言われ、いつ? と聞き返すように見つめ返す。
そこで夢はいつも終わってしまう。
誰にも話せない、ユウだけの秘密だった。
ユウは騒音から離れた場所にある、公園へと向かう。
雑誌の特集で、私の原点というテーマで、写真を撮る仕事のためだった。
転寝してしまったあの日以来、足を運ぶことはなかった場所である。原点と聞かされ、ふと思い出したのが、あの日に見た青空だった。
え?
ユウは、公園の入り口で足を止める。
春の陽光をを受け、髪の色が黄金色に光らせ空を見上げていた青年が、ユウの気配に気が付き振り返る。
桜の枝に座ったケントニスが、指を鳴らす。
「しっかと、ヒラーヌの意思は果たしましたぞ」
懐から出した水晶体を眺め、微笑む。
真実の鏡を暴けることなどないことは、誰よりもヒラーヌがよく知っていたことだった。悪魔の実を口にする前に、残された自分の力を預けてあったのだ。罪を問われ、追放されてしまうであろうギルバードのために、間違わず、二人が巡り会えるために残したのだ。
「娘は知っているのだろうか。お主の心を。愚か者よぉ。主であるお前に反響しないわけがなかろう。それと知っていて、近しき者の躰を借りれば、どうなることか分からんでもなかろうに……。それほどまでに愛してしまったのじゃな。何とも嘆かわしい。すべてを浄化させるためにあんな真似までしおって。すべてを弟に託すとは……。こじゃれた真似までしよって」
肩を竦めたケントニスが、飛び立つ。
春の風がざわめく。
英語で、道を尋ねられ、何とか答えようとするユウを見て、彼が目を細める。
その目はそこはかとなく澄み切った空と同じ、青だった。
≪Fin.≫
すべては愛するもののために……。
拙い物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。m(__)m




