序章02
「ああ怖かった。本当に死んじゃうかと思った」
フェンスを背に、へたり込む私たちは、その後、意味もなく笑って泣いていた。
涙目で見る、笛吹友暉の顔はひょっとこみたいで、笑える。
風の冷たさや、周囲の雑音とか、そんな感覚が戻ってきた私の躰は、小刻みに震えていた。
最初に口を開いたのは友暉の方からだった。
聞いてもいないのに、友暉は自分の名前を名乗り、エヘヘヘと出っ張った頬骨を目いっぱいあげて笑う。
「月、綺麗だね」
そう言われて、私は改めて空を見上げた。
ビルとビルの隙間にぽっかりと浮かんでいる薄っぺらい月がそこにはあった。その月が綺麗なんて思えなかった私は、黙ったまま空を見上げ続ける。
「そう言えばさ、今日の僕は最悪でさ」
最悪という割には、声は明るいものである。
どうでもいい話だった。
出されたご飯が嫌いなものばかりで、結局食べれずに今もお腹が空いているとか、本当にくだらない話ばかりなのに、私たちは夢中で話しをしていた。
静かだった街が白み始め、ゆっくり夜が去って行き、にわかに音を立て動き出した街を見下ろし、私たちは螺旋階段を降り始める。
お互い、名前しか知らない関係。
初めて訪れたこの街に、二度と来ることはないだろう。
友暉も同じことを考えていたようで、最後の階段を下りた時、目が合い、微笑みかけてきた。
もう二度と会うことがない友暉に、私はそっけない態度を取る。
友暉の姿が街に溶け込んで行く。
戻りたくない現実世界。
むかむかと吐き気がしてきた。
見えない翼。そんなものがあるのなら、この空も飛べるはず。
さっき降りてきた螺旋階段を再び見上げる私の手を、誰かに急に掴まれ、目を見張り、振り返る。
そこには息を切らした友暉がいた。
「さっき、渡すの忘れたから」
そう言ってポケットから、ペンギンのオブジェを私に握らせ、歯を見せて笑ってみせる。
「い、いらない」
「どうして? 綺麗でしょ」
「もらう必要性が分からない。それに」
「それに、私はもう死んじゃうから?」
にっと笑う友暉から目をそらし、私は何も答えなかった。
「きみは死ねないよ」
「どうして、そんなことが言えるのよ」
ムッとした声で言う私の肩を、友暉は軽く数回叩く。
「だって、きみは選ばれちゃったから」
「意味、分かんない」
「良いからさ、持っているだけでもだいぶ違うからさ」
歌うように話す友暉を、私は上目使いで見る。
「これは願い事を一つだけ叶えてくれるんだ。だけどここが重要ポイント。その願い事は必ず叶えられる。それだけ強いパワーがあるんだ。ここまでの説明は分かる?」
コクンと頷く私を見て、友暉は微笑んだ。
「願い事によっては、きみの人生、んん、この世のものすべてをひっくり返してしまうことにもなりかねない。だから慎重に願い事を選ばなければならないんだ」
もう友暉の顔には、笑顔はなかった。
真剣な眼差しを受け、私は再び俯き、目を逸らす。
「そんなすごいものなら、あなたが使えばいいじゃない」
「僕はもう使ったよ。だからきみにあげる」
「でも、やっぱり」
私の言葉を切るように、友暉が空を見上げ、口笛を吹き始める。
その音色は、不思議なくらい私の心を軽くしていくものだった。
「その曲、何て言うの」
私をチラッと見た友暉は、私の手からオブジェを取り、空に掲げてみせる。
つられて私も、空を見上げる。
七色に乱反射した光りが、目に飛び込み、思わず綺麗と呟く私を見て、友暉は嬉しそうに笑う。
「信じなくてもいいけど、お守りとして持っておくといいよ。それにさ、願い事を叶えるには、一つ条件もあるし」
「条件?」
「まあね。本気ですごいパワーがあるからねこれ。そのくらいないとね」
私を試すように、友暉はにやにやと話を焦らした。
「何よ。いらないって言っているじゃない」
「でも、きみは受け取る。受け取って、鍵の相手を探し始める」
「だから、あなたの話、さっぱり分からないわよ」




