第二章 弁護人04
昨日の今日で、茶々丸に合わす顔などないが、ショウの件は、このまま放置しておいてはいけないという口実を作り、ここまでやって来てしまっていた。
動きはじめるための準備さえし始めていない街を抜け、人の流れに逆らって、静まり返っている住宅街へと足を踏み入れる。
スーツ姿の私は、公園のベンチを陣取り、することもなく携帯を弄り始める。
偶然通りかかった人たちの目に、そんな私の姿は異様に思えたのだろう。
視線が止まっては逸らされるのを、背中に感じながら、私は興味もない携帯画面に目を落としていた。
ショウに会いたいのなら、もっと遅い時間でも良かった。むしろその方が、条件としてはいいはず。仕事もいよいよ、まずい感じになって来ている。ここで何とかしなくては、いけないと、もう一人の自分が囁くが、心が頷かないのだ。
桜が風に煽られて、花びらを落とす。
毎日のようにここへ通ってきていたのに、私は、桜が満開になっているのを今まで気が付かないでいた。
現実逃避。
ずっとこの言葉が私に纏わり付いている気がする。
にわかに街が活気づいて行く。
相変わらず、人の通りは少ないが、どこかからか生活の音が聞こえて来ていた。
それに混じり、ハーモニカの音色が不意に耳に入って来て、私はそちらの方へ目を向ける。
「茶々丸」
思わず叫んだ私の声が聞こえたらしく、ハーモニカを持った手を振って見せる。
「偶然ですな」
偶然って……。
ぎこちない笑みを浮かべ、目を泳がせる私に、茶々丸は屈託のない笑みで、ハーモニカを強く吹き始める。
何の曲だろう?
あまり聞いたことがない曲調に、私は茶々丸をじっと見つめてしまう。
得意げに、体中でリズムを取りながら、茶々丸は本当に楽しそうに、ハーモニカを吹いている。いつの間にか、野鳥が飛んできて、桜の木の上でさえずり始める。
どんどん日差しが明るみを増し、茶々丸の存在が眩しくて、目を細める。
私は、この人が好きだ。
無邪気な子供のようにハーモニカを吹く茶々丸から、目が外せなくなってしまった私は、今日、ここへやって来た理由をすっかり忘れてしまう。
次々に曲調が変わり、休むことなく吹きつづけられるハーモニカの音色に、いつの間にか酔いしれ、私はうとうととし始めてしまっていた。
こんなにも気持ちがよい眠りは、久しぶりだった気がする。
カックンと体勢が変わり、私はその拍子に目を覚ました。
もう茶々丸の姿はなかった。
躰を埋め尽くすように振りかかってしまった、桜の花びらを振り払いながら立ち上がった私は、のろのろと茶々丸が住んでいるアパートの前まで赴き、一度見上げてから踵を返す。
私は、無造作に置かれた布団に、包まっているショウの姿を想像していた。
まさか、そんな事があるはずがない。犬や猫ではあるまいし、ましてやショウはしっかり自分のことが話せる年歳だ。そんなことに応じるはずがない。仮にそうだとしても、すぐに事件として扱われるはず。そう思うと、どうして茶々丸があんな嘘を吐いたのか、さっぱり分からなくなる。
今すぐにあの階段を上り、ドアを叩き、その真相を訪ねたかった。
それなのに、私の足はその意思に反するように、駅がある方向へと進み始める。
情けない話だ。
夕べは、あんな大胆な事を言ってのけてしまった人物だとは思えない。知り合いの家を訪問するだけなのに。疑問を明かしたいだけなのに。それをこんなに躊躇ってしまうなんて。
もうここへは、来ない方がいい。
頭の中では、分っていることなのに、私はどうかしてしまったのだろうか。
電車が駅を離れてしまった瞬間から、後悔し始めている。
自分がどうしたいのか、さっぱり分からない。
駅を二つ通過したあたりから、そんな思いも風化し始め出す。




