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はじまり

誰もいないはずの真夜中の校舎。月明かりに照らされた廊下の静寂を破るように、何かを引きずる音が聞こえてくる。

ぎぎぎ・・・、ぎぎぎ・・・

日高ソラトと青木真衣は教壇の陰に身を潜めて息を殺して耳をすませていた。

ぎぎぎ・・・、ぎぎぎ・・・・

鉄の塊のように重い、何かを引きずるような音。

音は確実に近づいていた。




 船戸南中学校は、静かな田舎町にある小さな学校だ。

 全校生徒は百人ほど。一学年一クラスしかない。おまけに生徒のほぼ百パーセントは船戸南小学校からの持ち上がり組みで、お互いの家族構成まで知る仲だ。

「ねえ、今日の夜ってみんな空いている?」

 部活の準備をしながら青木真衣は仲のよいクラスメイトに声を掛けた。

 真衣は、襟足の短いショートカットに、気の強そうな猫目が印象的な可愛らしい少女だ。テレビに出ている某アイドルに似ているということで、男子から密かに人気が高い。

 眠そうな目をした少年、佐々木京介が返事をする。

「オレは空いているよー。雪野は?」

 京介の隣で日誌を書いていたお淑やかそうな美少女が微笑んだ。

「私も空いていますわ」

 真衣は可愛らしいネコさん模様の手帳に書き込んだ。

「京介、○。雪野、○」

「真衣、何をするつもりだよ?」

 いつの間にか真衣の後ろに立っていた少年が彼女の手帳を覗き込んでいる。

「あら、ソラト」

 ソラトと呼ばれた少年は、真衣とほぼ変わらない身長の持ち主だった。

真衣はクラスの女子の中で真ん中ほどの背の高さだから、少年は高いほうだとはいえないだろう。

艶のある硬質な黒髪は短く切られ、よく見れば顔立ちは整っていて悪くない。ただし、よく見ればの話であって、少年の地味な印象に気がつく者はそうそういなかった。

 ほんの僅かだが目線は真衣のほうが高かったので、真衣はこの幼馴染を盛大にからかっている。

「小さくて見えなかったわ」

 泣きそうな声でソラトは叫び返した。

「同じくらいの身長だろ! ・・・まあ、体重は確実に真衣のほうが重・・・ぐえっ」

 真衣の殺意のこもった拳がソラトの鳩尾に入る。

「うぅ、相変わらず容赦ないな・・・。―――なになに、『どきどき☆わくわく 廃校の肝試し大会』・・・この知性が疑われる貧相な語彙力、国語の白鳥先生が嘆いて・・・ぎゃっ」

 足を押さえてソラトが蹲る。真衣の鮮やかな蹴りが脛に決まったのだ。

「廃校って、船戸北小学校のことですの?」

 雪野の問いに京介が細い目を見開く。

「え、船戸に南以外の小学校なんてあるの?」

「ええ。寿グループの管理する土地に三十年くらい前に廃校になった小学校がありますの。今でも一部ですが木造の校舎が残っていると聞いていますわ」

 寿雪野は、ここら辺一体の事業を束ねている寿グループ会長の孫娘だ。

「さすが雪野! よく知っているのね。やっぱり寿グループの才色兼備なお嬢様は違うわ」

 真衣が褒め千切る。雪野は謙虚に微笑んだ。

「おじいさまに聞いていただけですわ」

 ソラトはぼそっと突っ込んだ。

「才色兼備は否定しないんだ」

「というわけで、今夜はそこで肝試し大会を開こうと思うの」

「思うのって・・・、そこは寿グループが管理している土地なんだろう? 勝手に入っちゃダメなんじゃないのか」

 ソラトがもっともなことをいう。京介も頷いた。

 彼らの顔には、面倒、という文字が浮んでいる。

 しかし、雪野はにこにこと答えた。

「問題ありませんわ。私からおじいさまにお願いしておきます」

「いや、そこは断ろうぜ!」

「嫌ですわ」

「即答! ・・・もしかしてさっきの突っ込みのこと、根に持っています?」

 ソラトの抵抗も虚しく真衣のネコさん模様の手帳に「ソラト、○」と書き込まれた。

「俺、行けるなんて一言も言ってないよ、真衣さん」

「時間は九時くらいで大丈夫? よーし、大丈夫ね」

 ソラトの発言は鮮やかに無視される。

「あ、そうだ。みんなの送り迎えはウチのお兄ちゃんがしてくれるから心配しないで!」

「げえっ」

 ソラトが呻き声を上げる。

 地元の大学に通う真衣の兄、真央はソラトの天敵だ。真央は、自分の妹がテレビに出ている某アイドルに似ていると、恥ずかしげもなく公言する兄馬鹿なのだ。

 おまけにどこを勘違いしているのか、ソラトが大切な妹にちょっかいを掛ける悪ガキだと思い込んでいる。何かあるごとに柔道部に所属する暑苦しい肉体を行使した洗礼をソラトはたっぷりと受けるのだ。

ほんとうに暑苦しい迷惑な人である。

「俺、ますます行きたくなくなった・・・」

 がらりと教室の扉が開いた。

 入ってきた人物に放課後のざわめいていた教室が一瞬だけ静まる。

 まず目に入るのは透き通るような銀髪。顔立ちは綺麗に整っているが、濃い青の瞳が凍えるほど冷たく、見る者の足をその場に縫いとめてしまう。

 黒澤マリオ。彼が転校して来たのは一ヶ月前のことだ。

しかし、一ヶ月も経とうというのに未だにマリオと親しく言葉を交わしている者はいない。―――いや、交わせる者はいないというのが正しいだろう。

 一クラスしかない船戸南中は基本的にフレンドリーな生徒ばかりだ。みな顔見知りのようなもので、今さら同級生が一人増えたところでちょっと話して馬鹿みたいに騒げばすぐ打ち解けてしまう。

 だが、マリオの纏う冷たく硬質な雰囲気に、同級生たちは萎縮してまともに話し掛けることすらできなかった。

 ソラトは、隣から「よーし!」と気合を入れる声を聞き取った。

「黒澤くーん」

 席に着こうとしていた黒澤が綺麗な顔を上げる。

(ん、あれ?)

一瞬だけソラトはマリオの青い瞳と視線がぶつかったような気がした。

いや、気のせいだ。

きっと、そのときの青い瞳には、ぶんぶん両手を振り回すショートカットの女の子と呆気にとられ口を間抜けに空けている同級生たちの姿が映っていただろう。

「何か用かな、青木さん」

(あ、名前覚えていたのか・・・)

 ソラトは、初めてマリオが同級生の名前を口にしている姿を目にした。

「あのね、今夜肝試し大会やるんだけど、黒澤くんも来ないかなと思って?」

 少しの沈黙。

「行くよ」

(((((えええええええ~~~!!!????)))))

 その瞬間、真衣とマリオ以外の同級生たちの心は一つになった。

「オッケー。時間は九時ね。場所は船戸北小って廃校だから、ウチの兄貴が車で迎えに来るわ。黒澤くんの家ってどこ?」

「わかりにくい場所にあるから、この学校の門の前に迎えに来てもらっていいかな」

「了解。九時前くらいに正門に迎えに来るね」

 会話終了。

 何事もなかったかのようにマリオは席に着き、真衣はネコさん模様の手帳に「黒澤くん、○」と書き込む。

 皆が真衣の姿に勇者を讃えるような眼差を向けていた。

「真衣、お前すげぇよ」

「怖いもの知らずですわ、真衣」

「はは、ソラトが叶わないはずだね」

 夜九時までまだ時間はたっぷりとある。

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