神の使いは軽自動車に乗る
第五話「神の使いは軽自動車に乗る」
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スマートフォンの光が、森の中に白く広がった。
「ヒッ! ナンナソイ!?」
縄文人たちが後退した。
「僕らは神の使いだ!」
ユキヒコがカメラのシャッターを連続で切った。
カシャカシャカシャカシャ。
フラッシュが点滅するたびに、縄文人たちが顔を覆って飛び退く。
(そうか。文明を知らないこいつらからすれば、これは驚くのは当然だ)
その瞬間、私は気づいた。
槍を構えていた男の腕が、わずかに逸れていた。
(!)
私は走り出した。
「今だ! ユキヒコ! 逃げろ!」
「!」
縄文人たちが我に返った時には、私たちはすでに駆け出していた。
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「車まで戻るぞ! 走れるか?」
「うん!」
斜面を駆け上がりながら、後ろで縄文人たちの声が聞こえた。
「ドウスッガ? オッカゲルカ?」
「ジャッケン サッキノヒカリハ……」
少女の声が続いた。
「ヒガシノヤツラ チャナカロカ。アイツラ カガミバ ヨーケ モッチョルッチ」
男の一人が答えた。
「ナラ、アレバ ヌスンドゴカ」
「オッカゲッゾ!」
(何を言っているかわからないが、追いかけてくるのだけはわかる)
「ユキヒコ、早く!」
斜面の上から手を伸ばした。
ユキヒコの手を掴んで引き上げる。
(くっ、体力の限界だ)
妻が死んでから、運動らしい運動をしていなかった。
情けないと思いながら、それでも足を動かした。
夕暮れの光の中に、車が見えた。
「よし、車だ!」
その瞬間。
「マテーーー!」
縄文人たちが追いついてきた。
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大柄な男がゆっくりと仮面を外した。
刺青の入った顔が現れた。
目が鋭い。
「オメェラ ドコカラ キタトカ?」
もう一人の男が、面白そうに笑った。
「ヨカヨカ。ドウセ コロシテ ニエニ シチマイヨ」
(ニエ。また生贄という言葉が聞こえた)
男が続けた。
「ワラシハ ヌヒニシテ ウッバヨカカ」
その瞬間、少女が鋭く言った。
「ヤメ!」
男たちの動きが止まった。
「コロスナ」
少女の声は静かだったが、有無を言わせない響きがあった。
「フタリトモ ムラサ ツレテカエレ」
「……ワカイモシタ、ヒメ」
男が頭を下げた。
(なんかヤバいことを話しているのだけはわかる……)
私はユキヒコをかばうように前に出た。
だが頭の中では別のことを考えていた。
(ここまで来れば——)
ポケットに手を入れた。
カチリ。
車のキーロックを解除した。
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車のヘッドライトが点滅した。
「ナンタ アレ!?」
縄文人たちが飛び退いた。
「ユキヒコ、車に乗れ!」
「うん!」
二人で車に飛び乗った。
ドアを閉める。
外で縄文人たちが何か叫んでいる。
「早く!」
エンジンをかけた。
ブオン。
エンジン音が夕暮れの草原に響き渡った。
縄文人たちが後退した。
アクセルを踏んだ。
車が動き出した瞬間、縄文人たちが我先にと逃げ出した。
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(どうだ! お前たちにとって車は恐ろしいだろ!?)
ハンドルを握りながら、思わず笑いそうになった。
その時、サイドミラーに映った。
男の一人が弓を構えていた。
「!」
矢が飛んできた。
ビン、と金属音がして、車体に当たって弾き返された。
「鉄の車にそんな矢が効くかよ!」
ハンドルを切って、男の方へ突進した。
「ヒイイイイイイイ!」
男が腰を抜かして倒れた。
キッ、と車を止めた。
プオオオオオン。
クラクションを鳴らした。
縄文人たちが耳を塞いで蹲った。
窓を開けた。
「いいか!」
ヘッドライトが縄文人たちを白く照らした。
神々しいほどの光だった。
「俺たちは神の使いだ」
「分かったら——帰れ!」
少女が、震える声でつぶやいた。
「カ、カミサマ……」
三人が荷物を地面に置いて、両手を上げた。
プオオオオオン。
もう一度クラクションを鳴らした。
「さっさと帰れ!」
三人が踵を返して、草原を走って逃げていった。
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静寂が戻った。
私はハンドルに額を押しつけた。
全身の力が抜けていくのがわかった。
「お父さん、すごかったね」
ユキヒコが言った。
「ああ……」
私は息を吐いた。
手が震えていた。
窓の外、夕暮れに染まった草原を見た。
逃げていった三人の姿は、もうどこにも見えなかった。
ただ、あの少女の目が頭から離れなかった。
仮面を外していなかった。
最後まで。
あの目は——怯えていなかった。
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第五話 了




