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巫女の舞と、酔漢の使者

一 語り部の披露目


「ミタイの皆よ! この知恵ある者、タカシを──」


 篝火の前の一段高い場所で、アシカビが、広場全体に向かって、声を張り上げた。


 私はその隣に立たされ、緊張で身を硬くしていた。傍らのユキヒコの肩に、そっと手を置いていた。少年もまた、村人たちの視線を一身に受けて、頬を強張らせていた。


「この村の、語り部として、迎えることにした!」


 若き族長の宣言が、夜の広場に響き渡った。



「皆で盛大にこれを祝い、タカシと、その息子ユキヒコを、もてなせ!」


 わあっ、と歓声が上がった。


 太鼓が打ち鳴らされ、村人たちが手を打ち、口々に何かを叫んだ。私とユキヒコを取り囲む輪が、一気に、熱を帯びた。



「お父さん、この村に住めるの!?」


 ユキヒコが、目を輝かせて、私を見上げた。


「ああ。お父さんは、語り部、という仕事をすることになった」


 私は、息子の頭に、手を置いた。


「と、言っても──お父さんは、この村のことは、まだ何も分からないから、まずは色んな人に話を聞く事から、始めないといけないがね」



 アシカビが、こちらに向き直った。


「村の昔の事は、俺が教える」


 若き族長の声には、信頼が宿っていた。


「だからタカシには、村の、これからのことを、共に考えて欲しい」


「も、もちろんだ」


 私は、深く頷いた。



 ──古代の日本では、王にとって、語り部は、巫女に並ぶ地位だったという。


 王は、語り部から"知恵"を、巫女から"神の声"を聞き、その二つを両輪として、まつりごとを行った。


【古代の統治構造──祭政一致さいせいいっちと呼ばれる古代の統治形態において、共同体の指導者は、二つの異なる知の源泉を必要とした。一つは"過去の知"──系譜、伝承、先例、慣習法を記憶し語り継ぐ語り部の知。もう一つは"超越の知"──神託、占い、祭祀を通じて神意を媒介する巫女の知。王(首長)は、この二つの知に支えられて、現在の決断を下した。『魏志倭人伝』が記す卑弥呼の統治──「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」「男弟有り、佐けて国を治む」──もまた、巫女(卑弥呼)と政務担当者(男弟)の二元構造を示している。語り部の存在は、文字を持たない社会において、共同体の記憶を保存する、生きた図書館であった】



 このヒムカの国には、国全体をまとめる王はいない、とアシカビは言った。


 だが、このミタイ族に限っては、族長のアシカビが、実質的に、王の役割を果たしている。


 そして今、私は、その王の傍らに立つ、語り部となった。巫女であるカヤ姫と、並ぶ立場に。


 二十年前、奈良の発掘現場で土を掘り、論文の脚注に埋もれていた一人の考古学徒が、まさか、この二四〇年のヒムカで、生きた"語り部"になるとは──。


二 カヤ姫の舞


 カヤ姫が、嬉しそうに、アシカビの前に進み出た。


「兄様、踊って良いか? 今夜は、踊りたい」


「ああ」


 アシカビは、妹に、穏やかに頷いた。


「存分に、彼らをもてなすが良い」



「カヤ姫が、踊るの?」


 ユキヒコが、顔を上げた。


 カヤ姫は、少年の方を振り返り、はにかむように、微笑んだ。


「ユキヒコに、見て欲しいっちゃ」


 その笑顔は、篝火の光の中で、息を呑むほど、可憐だった。



 ユキヒコの頬が、かあっ、と赤く染まった。


 十歳の少年が、言葉を失って、ただ、少女を見つめていた。


 私は、その横顔を、微笑ましく見ていた。──まあ、惚れるな、これは。



 カヤ姫は、篝火の前に、すっと立った。


 白い衣の裾を、両手で軽く整え、目を閉じ、深く、息を吸い込んだ。


 ──巫女の、舞踊。


 現代の、神楽かぐらのようなものか。


 私は、そう、予想した。


 ゆったりとした、荘厳で、静謐な舞。神に捧げる、厳かな所作。そういうものを、想像していた。



 ドグリとマグリが、大きな太鼓の前に、腰を据えた。


 二人は、互いに目配せをして──。


 次の瞬間、ばちを、振り下ろした。


 ドン!


 予想を、完全に裏切る、激しい一打だった。


 私の予想は、根底から、覆された。


「こ、これは……」


三 天鈿女の系譜


 カヤ姫の、足が、動いた。


 ドン、ドン、ドドン──。


 太鼓のリズムに合わせて、姫の素足が、地面を、リズミカルに、踏み鳴らした。



 それは、私の知る"神楽"とは、まるで違った。


 静謐どころではない。荒々しく、生命力に満ち、躍動していた。足を高く上げ、地を踏みしめ、腰を落とし、また跳ねる。白い衣が、篝火の風を受けて、大きく、翻った。


神楽かぐらの古形──現代に伝わる神楽は、多くが荘重で緩やかなリズムを持つが、これは中世以降に洗練された形式である。古代の神がかりの舞は、むしろ激しく、リズミカルで、トランス状態を誘発するものだったと考えられている。『古事記』の天岩戸神話では、天宇受売命アメノウズメノミコトが、岩戸に隠れた天照大神を誘い出すために舞う場面が描かれる。その描写は「天の香山の天の日影を手次に繋けて……胸乳をかき出で裳緒を陰に押し垂れき」──すなわち、胸をあらわにし、衣の紐を陰部まで押し下げて、激しく踏み轟かせて舞った、とされる。これに高天原の八百万の神が、どっと笑った。神を笑わせ、世界に再び光を取り戻すための、極めて呪術的で、エネルギッシュな舞だった。これこそ、巫女舞の最古形であり、芸能の起源とされる】



 天岩戸の前で、アメノウズメが、胸をあらわにし、足を踏み鳴らして、激しく舞った──。


 古事記に描かれた、あの場面が、今、私の目の前で、再現されていた。


 いや、再現、ではない。


 これが、本来の姿なのだ。後世、上品に整えられる前の、神を呼び、神を喜ばせ、神を笑わせるための、原初の、生命の舞。


 カヤ姫は、胸をあらわにこそしなかったが、その踏み轟かす足の激しさ、全身から放たれる生命力、トランスに入りかけた半ば閉じた瞼──それらは、まさに、天鈿女命あめのうずめのみことの、直系の姿だった。



 ユキヒコは、瞬きも忘れて、見入っていた。


 篝火の炎を背に、舞うカヤ姫の影が、地面に長く伸び、揺れ、踊った。


 村人たちが、手を打ち、声を上げ、その輪が、一つの大きな生命体のように、脈動していた。


 ドグリとマグリの太鼓が、ますます、熱を帯びた。



 私は、しばし、考古学徒であることも、父であることも、忘れて、ただ、その舞に、見惚れていた。


 ──これが、芸能の、起源だ。


 二千年後、能となり、歌舞伎となり、あらゆる日本の舞台芸術の源流となる、その最初の一滴が、今、目の前で、踏み轟かされている。


 私は、その場に立ち会っている。


四 濁酒


 舞が一段落すると、ドグリが、大きな器を抱えて、私の方にやってきた。


「さあ、タカシも、飲むっちゃ!」


 なみなみと注がれた、白い液体を、差し出された。


「おっと、これは……」


 私は、器を受け取った。



 一口、飲んだ。


「ん! 甘酸っぱい……それに、ドロリとしている。かゆのようだ」


 舌の上に、米の甘みと、発酵による酸味が、同時に広がった。喉ごしは、滑らかというより、粘度のある、重たいものだった。


 ──これは、「濁酒どぶろく」の、原型か。


 蒸した米と、こうじと、水を合わせて発酵させただけの、濾過していない酒。


【古代日本の酒──日本列島における酒造りの起源は、稲作の伝来とともに弥生時代に遡る。最古の酒は「口噛みくちかみざけ」──米を口で噛み、唾液の酵素で糖化させ、自然発酵させたもの──だったとされ、これは巫女の重要な役割の一つでもあった。やがて麹菌を用いた酒造りが発達し、『播磨国風土記』には「神に供えた米が濡れてカビ(麹)が生え、それで酒を醸した」という記述がある。弥生時代の酒は、現代の清酒のような澄んだものではなく、米の粒や麹が残った、白く濁った"どぶろく"状のものだった。アルコール度数は低いが、祭祀には不可欠の聖なる飲み物であり、神と人とを繋ぐ媒介として、極めて重要な意味を持った】



 グイッと、飲み干した。


「ぷはっ! 度数は低いが、腹にたまるし、酔いが回るな!」


「いい飲みっぷりだ」


 アシカビが、感心したように、頷いた。


 考古学徒だった頃、発掘現場で教授と酌み交わした安酒以来──いや、東京で妻を亡くしてから、私はほとんど、酒を口にしていなかった。久しぶりの酒が、空きっ腹に、じわりと、染み渡った。



「いい村だ、アシカビ」


 私は、おかわりを注がれながら、笑った。


「みんな陽気で、よそ者の俺たちにも、温かい」



 だが、アシカビの顔が、ふと、曇った。


「……だが、一枚岩では、ない」


 若き族長は、低く、言った。


「ナガツ達の事か」


 私は、グイッと、酒を飲んだ。



「ああ」


 アシカビは、頷いた。


「奴らは今、東から来た『アマテラス』という神に、傾倒している。それ以外の神を、認めんのだ」



 ──アマテラス。天照大神。


 本来は、八百万の神の、頂点に立つ神。だが、それはあくまで、多神教の世界の中での、頂点のはずだ。


 他を認めない、この排他性──。


 まるで、一神教の、カルトじゃないか。


【一神教的排他性と多神教──日本神話におけるアマテラスは、確かに「八百万の神々の主宰神」であり、最高神ではある。しかし、それは他の神々の存在を否定する一神教的な「唯一神」とは本質的に異なる。日本の神道は、多神教アニミズムの体系であり、無数の神々の共存を前提とする。ある神を最高神として戴きつつ、他の神々も等しく祀る──これが本来の姿である。ところが、ネリの説くアマテラス信仰は、「アマテラス以外の神を認めない」という、明確な排他性を帯びている。これは日本神道の本来の性格から、決定的に逸脱している。むしろ、大陸由来の一神教的構造、あるいは、政治的統合のために宗教を道具化した、極めて人為的な信仰形態だった。タカシが直感した"カルト"という印象は、的を射ていた】


五 酔漢、立つ


 アシカビは、深刻な顔で、続けた。


「タカシよ。この村の半分は、もう、俺の声が、届かんのかもしれん」


「……ふーむ」


 私は、酒を飲みながら、唸った。



「タカシ、良い飲みっぷりっちゃ、ねえ」


 ドグリが、また器を満たしてくれた。


「! ああ、久しぶりの酒が、美味くてな」


 私は、それも、グイッと飲んだ。



 ──目が、据わってきた。


 久しぶりの酒が、あっという間に、頭に回った。空きっ腹に、低いとはいえアルコールが、ぐんぐん、染み込んでいく。


 胸の奥で、普段は理性で押さえつけている、何かが、解放されていくのを感じた。



「よし!」


 私は、器を、ドン、と置いた。


「私が、話をつけよう!」


 アシカビが、ドグリが、マグリが、一斉に、驚いて私を見た。



「組織が、割れそうな状況を、放置しておくことは、良くない」


 私は、語気を強めた。


「だが、新入りのタカシでは……」


 アシカビが、戸惑った。


「それを解決するのも──語り部の仕事だろ?」


 私は、胸を、ドン、と叩いた。


「私が、ナガツや、高天原の者の間に入ってみよう」



「物事が上手くいかないのは、全て、話し合いの不足が原因だ」


 目が、完全に、据わっていた。


「私に、任せてくれ」


「だが……」


 アシカビが、止めようとした。


 だが私は、もう、立ち上がっていた。



 周囲を、手で、静止した。


「こう見えても──小さな会社を、経営してたんでな」


「会社?」


 アシカビが、聞き慣れない言葉に、首を傾げた。


 ──そう。私は、東京で、小さな会社を経営していた。


 社員同士のいざこざ、取引先とのトラブル、銀行との交渉──そういった"人間の揉め事"を、頭を下げ、酒を酌み交わし、話し合いで解決してきた、二十一世紀のサラリーマンであり、経営者だった。


 古代の村の宗教対立など、しょせんは、人間同士の話し合いで解決できる──。


 酔った私の頭は、そう、楽観的に、確信していた。


 今思えば、それは、致命的に、状況を見誤った、酔漢の蛮勇だった。


六 夜の祭壇


 その頃──。


 村の離れの、ネリたちの拠点では。


 石を組んだ簡素な祭壇の上で、ネリが、両手を、夜空に向かって、高々と掲げていた。


「アマテラス様に、祈りを、捧げるのです!」


 白衣の男の声が、低く、信者たちの頭上に、降り注いだ。



 祭壇の前には、十数人の村人が、手を合わせ、ぬかずいて、祈っていた。皆、トランスに近い表情で、ネリの言葉を、一言一句、魂に刻み込むように、聞き入っていた。


 その信者たちの輪の、端の方で──。


 ナガツと、その部下が一人、声を潜めて、何かを話していた。



「ナガツ様、この遺体は、どうします?」


 部下が、地面の一点を、顎で示した。


 そこには、ござを被せられかけた、一つの、人の形があった。莚はまだ、完全には被せられておらず、腫れ上がった顔と、えぐり取られた胸の傷が、篝火の薄明かりの中に、覗いていた。


 昨夜、ネリに心臓を抉り出された、あの若者の、変わり果てた姿だった。



 ナガツは、その遺体を、一瞥いちべつした。


 副族長の目に、わずかな、しかし確かな、嫌悪と──恐怖が、よぎった。


「森深くに、埋めておけ」


 ナガツは、低く、吐き捨てた。


「アシカビに、知られると、面倒だ」


 ずずっ、と、莚が、遺体の全体に、被せられた。


 腫れ上がった顔も、抉られた胸も、莚の下に、隠れた。



 その、まさに、その瞬間だった。


「ちょっと、お邪魔しますよ〜」


 暢気のんきな声が、闇の向こうから、近づいてきた。


 ナガツの全身が、びくり、と硬直した。


「!!」



 篝火の灯りの中に、ふらり、と、一人の人影が、現れた。


 頬を、ほんのり赤らめ、足元を、わずかに、ふらつかせている。


 ──私だった。



「こんばんわ、ナガツさん」


 私は、にこやかに、片手を上げた。


「この村の、新しい語り部として、挨拶に、来ました」



 ナガツも、ネリも、信者たちも、莚を被せたばかりの部下も──全員が、凍りついた。


 莚の下の遺体に、私はまだ、気づいていなかった。


 ネリの祭壇の、不穏な空気にも、気づいていなかった。


 信者たちの、トランス状態の目の、異常さにも、気づいていなかった。



 ──この時、実は、私は、壮絶に、酔っ払っていた。


 二四〇年のヒムカで、最も危険な男たちの巣窟そうくつに、丸腰で、ほろ酔いの語り部が、たった一人、にこやかに、足を踏み入れていた。


 莚の下に、つい昨夜、心臓を抉り出された遺体が転がっていることも知らずに。


 目の前の白衣の男が、その心臓を、アマテラスに捧げた張本人であることも知らずに。


 私は、ただ、"話し合えば、解決する"という、二十一世紀の楽観を、唯一の武器に、笑顔で、立っていた。


(第二十話 了)




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