04:忘れられた村の人々
マルコさんたちと別れてから、三日が過ぎた。
宿場町を越えた先の道は、もはや道と呼べるものではなかった。人の踏み跡はとうに消え失せていて、どこへ続いているのかも定かではない。僕は古い地図と太陽の位置だけを頼りに、ひたすら東を目指した。
見渡す限り広がるのは、痩せた赤茶けた大地と、まばらに生えた枯れ草ばかり。時折、低級な魔物であるゴブリンに出くわすこともあったけれど、幸いにも深追いしてくることはなかった。
(本当に、この先に村なんてあるんだろうか…)
何度も心が折れそうになった。マルコさんにもらった食料も底をつき始めていて、引き返そうかという考えが悪魔の囁きのように頭をよぎる。だが、僕にはもう帰る場所はない。前に進むしか道はなかった。
そして、四日目の昼過ぎ。
遠くの丘の向こうに、僕はそれを見つけた。
古びた木の柵。傾きかけた見張り台。そして、その奥にかすかに見える、数軒の粗末な家々。地図が示していた『忘れられた村』――エルダ村に、僕はついにたどり着いたのだ。
しかし、安堵したのも束の間。村に近づくにつれて、僕の胸は言いようのない不安に包まれていった。
想像していた以上に、村は寂れていた。
いや、寂れているという言葉すら生ぬるい。まるで世界から見捨てられ、ゆっくりと死に向かっているかのような、重苦しい空気がそこには淀んでいた。
村を囲む柵はあちこちが朽ち果て、魔物の侵入を防ぐ役割など果たせそうにない。
畑らしき場所はあったが、そこに植えられている作物はどれもひょろひょろと弱々しく、葉は黄色く変色している。
村の中を歩いていても、人の気配がほとんどしない。時折、家の窓からこちらを窺う視線を感じるが、それは好奇心というよりも、得体の知れない侵入者に対する警戒心に満ちていた。
村人たちの姿をようやく見つけたのは、村の中央にある広場らしき場所だった。そこには、ひび割れて完全に干上がった井戸がある。その周りに数人の老人たちが、まるで枯れ木のように座り込んでいた。
彼らの目は、皆一様に虚ろだった。頬はこけ、着ている服は継ぎ接ぎだらけ。その姿からは、生きる気力というものがまったく感じられない。僕が広場に足を踏み入れても、彼らはちらりと視線を向けただけで、すぐに興味を失ったようにうつむいいてしまった。
(ひどい場所だ……)
僕は言葉を失った。
ここは、僕が再起を誓う場所にはなり得ないのではないか?
むしろ、ここにいたら僕自身が、彼らと同じように希望を失い、生きたまま枯れていってしまうのではないか?
そんな恐怖さえ感じた。
「……旅の方かの?」
不意に、背後からしわがれた声がした。
振り返ると、そこにはひとりの老人が立っていた。他の老人たちとは違い、その背筋はしゃんと伸びている。他の村人たちと似たように瞳が濁ってはいるが、その奥には確かな意志の光が宿っていた。簡素な杖をつき、長く白い髭をたくわえたその姿は、どこか威厳を感じさせた。
「わしはこの村の村長をしておる、ギデオンという者じゃ。見ない顔じゃが、一体何の用でこんな果ての村へ?」
「あ……僕はアルト、と申します。旅の者です。少し、事情があって……。行くあてがなく、この村にたどり着きました」
僕が正直に話すと、ギデオンと名乗った村長は、その鋭い目で僕の頭のてっぺんから爪先までをじろりと検分した。まるで、僕という人間の値踏みをしているかのようだ。その視線に少しだけ、勇者パーティーにいた頃の居心地の悪さを思い出した。
「ふむ……行くあてがない、か。まあ、この村に流れ着く者は、皆似たようなものじゃ。だが、生憎と、旅人を歓待できるような余裕は、今のこの村にはない。見ての通り、食料も水も、我々が生きていくので精一杯じゃ」
村長の言葉は、遠回しな立ち退き勧告だった。無理もない。こんな状況で、流れ着いた見ず知らずの若者を養う余裕などあるはずがない。
「分かっています。ご迷惑をおかけするつもりはありません。ただ……せめて今夜一晩だけでも、どこか雨風を凌げる場所を貸していただけないでしょうか。明日には、必ず出ていきますから」
僕は深々と頭を下げた。今夜、野宿をするだけの体力は、もう残っていなかった。
僕の必死の懇願に、村長はしばらく黙って僕を見つめていた。その表情は厳しく、何を考えているのか読み取れない。やがて、彼は大きなため息をつくと、杖で村の端にある一軒の小さな小屋を指さした。
「……あそこの小屋を使いなさい。もう何年も誰も住んでおらんが、屋根があるだけマシじゃろう。ただし、食料は自分で何とかすることじゃな。それと、村の者にあんまり関わるでないぞ」
「ありがとうございます!」
僕は再び深く頭を下げた。
とりあえず、今夜の寝床は確保できた。それだけでも、ありがたかった。
村長はそれだけ言うと、僕に背を向けて去っていった。
結局、最後まで彼の表情が和らぐことはなかった。
寝床としてあてがわれた小屋は、想像以上にボロボロだった。扉は傾き、壁には隙間が空いている。床には分厚い埃が積もり、部屋の隅には蜘蛛の巣が張っていた。それでも、硬い地面の上で眠るよりはずっとましだ。
僕は荷物を下ろすと、まずは小屋の掃除から始めた。埃を払い、床を拭き、破れた窓に手持ちの布を詰める。身体を動かしていると、少しだけ気が紛れた。
掃除を終える頃には、陽が傾き始めていた。マルコさんにもらった最後の黒パンを半分だけ齧り、残りは明日のためにとっておく。
(明日になったら、ここを出ていかないと……)
でも、どこへ行けばいいのだろう。
この村がこれほどの有様なら、この先にも希望があるとは思えない。
僕は再び、途方に暮れていた。
その時だった。
小屋の傾いた扉が、ギギギ、と小さな音を立てて少しだけ開いた。
隙間から、小さな顔がこちらを覗いている。
「……?」
僕が声をかける前に、その顔はさっと引っ込んでしまった。
気になって外へ出てみると、小屋の陰に小さな女の子が隠れていた。年は七つか八つくらいだろうか。痩せてはいるが、大きな栗色の瞳が印象的な子だった。その手には、空っぽになった木のコップが握られている。
僕が近づくと、少女はびくりと肩を震わせ、後ずさった。村長に「村人には関わるな」と言われたことを思い出し、僕は少し離れた場所で立ち止まった。
「大丈夫だよ、何もしないから」
僕はできるだけ優しい声で話しかけた。
少女はしばらく僕のことを警戒するように見つめていたが、やがておずおずといった様子で、小屋の陰から出てきた。そして、僕の前に小さなコップを差し出した。
「……お兄ちゃん、旅の人?」
「うん、そうだよ。アルトっていうんだ」
「わたし、サラ……。あのね、お兄ちゃん……」
サラと名乗った少女は、何かを言いかけては、口ごもる。その目は、僕の腰にぶら下がっている水筒に、じっと向けられていた。
僕はその視線に気づき、はっとした。
この子は、喉が渇いているんだ。
僕は水筒を外して、蓋を開けた。中には、僕が飲む分として、もう半分ほどしか水が残っていない。だが迷いはなかった。僕はその水を、サラが差し出した木のコップになみなみと注いでやった。
「わあ……!」
サラの目が、ぱあっと輝いた。彼女はこくこくと、夢中になって水を飲み干す。その飲みっぷりから、よほど喉が渇いていたことがうかがえた。
「ありがとう、お兄ちゃん! おいしい!」
「どういたしまして。そんなに喉が渇いていたのかい?」
「うん……」
僕が尋ねると、サラはこくりと頷く。悲しそうな顔をして、村の中央にある井戸を指さした。
「村の井戸、もう何年も前に枯れちゃったんだ。だから、お水は森の奥まで汲みに行かないといけないの。でも、最近は魔物が出て危ないから、あんまり行けなくて……。みんな、いつも喉が渇いてる」
その言葉に、僕は胸が締め付けられる思いがした。
この村の深刻な水不足。それが、村全体の活気を奪っている原因のひとつだった。
「……そう、だったのか」
「うん。だからね、お兄ちゃんが持ってたお水、キラキラして見えたの」
サラは恥ずかしそうに笑った。
その無邪気な笑顔が、僕の心の奥にある何かを、強く揺さぶった。
この子たちの笑顔を守りたい。
この子たちが、お腹いっぱいご飯を食べてられるようにしたい。
喉の渇きを心配することなく眠れるようにしてあげたい。
僕の中に、勇者パーティーにいた頃には感じたことのない、純粋な衝動が湧き上がってきた。それは、「誰かの役に立ちたい」という、僕の錬金術師としての原点ともいえる感情だった。
「サラちゃん、ちょっと待ってて」
僕はサラにそう言うと、彼女が持っていた空のコップを借りた。
そして、スキル【アイテム・クリエーション】を発動させる。
(水を、作るんだ……!)
これまで、ポーションや道具は何度も作ってきた。だが、ただの「水」を、しかも大量に作るのは初めての経験だった。
清らかで、冷たくて、美味しい水のイメージを、頭の中に全力で思い描く。
僕の魔力が、コップの中に集中していく。
その時だった。
僕の脳内に、今まで感じたことのない、膨大な情報が流れ込んできた。
空気中の、水素原子と酸素原子の存在。
それらを分解し、H2Oという分子構造へと再構築する術。
頭の中を駆け巡る情報そのものは、一体何なのか理解が及ばない。しかしそれらが必要なものなのだということだけは理解できた。
さらに、ただの水分子の構造だけでは終わらなかった。
大地に含まれるミネラルの組成、大気中に漂うマナの粒子、そして、この土地そのものが持つ、微かな生命エネルギー。
それらすべてが、僕のスキルと共鳴し、設計図に組み込まれていく。
(なんだ……これは……?)
僕の意思とは関係なく、スキルが勝手に暴走しているかのような感覚。
だが、不思議と不快感はなかった。むしろ、これまで閉ざされていた世界の真の姿が、ようやく見えたような、全能感にも似た感覚が僕を包み込んだ。
次の瞬間、僕が持っていた木のコップから、眩いほどの光が溢れ出した。
光が収まると、コップの中には、ただの透明な液体が満たされていた。
しかし、それは僕がイメージした「ただの水」ではなかった。
液体は、まるでそれ自体が生命を持っているかのように、淡い翠色の光を放っている。さらにそこからは、生命力に満ち溢れた、森の若葉のような清々しい香りが立ち上っていた。
「……できた」
僕は、目の前で起きた奇跡に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
僕のスキルは、こんな力を持っていたのか?
いや、これはもう、【アイテム・クリエーション】などというスキルの領域を、遥かに超えている。これは、まるで――。
「わあ……! きれい……!」
僕の隣で、サラが目をキラキラさせて歓声を上げた。
その声に、僕は我に返る。
目の前で喉を渇かせている少女のために、この奇跡の液体を差し出そうとして。
一瞬、留まる。念のため、自分で口に含んでみた。
……うん。変な感じはしない。飲み込んでも、拒否反応は起こらない。飲んだ水が身体に染み込んでいくような感覚。変な味もしないし、問題はなさそう。
というか、むしろ……。
「さあ、飲んでみて」
サラはこくりと頷くと、その液体を一口、口に含んだ。
その瞬間、彼女の大きな栗色の瞳が、信じられないというように、さらに大きく見開かれた。
「おいしい……! 今まで飲んだどんなお水よりも、おいしいよ! それに、なんだか、身体の中から力が湧いてくるみたい……!」
そう言うと、サラは再び夢中で液体を飲み干した。
そして、信じられないことが起こった。
さっきまで、栄養不足で少し青白かった彼女の頬に、みるみるうちに健康的な血の気が差していく。そして彼女の瞳に、今までなかった力強い輝きが宿ったのだ。
「まさかとは思ったけど……」
僕のスキルは、ただの水を作ったのではなかった。
この土地の生命力と、僕の魔力を融合させ、治癒と活性の効果を持つ、超高純度の「聖水」を創造してしまったのだ。
僕の本当の力が、今、静かに覚醒の産声を上げた。
そして、その奇跡の始まりを、遠くの物陰から、村長のギデオンさんが驚愕の表情で見つめていることなど、僕とサラはまだ知る由もなかった。
-つづく-
次回、第5話。「神スキルの覚醒」。
目覚めた能力。そして、思い出した僕の本質。
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