02:追放宣告
「もう限界だ」
背を向けたアレクから放たれた言葉は、まるで氷の刃のように僕の胸を突き刺した。焚き火の爆ぜる音だけが、やけに大きく耳に響く。さっきまで死闘を繰り広げた身体の熱は急速に失われていって、代わりに指先から冷たい何かが這い上がってくるのを感じた。
「……え?」
かろうじて絞り出した声。それは自分でも情けないほどに、か細く、震えていた。
何かの聞き間違いだと思いたかった。彼らは疲れているんだ。激戦のせいで、少し苛立っているだけなんだ。そう自分に言い聞かせようとした。けれど、ゆっくりとこちらに振り返ったアレクの瞳を見て、その希望的観測は粉々に砕け散った。
彼の蒼い瞳には、かつて僕をスカウトした時の熱意も、仲間として接してくれた時の親愛も、何ひとつ残ってはいなかった。そこにあるのは、無価値なものを見定める鑑定士のような、冷徹で無機質な光だけだった。
「聞こえなかったのか、アルト。もう限界だと言ったんだ。お前のスキルの限界が、このパーティーの限界になっている」
「そん……な……」
「事実だろう?」
アレクは淡々と、判決を言い渡す裁判官のように言葉を続けた。
「俺たちはこれから、さらに深層を目指す。そこに出現する魔物は、今日のミノタウロス・ロードなんて比較にならんほど強力だ。そうなれば、今以上にお前の支援が必要になる。だが、お前は今日の戦いで既に限界を見せた」
彼は、僕の足元に視線を落とす。そこには、僕が調合に使った薬草の残りカスや、生成に失敗した出来損ないの触媒石が散らばっていた。それは僕が必死に戦った証のはずなのに、今のアレクには無能の証明にしか見えていないようだった。
「お前の作るポーションでは、俺たちの消耗に追いつかない。お前の施すエンチャントでは、強力な魔物の防御を貫けない。お前の応急修理では、伝説級の武具の消耗を防ぎきれない。違うか?」
「……っ」
何も言い返せなかった。すべて、事実だったからだ。
僕は自分のスキルの限界を痛感していた。それでも、工夫と努力で何とか埋め合わせようと、寝る間も惜しんで研究を重ねてきた。いつか、彼らの期待に応えられる日が来ると信じて。
でも、その努力は、彼らにとっては「無駄な足掻き」でしかなかったのだ。
「悪いが、俺たちには足手まといを抱えて進む余裕はない。魔王討伐という大義のためだ。非情な決断も必要になる」
その言葉に、黙って聞いていたリリアがすっとアレクの隣に寄り添った。
「アレクの言う通りよ、アルト。あなたはよくやってくれたわ。ええ、感謝はしている。でも、それはこれまでのお話。これからの私たちには、もっと高レベルの支援が必要なの。分かるでしょう?」
その口調は穏やかだったが、内容は残酷な最後通告だった。彼女の瞳は、僕を案じているのではない。僕を切り捨てることで揺らぎかねないアレクの心を案じていた。僕という存在は、彼女の視界にはもう入っていない。
「そんな……待ってください! 僕は、もっと頑張ります! もっと強くなって、必ずみんなの役に立ってみせますから! だから……!」
僕は必死に、地面に膝をついて懇願した。
この場所を失うことが、どれほど恐ろしいことか。孤児院を出てから、初めて見つけた僕の「居場所」。それを失って、またひとりぼっちに戻るなんて、考えただけで息が詰まりそうだった。
「おいおい、見苦しいぜ」
僕の最後の望みを打ち砕いたのは、ダイン。腕を組んで僕たちのやり取りを眺めていた彼の、冷たい一言だった。
「もうお前は用済みだって言われてるのが分かんねえのか?」
「ダインさん……!」
「そもそもよぉ」
僕は言葉を返そうとする。
けれど、被せるようにして、ダインは吐き捨てるように言い続ける。
「お前がいると、単純にパーティーの分配金が四分の一になるのが無駄なんだよ。戦闘にも参加しねえ雑用係に、俺たちと同じだけの報酬をくれてやってたんだ。ありがたく思えよな」
分配金。
その言葉に、僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。
僕は、そんなことを一度も考えたことがなかった。僕にとっての報酬は、みんなの「ありがとう」という言葉だけで、それで十分だったのに。お金なんて、ポーションの材料が買えればそれでよかった。
だが、彼らにとっては違ったのだ。
僕は、彼らの利益を損なうだけの存在だった。
「ひどい……そんな言い方……」
「事実だろうが。なあ、アレク。こいつに渡す分の金があれば、王都で一流の錬金術師を雇える。高純度のエリクサーだって買えるはずだ。違うか?」
「……その通りだ」
アレクはダインの言葉を、静かに肯定した。
その一言が、僕の心を繋ぎとめていた最後の糸を、ぷつりと断ち切った。
ああ、そうか。
最初から、そうだったんだ。
僕は仲間じゃなかった。ただの「コストパフォーマンスの良い道具」だった。
そして今、もっと性能の良い道具に買い換えるために、僕は捨てられる。
ただ、それだけのことだったんだ。
膝をついたまま、僕は顔を上げられなかった。涙が溢れそうになるのを、奥歯を噛みしめて必死に堪える。ここで泣いたら、本当にただの見苦しいだけの存在になってしまう。それだけは、嫌だった。
「……分かりました」
絞り出した声は、自分でも驚くほど静かだった。
もう、何もかもどうでもよくなっていた。
僕の返事を聞いて、アレクはどこか安堵したような表情を浮かべた。彼は懐から小さな革袋を取り出すと、それを僕の前に放り投げた。
チャリン、と軽い音がして、数枚の銀貨が地面に転がる。
「これまでの働きに免じて、餞別だ。それと、今着ている装備はくれてやる。それだけあれば、どこかの街までたどり着けるだろう」
「……」
「これ以上、俺たちについてくるな。明日、俺たちは夜明けと共に出発する。お前は別の道を行け。いいな?」
返事はしなかった。いや、できなかった。
僕はただ、地面に転がる銀貨を、虚ろな目で見つめていた。
僕がこのパーティーに捧げた時間と、心と、命を削るような努力の対価。
それが、たったこれだけ。
リリアが、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「そうだわ、アルト。あなたが持っている素材ポーチ、それを置いていってちょうだい。あれはパーティーの共有資産でしょう?」
それは、僕がこれまでダンジョンで採集したり、ギルドの報酬で買い足したりしてきた、錬金術の素材が詰まった大切なポーチだった。中には、もう手に入らないような希少な鉱石や薬草も入っている。僕の錬金術師としての、ささやかな財産だった。
「……これも、ですか」
「当然よ。あなたが持っている意味、もうないでしょう?」
リリアの言葉には、一片の情もなかった。
僕はゆっくりと立ち上がると、震える手で腰のポーチを外し、それを地面に置いた。僕がここにいたという証が、またひとつ消えていく。
アレクはもう一度僕に背を向けると、自分のテントへと向かった。
「話は終わりだ。達者でな、アルト」
その声には、もう何の感情もこもっていなかった。
リリアもダインも、僕に一瞥もくれることなく、それぞれの寝床へと去っていく。
焚き火の前に、僕はひとり取り残された。
パチパチと燃える炎が、まるで僕の無力さを嘲笑っているかのようだった。
仲間たちのテントからは、これからの冒険について語り合う、楽しげな声が微かに漏れ聞こえてくる。僕がいなくなった後の、未来の話だ。
もうそこに、僕の居場所はない。
どれくらいの時間、そうして立ち尽くしていただろうか。
やがて夜が更け、仲間たちの話し声も聞こえなくなった。
僕は、最後の力を振り絞るようにして、ゆっくりと歩き出した。アレクたちが進むダンジョンの深層とは逆の、地上へと続く道へ。
一歩、また一歩と進むたびに、楽しかった記憶が蘇っては消えていく。
初めてアレクに褒められた日。
リリアと一緒に薬草を摘みに行った森。
ダインの無茶な戦い方を、徹夜で作ったポーションで支えた夜。
それらすべてが、偽りだったとは思いたくない。
でも、もう確かめる術はなかった。
背後で燃える焚き火の光が、だんだんと小さくなっていく。
あれは、僕がこの世で唯一見つけた、温かい場所のはずだった。
ダンジョンの出口から外へ出ると、冷たい夜風が僕の頬を撫でた。
空には満月が浮かび、星々が瞬いている。それは、あまりにも美しい夜だった。
その美しさが、僕の孤独を一層際立たせた。
どこへ行けばいいんだろう。
これから、どうやって生きていけばいいんだろう。
僕は、無一文で孤児院を飛び出した日のことを思い出していた。
あの時も、こんな風に途方に暮れていた。
でも、あの時はまだ、希望があった。「錬金術師として、誰かの役に立ちたい」という夢があった。
その夢は今、勇者たちによって無残に踏みにじられた。
雨が、ぽつり、ぽつりと降り始めた。
冷たい雫が、僕の髪を、服を、そして心を濡らしていく。
涙なのか、雨なのか、もう分からなかった。
僕は、雨に打たれながら、ただ立ち尽くす。
この世界にたったひとりで放り出された絶望を、全身で受け止めながら。
ふと、懐に入れていた古い羊皮紙の感触に気づいた。
それは、孤児院の院長先生が、僕が旅立つ時にこっそり握らせてくれたもの。
震える手でそれを取り出す。洋皮紙には、雨に濡れて滲んだインクで、古ぼけた地図が描かれていた。
それは、王国の誰もが存在を忘れた、辺境の地の地図。
地図の隅には、院長先生の優しい文字で、こう書き記されていた。
『もし、すべてに疲れてしまったら。ここへお行きなさい』
小さな村を示す印。そして『忘れられた辺境』という文字が書かれている。
あの時は、こんな場所に行くことなんてないと思っていた。
でも、今となっては。
(もう、どうでもいいか……)
誰も僕を知らない場所へ。
誰も僕に期待しない場所へ。
すべてを捨てて、消えてしまいたい。
僕は、力なく地図を握りしめた。
雨でぬかるむ道を、おぼつかない足取りで歩き始める。
王都の喧騒も、勇者たちの栄光も、すべてに背を向けて。
ただ、忘れ去られるためだけに。
僕の新たな旅は、人生で最も深い絶望の夜から、静かに始まった。
-つづく-
次回、第3話。「辺境を目指して」。
逃げ出すような、新たな旅路。けれど新たな出会いが、傷ついた心を少しだけ癒す。
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