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6、秒速七キロの監獄

 9月1日は色々と忙しかったので、病院にはいけなかった。

 それは昨日の時点で言っていたのだが。

 9月2日。学校を出るときに母親に呼び止められた。『今日は一度家に帰ってきなさい』と。すぐにでも病院に行きたいという気持ちはあったが、病院、家、学校はそれぞれさほどの距離でもない。

 わかった、と返事をして学校に行った。

 

「ただいまー」

 玄関から帰って、中にいるはずの母親に声をかける。

 この時間ならば台所にいる事の多い母は、どうしてか居間の方から返答した。返答は若干の高圧的な態度を含む物で、同時に、硬さを含んでいた。

「こっちに来なさい」

 と言うのがその内容で、怒っているのに怒ってない風を装う様な少しのぎこちなさがある。

「なに、お母さん?」

 怒っているのだとしたらその怒りの理由が不明だ。

 怒られるような事をした覚えは……夏休みにテロリスト並の火薬を病院に持ち込んだ事ぐらいだ。

 けれど、怒られるのかと身構えたところに来たのは怒りではなく命令だった。

「……病院に行くのを止めなさい」

 ――え、と。止まる、ランドセルの重さを殊更肩に感じる程の時間が経って。

「ど、どういう意味?」

「意味は分かるでしょう? 歌成ちゃんは頭が良いんだから」

 それは皮肉か。

「――なんで?」

「言わなくてもわかるでしょう?」

 確かに、想像は付いているけれど。確信が得たいのだ。

 どうして、親というのはこういう言い方を……。

「言って」

 私の言葉に、はぁ、とため息をつく母。

「貴女は私の娘ね」

「……?」

 意味が理解できない私に。

「貴女のおばあちゃん、お母さんのお母さんが、お父さんとの結婚に反対したとき、私も同じような事を言ったわ。『不安定な職業の相手と結婚するのか』とか『繊細な職業の夫の内助をできるのか』とかね」

「だったら……」

「おばあちゃんは、イメージで、決めつけで話してたわ。お父さんがどういう人かを知ろうとせずに、ただ、画家という職業のイメージで」

「お母さんだって……!」

 という私の反論は母親の気合いとも言うべき物にかき消される。

「私は画家をイメージとしてでなく知ってます。ずっと、見てきましたから、貴女の人生よりも長く」

「だから?」

「だから、貴女を止めるのは母親である私の役目です」

 そういう母の表情は凜、としている。

 授業参観に来たときにクラスメイトの大半にうらやましがられた要望の母だ。が、対峙して、凛とした緊張感が加わると逃げ出したい気持ちが少なからず生まれる。

「お母さんは、お父さんといて、一つも良い事無かったの!?」

 必死という心をもって、言葉を紡ぐ。

「そんな事無いわ、若い頃はそれこそ、二人でいる事が幸せだったし、……それに貴女が生まれた」

 凛とした鋭さを優しさに変える母。嬉しい、という思い。それと同量の、卑怯だという思いが生まれる。

「だったら!」

 私の言葉は、幸せであったことを、否定する事の否定。

 けれど。

「――あの人と一緒にいた幸せは、あの人の拳で砕かれたわ。貴女がいる事の幸福まで画家という職業に奪われたら、私はきっと、壊れてしまう」

「――っ!」

 卑怯だ。卑怯! 大人は、子供に理性を持って立ち塞がるべきだ。なぜなら感情は子供の持ち物だから。なのに、私よりも長く生きて頭も良いはずの母親は、私の前に感情まで持って立ち塞がる。

「でも、そんなの!」

「試してみなければ、わからない。ですか?」

 言葉を先に取られる。

「たしかに、試みもなく、結果を求めるのは早計です。まして、人はそれぞれに違うのですから。……けれど、失敗したと思えるような例が目の前にいます。失敗の確率の方が高いのに。――貴女のたった一つの人生をかけて確かめる価値があるのですか?」

 ――それは。

 自分を幸福そのものだと呼んでくれている相手の人生をもかけるということだ。不幸になるわけにはいかない。その上で、かける事が出来るのかと言われれば、答えは。

「――」

「……」

「――」

「……わかった」

 

 ――私は折れた。

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