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杯のA4

「数日共に行動しただけで私を篭絡できたと思ってるのか? なめてるのか?」

 などと、そんな暴言を吐くことも少しは考えた。だが、こんな考え無しの子供にそれを言って何がどうなるというんだと自問した結果、サイラスはそれを抑えた。


「お前達は後ろ盾も失ってたった二人でこの国でしばらく滞在することになる。ならば軽率な行動は慎むべきだとわかるだろう」

 年長者として、サイラスはツィーと妹姫に淡々と説教をする。

「ここはあなたがいたかつての王宮ではない。あなたが涙を見せてそれに同情して行動を先回りしてくれるような人間はいないのだ」

 妹姫は俯いてそれを黙って聞いている。しわができそうなほど固く引き結ぶ唇が如実に彼女の悔しさを現している。それを見て、サイラスは本当に幼く未熟だと改めて理解する。

 淡い色味の柔らかな金の髪も大きくて瑪瑙のような青緑色の瞳も美しいのだが、まだその所作に気品は十分備わっているとは言えない。それを教育される前に、彼女はあの境遇に入れられたのだ。


 そんな妹姫を見て、姉姫の気丈さが思い出される。鋭いほどに光を反射する冴え冴えとした金髪に透明度の高い緑柱石のような瞳は暗がりでも煌々として見えた。それらの色味が彼女の気の強さと気位の高さによく似合っていた。


 前途多難。そんな言葉を思い浮かべながら、サイラスは二人を正しく導くには覚悟を決めて辛抱強くいかねばならないと思うのだった。




 出会いから数年。少年は青年へと成長し、年配者の何人かは他界した。

 他界した彼らはこの祝いの空気を味わえないがそれが残念だとはサイラスは思えない。サイラスは素直な気持ちでこの祝いの場を受け止められていない。


 ノーマとの長きにわたる闘争は終わり、一つの国が新生した。それがプラウドである。初恋の姫を想って泣きべそを浮かべていたかつての少年ツィーはたくましく成長し、仲間が彼の元に集い、結託して見事ノーマを打ち倒すことに成功したのであった。


 サイラスはその仲間の一人として、ツィーと共に戦ったのであった。



 戦いが続いている間はまだ、こんなことで悩む日が来るとは思っていなかった。だが、その兆候は戦いの日々の中にも確かにあったのだ。



「合同で式を挙げるだと? お前は正気か?」

 サイラスが怒気を込めて言えば、かつての少年のような自信なさげな顔を見せる。

「妻を複数娶るだけでも気が触れたとしか思えんのに、よくもそんなことを思いつけたもんだな」

「そんな言い方は止せ!」

 声を張るのはツィーではなく、彼の側近として侍る男であり、ツィーの妻の一人の兄でもある。この男は単なる懐刀としてでなく、外戚としても力を持つのだ。

 政治利用のために自分の妹を差し出すなど、そんな真似ができる男だとは思っていなかったが、現実はこうである。


 あまつさえ、ツィーは彼一人に特別扱いをすべきではないと考えたのか、サイラスにも同じようにしないかと声をかけてきたのであった。

 当然、サイラスは激怒した。即座に断り、妻は一人にしろと進言した。

「優しさのつもりか? そんなものは単なる多情だ。俺には残酷なことをしているようにしか思えんね」

 サイラスは正直に自分の感情をぶつける。それでツィーの目が覚めることを願っていた。だが、それは叶わない。


 ツィーは複数の女に優しさを示し、惚れられ、それを無碍にできず、彼女たちすべてを妻にと望んだ。

 サイラスは馬鹿めと何度も毒づいた。


 サイラスが即座に断ったその陰でミレイアは泣いた。サイラスはミレイアを宥めつつ、彼女には幸せになって欲しいと真に望んでいると切に語る。

「あのような結婚形態で幸せになどなれるものではない。考えればわかるだろう。この後に待っている地獄が。ただ寵を待つだけの女達の間にどんな緊張が産まれるか……」

 泣き濡れながらも、ミレイアは最後には納得した。


 ミレイアを慰めながら、どうしてこんなことができるんだとサイラスは物悲しくなった。あの時、娼館の女を哀れに思って助けたいと願ったのではないのか。お前は本当にあの姉姫のことしか考えていなかったのか。


 ツィーの初恋の君は子を一人生んで姿を消した。彼女は最後までツィーのものにはならなかった。叶わなかった初恋が、一人の男を狂わせたのだろうか。



 王城の一角で喧嘩をし涙を流す父娘の姿を見る。

「お父様、どうかお許しください!」

「私は、お前にそんな修羅の道など歩んで欲しくはない!」

 妻の一人にと望まれている娘とその父だ。戦いの日々の中でツィーが助けた娘は彼と恋に落ち、その縁で彼女の父は共に戦う仲間となった。

 父は娘との縁を元に辺境伯の地位を打診されていた。サイラスがミレイアの輿入れを拒んだことで、辺境伯の地位は彼にと譲られる流れとなった。だが、彼はまだ渋っていた。その彼を涙ながらに娘が切々と説き伏せている。


 それを横目に見てサイラスはやはり地獄だと思った。こんなところにはいられない。サイラスはこの地を去って、元いたメディナへ帰ることを決めた。



「ミレイアと一緒に共にここにいてくれよ」

 ツィーが懇願するが、サイラスは決して頷かなかった。代わりに彼は新たな事実を突きつける。

「お前、ノーマの女とも寝ただろう」

 サイラスの言葉にツィーが瞠目する。

「知られないと思ったか? あの女、私と接触してきて私を誘うんだ。お前を落とせたから、私も落ちると思ったんだろう」

 ノーマの壮年の男達は一人残らず死んだ。ノーマを全員根絶やしにせよとの声をねじ伏せ、残されたわずかな女達と老人と子供達は見逃されることとなった。

 残ったノーマ達は権力を持たず、国を持たず、土地を耕さず、放浪する遊牧民として生活していく。


 サイラスは周辺の領地と協力して彼らを監視する代わりに彼らが放浪することを許した。ツィーが彼女達を生かしたいと願ったからだ。

「あの女はしたたかだな。生きるためなら何でもする。そんな気概を持っている」

 サイラスの言葉にツィーはショックを受けたようだった。自分が彼女に惚れられていると思っていたんだろうか。うぬぼれも大概にしろと思う。



「お前、足元をすくわれないようにな」

「そんなこと言わないで、俺を側で支えてくれよ」

「私は自分の本来守るべき土地を守りたい」

 サイラスが望みを口にすれば、ツィーは彼を留めることは難しいと考えて押し黙る。

「……俺は、お前がいないと、どうやっていけばいいかわからない」

「あいつらを頼れよ」

「足元をすくわれるなって言うくせに……」

「一人で治世なんてできないだろ? 仕事はみんなでやるもんだ。余計なことを考える暇がないほど仕事を押し付けてやれ」

「うん……」

 頼りなげな王様である。これが剣を握れば人が変わるのだ。この先の世が安泰であるのか、サイラスは見通せなかった。



 再び世が乱れようとも、サイラスは彼と道を分かつと心に決めた。ツィーの周囲にはすでにたくさんの人が溢れている。サイラス一人にこだわる必要はない。


「お前が道を踏み外せば、その時は私がお前に引導を渡してやる。それが私がお前に示す温情だ」

 サイラスの厳しい言葉にツィーは表情を硬く引き締める。



 情で満たされていた杯は今は溢れ、それはさかさまにひっくり返された。こぼれた情はもう戻らない。だが、その情は存在しなかったことにはならないのだ。


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