杯のA2
「思いの外、上手くいったな。こういうのは思い切りと勢いが大事だ。慎重にゆっくりとやるよりは、とにかく迅速に、な」
サイラスの言葉に応える声はない。荒い息遣いばかりが聞こえてくる。
「息が整ったら、ここから離れるぞ」
余裕のあるサイラスは一応の気遣いを見せる。本当はすぐにでも走ってこの場を去りたいのだ。
助け出された当の姫はと言うと。
「余計なことをしてくれたな」
などと宣うのであった。
「姫、俺は姫を助けたくて」
「頼んでない」
少年の言葉を姫はすげなく切って捨てる。
「私は、あそこで一から伸し上がる気でいるのだ。あそこに来る男どもを片っ端から篭絡して、この国を治める男を手玉にとって裏から操ってやるのだ」
などと野心家なことを言っている。
大した女だと思いつつ、サイラスは何か言わなければとの思いに駆られた。
「姫様、そうは言うがこの男の気持ちも汲んでやっていただけないか。あなたを想って無茶をしたのだ。このような忠臣、得ようとも得られるものではない」
サイラスはそう言いながら、己が着ていた上着を脱いで姫の体にかけてやった。その自然な仕種を見て、少年がぐぬぬと歯噛みする。姫は横から話しかけてきた男の存在に気づき、改めてこちらを見てくる。
「涼やかな目をした色男だな。お前が私をさらってくれると言うなら、ついていってもよいぞ」
そう言ってサイラスの首に手を回そうとする。それを見て少年は蒼白になり絶望したような表情になった。
「嫁の貰い手なら既にある」
サイラスは言いながら姫の手をかわした。
「なんじゃ。つれん男じゃのう」
くすくすと姫が笑う。その後、すっと表情を消して、真剣なまなざしで彼女が言う。
「足手まといの女二人を連れての逃亡など無謀というもの。だが、この子一人だけならいくらでも逃げようが有ろう。まだ幼く軽いから抱えるのもそうしんどくはないだろう」
彼女が連れて行けと示すのは、少年と同い年の彼女の妹姫だ。
妹がいるなんぞ聞いてないぞ。とサイラスは思う。
彼は助け出すのは一人だと思っていたのだ。それが実際は一人ではなく二人だった。
少年の芽はずっと姉姫に向けられていて、どうも妹姫の方を向きそうにない。助け出すのは姉姫だけのつもりだったのでは? との疑問が浮かんできてしまう。だが、人としてそれはどうなのか? と思わされる。
「この子は床入りなどもまだ予定されていない。本当に子どもとして扱われているのだ。つまり、まだ商品としては扱われていない。子供ならば、この火事騒動にパニックになって戻れないほど遠くに逃げることも有り得るだろう。つまり、私よりもこの子の方が逃げやすいのだ」
姉はそうやって冷静に諭す。
「お姉様……」
「元気でな。私もいずれはあそこを出るゆえ、その時に改めて互いに元気な姿を見せよう」
そう言うと、彼女は背を向けて颯爽と戻っていった。
「姫……!」
「気持ちはわかるが、これ以上は無理だから」
追いすがろうとする少年をたしなめつつ、サイラスは二人を連れてその場を離れた。
姉姫は恐らく妹が逃亡した咎をその身一身に受ける気でいる。毅然とした姉姫の器の大きさにサイラスは感心した。
「姫……姫ぇ~~」
少年はさめざめと泣く。こいつがもうちょい頼りになる感じならば姉姫も一緒に逃げたのかなー。とサイラスはそんな感想を抱いた。




