その二 魔力の発現
その後、一週間ほどの間、わたしは自分の居室から出ることを禁じられた。
母上の発言を受けて、わたしの処遇をどうするか、魔法省の役人や省直属の遣い手たちが、父上と話し合っているようだった。
母上は、あんなにはっきりと断言したのに、わたしが灰色の魔法の遣い手であるという確証を持てた者は、魔法省にはいなかった。
わたしはまだ五歳で、遣い手であるということは自覚していても、実際に魔法を遣ったことがなかったのだ。
その日もわたしは、居室のソファに座り、どこからか入り込んできたクリスタを撫でながら、ヴェンデルが語る退屈な昔話を聞いていた。
気をつけていたのだが、つい欠伸をしてしまい、それを見たヴェンデルは話をやめた。
ヴェンデルは、テーブルの上の器に入っていたリンゴを一つ取り上げると言った。
「ライナルト様は、魔法の遣い手なのでございますよね?」
「たぶん……そうだよ」
「では、このリンゴをつかって、何か魔法というものを見せていただくことはできますか?」
ヴェンデルは、にこにこしながら、わたしの目の前にリンゴを差し出した。
ヴェンデルは、山間に小さな領地を持つ子爵家の次男だった。
おそらく、魔力や魔法というものを、実際に目にしたことはなかったのだろう。
大きな魔力を魔法省に無断で行使することは、国の法律で禁じられている。
魔法省により遣い手と見なされた者は、魔法省の訓練所に通い、遣い手としての心得や魔力の制御の仕方などを学ぶ必要がある。
だが、五歳だったわたしは、そんな決まり事は、まだ何も知らなかった。
「わかったよ。魔法を見せてあげるよ」
わたしは、ヴェンデルをちょっと驚かせてやろうと思い、リンゴを受け取った。
魔法を遣ったことはなくても、どうすれば魔法が遣えるかは知っていた。
遣い手とはそういうものらしい。
わたしは、手の中のリンゴを両手で包み込み、思いを込めてそっと息を吹きかけた。
そして、リンゴをひょいとヴェンデルに投げ返した。
「わあぁぁぁっ!」
受け取ったヴェンデルの手の中で、リンゴはヒキガエルに姿を変えた。
ヴェンデルが思わず放り出したヒキガエルは、空中で青い小鳥に姿を変えた。
「おおおぉぉぉーっ!」
目を丸くして、声を上げたヴェンデルの茶色い巻き毛の頭に、小鳥は静かに着地して、「ピピピピッ」と嬉しそうに鳴いた。
上目遣いで、両手を髪に伸ばし、小鳥を捕まえようとしたヴェンデルの頭から、リンゴが一つ転がり落ちた。
わたしは、リンゴを拾い上げ、ヴェンデルに黙って手渡した。
ヴェンデルは、しばらくの間、リンゴを矯めつ眇めつ眺めていたが、最後にガリリッと一口だけかじった。
「おおうっ! 間違いなくリンゴでございます! 魔法とはすごいものですね! わたしが見た、ヒキガエルや青い小鳥は、何だったのでございますか?」
「そんなこと……わからないよ」
魔法の仕組みなんてわからない。わからないから魔法なのだろう。
魔法省だって、何百年も研究をしているはずだが、いまだに魔法の仕組みは解明できていないはずだ。
わたしはただ、リンゴがヒキガエルになり、青い小鳥に変身して、再びリンゴに戻るという場面を思い描き、それをリンゴに吹き込んだだけだ。
五歳のわたしは、ヴェンデルに、「すごい」と言われただけで満足だった。
居室のソファに腰を下ろしてクラスタを撫でながら、バリバリとリンゴを芯まで食べてしまったヴェンデルを見ていると、急に廊下が騒がしくなった。
扉をせわしなくノックする音が聞こえ、ヴェンデルが服の裾で手を拭きながら、わたしの同意を得て、扉を開けに行った。
「ライナルト様! 今、魔法を遣われましたね?!」
部屋に飛び込んできた男が、いきなりわたしに向かって叫んだ。
藤色のローブ姿から、男は魔法省の人間と思われた。
似たような服装の者が後ろにも三人控えていて、どうやら、とんでもないことをしでかしてしまったのだということが、五歳のわたしにもわかった。
ヴェンデルが、必死でわたしを庇ってくれたが、どんな言い訳も聞き入れてはもらえなかった。
わたしは、エーベル王国の発展にも平和維持にも役立たない、手品のような魔法を自在に行使できてしまう、灰色の魔法の遣い手だと認定されてしまった。
魔法省の人間たちに拘束され、わたしは父上の前に連れて行かれた。
父上は、執務机から離れずに、少し悲しそうな顔でわたしに言った。
「ライナルト、魔法省は長年の研究で、魔法の痕跡をとらえる技を手に入れたのだ。特に、王族が使う魔法は、その独特の波長などから小さなものでも見逃すことはない。我々は、誰にも知られず、こっそり魔法を行使することはできないのだ。二度と、今度のような魔法の遣い方をしてはいけないよ」
「ごめんなさい……、父上……」
父上は、魔法省の者たちを下がらせ、わたしを執務机の前に呼んだ。
怒っている様子はなかったが、何か大事な決意をしたような厳しい顔になり、わたしの顔を正面から見据えて言った。
「今日のことで、王妃が言うとおり、そなたが灰色の魔法の遣い手だということがわかった。灰色の魔法の遣い手というのは、決して多くはないが、王家にもいないわけではない。わたしのお爺さまがそうであった。だから、灰色の魔法の遣い手であっても、王になる資格はあるのだ。
もう少し先でも良いと思っていたが、そなたもそろそろ、魔法について学ぶべき年頃になったようだ。
ライナルト、明日より、グレーニング湖畔の離宮に居を移し、魔法の勉強を始めなさい。そなたの師として、ルトガー・ハーマンを離宮に遣わそう。彼もまた、灰色の魔法の遣い手だ。そなたの師として、これ以上の者はいないと思う。
ほかにも、そなたの教育に必要な人材を選び、離宮に住まわせるようにしよう。落ち着いた環境の中で、安心して学問に励みなさい」
父上は、わたしの勉学のためだと言っていたが、結局わたしは、母上の望み通り、王宮を追い出されてしまった。
たった五歳で家族から離れ、決して弟と関われない場所へ行くことになった。
わたしが、王宮を出立する日――。
王宮の玄関へ見送りに出てきた母上は、満面の笑みを浮かべていた。
彼女の後ろには、同じような表情をした侍従長とエグモントの乳母となった彼女の従妹が、エグモントを腕に抱えて控えていた。
挨拶をすませ、馬車に乗り込もうとしたわたしを呼び止めた父上は、自らわたしのそばに寄ってくると、ひざまずいてわたしを力強く抱きしめた。
そして、わたしにだけ聞こえるような小さな声で囁いた。
「ライナルト、魔力を鍛えるのだ。そして、いつの日か必ず、この王宮に戻っておいで。わたしのあとを継ぐために――」
わたしは、父上の目を見つめながら、黙ってうなずいた。
その日からおよそ十年の間、わたしは離宮で暮らすことになった。
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