後篇
あふれてくる感情を抑えきれずに、膝を折ってしまう。
言いたいことは、たくさんあった。
話したいことも、たくさんあった。
わけもわからなく、たくさん謝りたくて――結局、何一つ言えなかった。
姉さんは小さく笑っただけで、何も言わず、すぐにいなくなってしまったんだ。
◇
帰り道。
ユーマと並んで、歩いていた。
「……姉さん、だったのかな」
しばらくの間、お互いにだんまりで――十分ほど歩き進んでから、あたしはつぶやいた。
「多分、な」
「何も、話せなかったよ」
今でも、信じられない。あれは、幻だったのだろうか。けれど、そうだとしても、すこしくらいは言葉をかわしたかった。
「多分、死んでるからだと思うぜ」
「どういうこと?」
「いや、だって死んだ人間ともう一回出会えるなんて、ふつーはありえないだろ? だから、あの一瞬が限界だったんじゃないかな」
ユーマの言うことは、わからなくもなかった。
「……そうか」
それ以上、言葉はなかった。
色々な感情があふれ、結局はどうにもならなかった。ふたり黙りこくったままで家路につき、それからすごく怒られた。
まあ、当然だ。
こんな夜遅くに外出をして、それがばれたのだ。
鬼みたいな顔をする両親を前に、けれど、どこか嬉しかった。それだけ心配してくれているんだ。それまでは素直にそう思えなかったけれど、今はそうではなかったから。
――結局。
「姉さんは、ノゾミちゃんだったのかな?」
「さあな」
次の日、いつもの部室。
違うのは、あたしがキャンバスに向かっていることだった。美術部のクラスメイトに頼み込んで、一式借り受けた。画材だけは、自前だった。
捨てたはずだったのに、両親はあたしに内緒で、しっかり取っておいてくれたのだ。
ありがたくて、泣きそうだった。割と本気で。
あの夜は、本当に泣いた。
姉さんのことを思い出して、思い切り泣いた。
泣いて泣いて、今日は目が厚ぼったかったけれど――色々と、すっきりした。
やっぱり、あたしは絵が好きなんだ。
画家になる?
漫画家?
イラストレーター?
明確な目標は決まっていないけれど、それでもいい。
「だけど、そうだとしたら才能目覚めさせてもらえばよかったんじゃん? せっかくだし」
「そんな余裕もなかったけどさ」
話しながら、手は休めない。年単位のブランクは不安だったけれど、何とかなるものだ。まあ、全盛期に比べたら、自己評価四割ってところだけれど。
「欲しいって言ったら、くれたのかな?」
「まあ、わからないけどな」
モデル。向かいでポーズを決めていたユーマが顔を動かしたので、視線で叱っておく。
「そもそも、ノゾミさんがノゾミちゃんだったとは限らないし」
『休憩したい』とユーマは言った。何を軟弱な、と思ったけれど気が付けば二時間近くも集中していたらしい。時計を見れば、下校時間すれすれだった。しかし、文化祭目前なのに、絵なんて描いていいのかオカルト倶楽部。
まあ、気にしない。
時間も時間なので、帰り支度を始めることにした。キャンバスには布をかぶせて――ユーマが見たがるのを阻止して――、片付け、戸締り、部室を出る。
校門を出て、帰り道。昨夜も通ったその道を、今もユーマと並んで歩く。
話題は、さっきの続きだった。
姉さんは、果たしてノゾミちゃんだったのか。
もし才能を望んだら、呪われたのだろうか。
夢を諦めたら、殺される。そんな縛りを、背負うことになったのだろうか。
「まあ、偶然の一致かもな。この日記を見る限り、ノゾミちゃんの話自体、結構前みたいだし――そうなると、ノゾミさんの死期とは一致しない。だから、ノゾミさんがノゾミちゃんに似通った部分があって、第二のノゾミちゃんになったんじゃないかな?」
ユーマの推理には、反論したかった。日記にあった残酷なノゾミちゃんと、姉さんを一緒にはしたくなかった。
そう言うと、ユーマは首を振った。
「つーか、あいつらを殺したのはノゾミちゃんじゃないだろ? 夢を裏切ったあいつら自身だ」
「諦めたこと?」
「いや、条件は裏切るだろ? きっと自分には無理だったとか、環境がどうしようもなくなって続けられなくなったとか、そういうのはいいんだよ。ただ、夢を追っていたことそのものを否定する。最悪な場合、今でも夢を追っている誰かをバカにする。それが、自業自得になって、かつて本気で夢を願った自分を殺す」
そこで、少し言葉を切った。
「ノゾミちゃんを悪霊にしたとしたら――それは、自分を裏切った人間達だと思うぜ?」
ノゾミちゃんは、きっと純粋に、夢を追っている人間を応援したいんだ。俺は、そう思う。
『その方が、俺は好きだ』
と、付け加えた。
「ずいぶん、前向きだね」
あの日記帳からそんな言葉を言えるユーマを、割と本気でまぶしく思った。
そうして、その言葉は、あたし自身にも突き刺さった。
――あたし自身。
姉さんを、悪霊にしていたのかもしれない。
思い出に縛られて、前を向けず、自分の殻にこもり続けた日々。そんなあたしを、姉さんが喜ぶわけがなかった。
これからは姉さんの思い出に守られて、そうやって生きていこう。そりゃあ、時には悲しくなることもあるし――本気で絵を画くのだとしたら、へこむこともあるだろう。
その時は、まあ――
「何だよ?」
怪訝そうな顔をするユーマに、あたしは微笑む。
この、幼馴染に思い切り寄りかかればいい。
そうさせてもらう。
◇
それから、十年。
結局、絵で食べていけるプロにはなれなかった。
別に、諦めたわけじゃない。何時かは、一矢報いてやるさ。
でも、まだまだ先は長い。
気長に、やっていけばいい。
どんなに辛くても、へこんでも、好きなものはどうしようもない。嫌いには、なりたくない。憎むなんて、できやしない。できるわけが、なかった。
だったら、うまく折り合いをつけてやっていくしかないだろう。
今は――
「ねえ、ママ」
「ん~?」
「ママの描いた絵本、読んでー」
「恥ずかしいよ。普通のでいいじゃない?」
「やだ。ママのがいい」
「……仕方ないな」
小さな愛娘。子守り歌代わりに、自作の絵本を読み聞かせる。それが、あたしの手に入れた小さな幸せ。今はそれで、満足することにしよう。
ちなみに。
ユーマは数年前、自分の夢をかなえていた。
ノゾミちゃんを読まれた方、もしかしたらごめんなさい。
けれど、これが多分、わたしが本当に書きたかったノゾミちゃんだと思っています。