五つ目のグラス
Webブラウザで楽しめるARG(代替現実)ゲームとして開発した「コンセプトカフェ ステラリウム」のサイドストーリー。
ゲームをクリアした後に読んでいただくと、より楽しめるはずです。
https://celadon-strudel-70d511.netlify.app/
菜月がステラリウムの扉を開けたのは、雨宿りのつもりだった。
星野区の駅を出たところで、七月の雨が急に強くなった。傘は鞄の底にあったけれど、広げるより先に、アストロビルの階段脇にある小さな看板が目に入った。
——夜空をまるごと閉じこめた、ちいさな星の器。
二階へ続く壁には、金色の星がひとつずつ描かれていた。いかにもコンセプトカフェらしい、と菜月は思った。ひとりで入るには少し勇気が要る。けれど濡れた前髪から雫が落ちたので、考えるより先に階段を上った。
「いらっしゃいませ」
扉の向こうで、金色の髪をした女性が頭を下げた。
「はじめての方ですね。店長のひかりです。どうぞ、お好きなお席へ」
店内は想像していたより静かだった。天井に小さな光が散り、濃紺の壁をゆっくり流れている。カウンターには椅子が五脚。先客は窓際にひとりいるだけなのに、ひかりはなぜか中央の席を勧めた。
端の一脚には、誰も座っていなかった。
予約席の札も、荷物もない。ただ、そこだけ椅子が少しカウンターへ寄せられ、誰かが席を外した直後のように見えた。
「濡れちゃったね〜! タオルつかって!」
桃色の髪をしたるなが、小さなタオルを両手で差し出した。
「あ、ありがとうございます」
「きょうの雨、急すぎるよね〜。るな、洗濯ものをほしてきちゃって。あっ、でもひかりちゃんがきょうは降るっていってた。じゃあ、るながわるいのかなあ」
話はタオルから洗濯物へ、洗濯物から店のまかないへ移り、菜月が笑うころには、入店したときの緊張は消えていた。
メニューから銀河サイダーを選ぶと、カウンターの奥で、みおが背の高いグラスを取り出した。言葉少なに氷を入れ、青いシロップを注ぐ。最後に炭酸が細い銀河のように立ち上った。
「きれい」
「味は、普通のサイダーです」
みおはそう言ってから、ほんの少し口元を緩めた。
「そういう言い方したらダメじゃん、みお〜!」
奥から飛び出してきたすばるが、菜月の隣に肘をついた。
「でもね、写真はめっちゃ映える! 撮るならこっちの角度! 星がうつるから!」
言われたとおりにスマートフォンを傾けると、青い水面に天井の星が浮かんだ。
そのとき、るながトレーを持ってきた。
グラスが五つ載っていた。
黄色、青、紫、桃色。それから、淡い橙色。
「みんなのぶん、そろえてみたよ〜」
るなは嬉しそうに言い、黄色をひかりへ、青をすばるへ、紫をみおへ配った。自分は桃色を取った。
橙色のグラスだけが残った。
菜月は四人を見た。店内にほかのスタッフはいない。るなは橙色のグラスを下げず、空いている端の席の前へ置いた。
「それは?」
尋ねた瞬間、四人の動きが、ほんの少しだけ止まった。
すばるの笑顔が消えたわけではない。みおもいつもどおり無表情だった。けれど店内を流れていた音楽の、その一音だけが急に大きく聞こえた。
ひかりが菜月を見た。
「お店の、大切な席なんです」
それ以上は説明しなかった。
菜月も、それ以上は聞かなかった。
雨は二十分ほどで弱くなった。会計を済ませるころ、るなが七夕の短冊を一枚くれた。
「おねがいごと、かいていってね」
「みなさんは、何を書いたんですか」
「るなは、まいとしおなじだよ〜」
「なに?」
るなは答えようとして、端の席を見た。そして内緒話をするように声を落とした。
「ちゃんと、とどきますように」
菜月は短冊に、また来られますように、と書いた。
店を出る前、端の席をもう一度見る。橙色のグラスの外側を、冷たい雫が流れていた。誰も口をつけていないはずなのに、飲み物は少し減って見えた。
氷が溶けただけだとわかっていた。
それでも菜月は、扉を閉めるとき、小さく言った。
「ごちそうさまでした」
四人に向けたのか、五つ目の席に向けたのか、自分でもわからなかった。
階段を下りる背中へ、店の中から明るい声が追いかけてきた。
「またね〜!」
四人分より、少しだけ多く聞こえた。




