9.
放課後、すぐに丘に向かうと、昼の終わりくらいの時間に到着する。
空はぼやっと淡い白色で、どこか油断を誘うような気配がある。それにつられて一瞬でも目を離すと、次に見上げた時には著しく表情が変わっていて、柔らかな黄色を経て圧迫するようなあかね色に変身する。
鮮烈な赤は胸を締め付ける切ない色。これからさらに、夜が始まるのだ。
「……先輩、もう、やめましょう」
いつものように木の根元にうずくまっていた私は、先輩が姿を現すのを待ってカメラを向けた。
「もう、先輩がいるべき場所に戻ってください」
私に見えていることに気づき、先輩は億劫そうに腰を上げた。その瞳が、意外なことを聞いたとでもいうように瞬いた。
「は? 何だいきなり」
「もう、ここには来ないで下さいと言ってるんです」
強めの口調で言っても、先輩はまだへらへらと笑っている。
私は唇をかみしめた。
どうして、そう呑気でいられる。なぜそんなに、自分に無頓着でいられるのだ。
先輩がしなければならないことは他にある。それなのに、私なんかに構ってばかりで。
……けれど、私がどんな気持ちでいるか、全然わかっていないのだ。
「おまえこそ、いつまでこんなところにいるんだよ。部活のみんなも心配してるって、何度言ったらわかる――」
「何度言っても無駄です。私は部室にはいきません」
「だから、なんでだっつーの! せっかく色々克服できたんだろ? それなのに、もったいねーじゃねえか。ほら、正直に言ってみろ。愛する後輩が悩んでるときに、力になるのが先輩の――」
「――だったら、なんで死んだんですか!」
先輩の言葉は最後まで聞けなかった。ぐわん、と頭の奥で大きな塊が鎌首をもたげた。必死に抑えていたそれは一気に熱を持ち、マグマのようにのどから噴き出した。
目の前で火花が散る。両手がぶるぶる震え、画面を覗いていられない。呆気に取られているだろう先輩のいる方角に向かって、私はわめいた。
「そんなに後輩が大事なら、なんで勝手に死んだんですか! よそ見して轢かれたって何なんですか! 簡単に命を落とすなんて、そんなバカなこと……!」
「……木の芽?」
「先輩は、簡単に死んでいい人じゃなかった! みんなに好かれてて、写真の才能もあって、伊緒利先輩にも大事にされてて――! 私なんかとは違う、絶対に死んじゃいけない人だった! ――なのに、私が願ったんです。先輩がこうなるのを、きっと私が願ったんです……!」
「木の芽……!」
本当は、会いたくなかった。
幽霊の先輩になんて、会いたくなかった。
どうして、私の前に現れた。
生き返ってくれるわけでもないのに。約束を守ってくれるわけでもないのに。
ずっと、そばにいてくれるわけでもないのに……。
――もう、耐えられない。
平気なふりをして先輩と話をするなんて、無理だ。
先輩が命を落とした事実をまざまざと見せつけられて、心が悲鳴を上げている。
ヒステリックじみた声が、まばらな木々の間を響き渡った。涙があふれて、呼吸ができない。苦しくてのどをかきむしると、カメラがゴトンと音を立てて枯れ葉の中に転がった。
「――木の芽っ!」
強く肩を掴まれて、私ははっとして顔を上げた。すぐ正面に、怒りに満ちた形相の先輩がいる。
「そんなことを言うな。おまえのせいじゃない。誰もそんなこと、思っちゃいない!」
いつもへらへらした笑みを浮かべ、怒ったことも、怒鳴ったこともない先輩が、青ざめた表情で私を睨みつけている。
「私なんかとか言うな。人の目が怖いとか、写真がうまく撮れないとか、そんなことでおまえの価値は決まらねえ。いいか。おまえのことを心配してるやつはちゃんといるんだ。部活のみんなも、おまえの家族も、俺だって――」
「……うるさい、うるさい、うるさいっ!」
私は耳を塞いで大きく首を横に振った。
「本当は、わかっているんです! 私が人が怖いのは、私が醜いからだって! 人の不幸を喜ぶような汚い人間だから、他の人もそうだと思うと、本音を知るのが怖いんです!」
「木の芽っ!」
「もう、私のことなんてほっといてください! 私は、誰からも見捨てられるべき人間なんです! 先輩に気にかけてもらう資格なんてない……! ……もう、先輩には関係ないじゃないですか。私がどうなろうと、どうでもいいじゃないですか! 私のことなんかさっさと忘れて、みんなのところにいけばいいのに……!」
「落ち着け、木の芽。こんな状態のおまえをほっぽっていけるわけねえだろ!」
先輩が改めて私の肩を掴もうとする。私は飛び退ってそれを避け、耳に手を当てたまま先輩を見上げた。
「……ほうっておけない? もう、何もできないくせに……」
「――!」
「死んじゃった先輩に、何ができるって言うんですか。生きていなきゃ、何の意味もない! あの約束だって、守れないでしょう!? ……だから、さっさと消えてください! もう、私に関わらないで!」
「――……っ」
先輩が目を見張り、愕然とする。
その表情を認めたとたん、鋭い痛みが胸を貫いた。思わず声を漏らしそうになって、無理やりに飲み下す。
わかっている。どれ程勝手な言い草か。どんなにひどい言葉を投げつけたか。
心をえぐる言葉も、傷つける言葉も得意だ。それが私だから。
人の目からも、人からも隠れて生きるのが、私にはお似合いだから。
……だから、もう待たないで。
もう、私を気にかけないで。
自分を大切にしてくれる人を大切にして、私のことは忘れて。
「もう、ここには来ません……!」
「――木の芽っ!」
「――先輩。……っ、――……っ!」
準備していた言葉が、のどに引っかかって出てこなかった。
私は口を閉じると、先輩の声に背を向けて、走ってその場を立ち去った。




