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夕紅(ゆうくれない)に君待ちて  作者: 鍵の番人


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11/13

11.

 授業が終わると、丘へ向かいそうになる足をむりやり止めて、帰途へ着く。部屋の入口に座り込み、制服を着替えもせず、鞄を片付けもせず、気が付けば窓の外を眺めている。


 夕陽に染まる丘を見つめ、焦燥感を押し殺す。


 先輩の傷ついた顔が、瞳に焼き付いて離れない。起きている間は胸をざくざく刺し続け、夜は終わりのない悪夢となる。


 まだ、いるのかもしれない。

 もう、いないのかもしれない。


 どちらにしても、私には愛想をつかしただろう。


 じりじりと焼きつけるような痛みとともに、夕日が落ち、宵闇が世界を覆うのをまんじりともせずに待ち続ける。


 ただ、時間を浪費するだけの、意味のない日々。

 今日もまた、そうやって無為な時間を過ごすはずだった。


「――よっし。HR終わったあ。帰ろーぜー」

「――あー、俺、呼び出しくらってんだよなあ……」


 先生が退出すると同時に、教室の空気が一気に弛緩する。そこかしこでおしゃべりが始まるが、私には関係がない。ロボットのように決まった動作をして、支度が出来たら帰るだけだ。


「……ねえ、聞いた……? 昨日……、見たって……」

「……あんな……、……しかも、咲いて……?」


 雑談や噂話に花を咲かせるクラスメイトたちの脇を横切り、教室の出口に差し掛かる。


 その時。


「――木の芽。見つけた」


 扉の前で待ち構えていたのは、息を切らした女性だった。


「――っ、なんで……?」


 中性的で、落ち着いた声音。今、二番目に会いたくなかった人。

 ずっと着信を無視していたから、とっさに反応に困って立ち止まる。


 するとそこへ、背後から声をかけられた。


「あっ、伊緒利(いおり)先輩!」

「先輩! あれって、本当なんですか?」


 きゃあっとかわいらしく声を上げて、女子生徒たちが数人、集まってくる。心霊研究会の部長を務めている伊緒利先輩は、一部では敬遠されているが、成績がよく面倒見も良いため、基本的には慕われているのだ。


 この隙にすり抜けようとしたのだが、次に聞こえた言葉にピタリと足が止まった。


「最近、山の方で人魂が出るって話! 先輩はもちろん、知ってますよね!?」

「――っ」


 それを聞いた伊緒利先輩の顔がこわばった。私の顔からも、血の気が失せる。


「もう何人も見たって人がいるんですよ! 先輩は、誰の霊かもわかるんですよね!?」

「あっ、そうそう! しかも昨日はさらなる異変がですね――」


 けれど、騒いでいる彼女たちは気づかない。

 先輩は、気を取り直したように口の端を上げると、動揺を微塵も感じさせない口調で答えた。


「――ああ、知ってるよ。でも、今回は近づかない方がいいと思うな」

「え? どうしてですか?」

(たち)の悪い霊だからさ。強い未練があって、成仏できていない。巻き込まれたら、私にもどうにもできない。だから、しばらくはそっとしておくよう、皆にもそう伝えておいて」

「えー……、そうなんですか……?」

「そんなあ……。こんな近場でしっかりした目撃情報あるの、珍しいのに……」


 がっくりと肩を落とすクラスメイト達。


 彼女たちにとっては、珍しいイベントの一つにすぎないのだろう。


 だけど私は……、私にとっては。


 ――強い未練があって、成仏できていない……。


 彼女たちの会話に耐えられず、その場から逃げ出した。


「! 木の芽、待って!」


 人気のない廊下を走り、昇降口へ向かう。しかし、運動音痴の私が、伊緒利先輩を巻けるわけがなかった。あっという間に追いつかれて、壁際に追い詰められる。私はうつむいて、非難される前に口を開いた。


「……すみません。私……、聞いていられなくて……」

「……うん。ごめんね。私と斎己のこと、ほとんどの人は知らないから……。でも、木の芽の前で言うには、無神経すぎた」

「――っ、それは――」


 なぜ伊緒利先輩が謝るのか。

 私は思わず顔を上げて、すぐにまたうつむいた。


 伊緒利先輩は、怒るどころか、悲しげな表情をしていた。それはきっと、彼女たちに悪気がないことをわかっているからだ。


 いつも冷静で、そっけないけれど優しい伊緒利先輩。心霊研究会に入っている変わり者とはいえ、チャラい斎己先輩と並んだら、月とすっぽんだと言われても仕方がない。


 だから、一時期噂になったことはあったが、そんなわけがないと一笑に付されて終わったらしい。


 けれど、私にしてみれば、二人が付き合っていることは一目瞭然だった。


 だって、相手を見る目が違う。それは、傍から眺めているだけでもはっきりとわかった。会話をしていない何気ない時でも、お互いを気にしていること。喧嘩みたいな言い合いの中にも、相手への気遣いが滲んでいること。


「私とあいつが付き合ってるなんて、ちゃんと信じたのは君くらいだよ」


 彼女たちも、二人の関係を知らないから、あんな話ができたのだろう。クラスメイトでもなく、同学年ですらない。直接の接点がなければ、斎己先輩のことなんて、数週間で日常に戻れてしまう、その程度のものなのだ。


「……伊緒利先輩は、強いんですね……」


 頭では理解できる。でも、そう簡単に受け入れられるものではない。

 そこかしこに先輩の想い出が残る校舎の中で、彼がいないのが当たり前みたいなやりとりは、私にとっては膿んだ傷を絶えず刺され続けるようなもの。


 それはきっと、私より伊緒利先輩の方が、身にしみて感じているはずだ。

 それでも、相手に対する気遣いを忘れない先輩は、私とはやっぱり違う。


 だけど。


「……私は、強くなんかないよ」


 苦く笑う、先輩の声。それを耳にして、間違いを悟った。


(――ああ、また、やってしまった……)


 また、失敗した。

 また、余計なことを言った。

 やっぱり私は、しゃべればしゃべるほど、無闇に人を傷つける……。


 目を合わせていなかったのがせめてもの救いだった。そこに浮かんだ感情が、失望か、幻滅か、思い知らされずに済んだから。


 後ずさって逃げようとしたとき、伊緒利先輩から腕を掴まれた。


「待ってくれ、木の芽! ――聞きたいことがあるんだ!」


 初めて聞く伊緒利先輩の切羽詰まった声に、私は驚いて顔を上げた。


「あいつに最後に会ったのはいつだ? その時、どんな様子だった!?」

「――え……」


 伊緒利先輩が焦っている。

 足元から這い上がる嫌な予感に、私は目を逸らすのも忘れて、正直に答えた。


「え、と……、先週会ったのが、最後で……。だからたぶん、あそこには――」


 あの日からすでに、一週間以上が経っている。

 カメラも落としてきたままだ。先日、雨が降ったから、きっと壊れてしまったに違いない。


 ……だからもう、斎己先輩も諦めたはずだ。


 しかし、伊緒利先輩は私の答えに首を横に振った。青ざめて、端的に告げる。


「帰ってない」

「え?」

「帰ってないんだ、あいつ」

「…………?」


 呆然として、彼女を見つめる。


「あんなに何度も言ったのに、まだこっちにいるみたいなんだ。昨日も、夢枕に立って……。でも、様子がおかしいんだ。すごくだるそうで、顔色も悪くて。何も言わずに、すぐ消えてしまった。たぶんもう、自由に移動するのもままならないんだと思う。時折、黒い霧みたいな陰りも見えたんだよ……」

「…………」

「胸騒ぎがするんだ。あいつが死んでからそろそろ四十九日が経つ。死人はその間に、最後の審判を受けなければならないんだ。そうでなければ、輪廻(りんね)の輪から外れてしまう。輪廻の輪から外れた魂がどうなるかは……私は知らない」

「――!」


 最後に見た時はどうだったか。顔色は……暗くてよく覚えていない。しかし、立ち上がるときの億劫そうな仕草は、やけに記憶に残っている。


 あれは、何らかの予兆だったのか。


 私は伊緒利先輩から距離をとり、唇をかみしめた。


「……先輩が、どうなるって言うんですか。悪霊にでも……なるって言うんですか」

「……その可能性は、ある」


 伊緒利先輩は、一言一言かみしめるように言った。


「もしかしたら、すでにそうなのかもしれない。未練があって戻ってきたことが、まず問題なんだ。あの黒い霧も、具合が悪そうなのも、土地に縛られ始めているからなのかもしれない。……君には迷惑かけるけど、でも、未練というのは」

「――やめてください……!」


 私は、後ずさりながら首を振った。


「私なんか、関係ないじゃないですか! 私のために成仏できないなんて、そんな、そんな――」


 自由になる片手で、顔を覆う。


「私には、そんな重いもの、背負えないです……っ!」


 ――ずっと、思ってた。


 なんで先輩は、私になんか構うんだろう。

 どうしてみんな、私なんかを心配するんだろう。


 私に、そんな価値なんてないのに。期待してくれても、何も返せないのに。

 幻滅させて、失望させて、後悔させるだけなのに。


 今だって、伊緒利先輩を傷つけて。


 それでも、見限ってくれないのだ。


 ――それが私には、重すぎる。


「……ごめんね、木の芽……」


 先輩がゆっくり近づいてくる。滅茶苦茶なことを言って泣き叫ぶ私を包み込むように、そっと背中に腕を回した。


「――それでも、あいつを解放できるのは、君だけなんだ」

「――っ」


 無言で首を振る私を、先輩は力を込めて抱きしめた。


「ほんとに、君にはすまないと思ってる。でも、君のせいだとは考えないでほしいんだ。あいつは適当なやつで、好き勝手に生きていて……、大切なものがたくさんあるから、未練もたくさんあるんだと思う。それを全部失くしていきたいなんて、あいつのわがままでしかない。だから……、重荷になるなら、断っていいんだ」

「……っ、それは――」

「……うん。その上で、個人的なお願いだ。――あいつに、さよならを言ってくれないか」

「――っ」


 とっさに身を引こうとしたが、伊緒利先輩の声が震えているのに気づき、やめた。


 顔は見えない。涙声ではない。だけど泣いているようにしか思えなくて、私もおずおずと手を伸ばす。


 先輩も、やっぱり苦しいのだ。言葉にしないだけで。態度に表さないだけで。


「……さよなら――」


 伊緒利先輩の温かい肩に、涙がじわりと沁み込んでいく。


「――しなきゃ、駄目ですか……? さよなら、するまで、先輩は諦めないんですか……?」

「……そうだね。あいつは、死ぬほどわがままだから……」


 伊緒利先輩が、仕方なさそうに言って笑った。


 葬式に行かなければ、お別れしなくていいと思っていた。

 二度と会わなければ、さよならも言わずにすむと思っていた。

 先輩と親しい人と会わなければ、先輩が亡くなったことから目を逸らしていられると思っていた。


 それなのに。


「そんなの……強制じゃないですか……」


 断れるわけがない。

 ここまで言われて、断れるわけがない。


「……うん。ごめんね、かっこ悪い先輩で……」

「――っ」


 私はまた、無言で首を振った。


 斎己先輩があんなことになって。幽霊になって現れて。

 伊緒利先輩だって、怖かったに違いない。


 だけど、斎己先輩のために、頑張ったのだろう。

 苦しさも悲しさも胸に秘めて、彼の未練にならないようにと、必至に取り繕ったのだろう。


 誰も強くなんかない。ただ、大切な人のために、強くあろうとしているだけなのだ。


 ――だから、私も、これ以上、逃げてはいられないのだと思った。


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