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第二十二話 『地獄の七所巡り篇』 其の三 ポロクとあそぼ

 世界はふたたび真っ暗になった。

 目のまえに、巨大な生き物が立っている。白い線で描かれた、頭と胴体をあらわす大小のサイズの異なる円をふたつ積み重ねただけのシンプルな生き物で、色もなにもない。手足も同じように線で丸っこく描かれてある。目はおおきな点で、口らしきものはなかった。相手は人間そのものをはじめて見たように頭を傾げる。じつに愛嬌のある顔だった。だがどこかで見たおぼえがある‥‥瑞生は思い出した。

「お前‥‥まさか、ポロクか?」

 巨大な生き物はゆっくりとうなずいた。

「ソウダヨ。ボクノナマエヲ、ヨク、シッテルネ。イッショニ、アソボ」

 瑞生がまだデスパートに在籍していた時‥‥といってもかなり最後のほうだが、仮想空間のプログラムを構築したエンジニアたちは、空間内でユーザーがプレイするゲームも並行して開発しており、そのひとつがAIをつかった幼児教育プログラムだった。そしてそのゲーム内のキャラクターとして、このポロクが考案されたのである。

 だが、デスパート社が仮想空間の商業化を目指し、顧問弁護士たちが中心となって国とさまざまな法的問題を交渉していく過程で、発育上の不安要素を多分に含むという懸念を指摘され、十五才以下の子供は利用が不可能ということになってしまった。そのためこの幼児教育プログラムはお蔵入りとなったのである。少なくとも瑞生はそういう話をエンジニアのひとりから聞かされたおぼろげな記憶がある。

 幼児教育プログラムの画面の背景が黒一色というのは、いかにも殺風景ではあるが、これはそうした事情も反映されている。つまりプログラムが完成するまえにプロジェクトが放棄されてしまったのである。ポロクがやたら巨大なのは、エンジニアたちが開発のためにモニターで見やすくするのに、便宜的に大きくしたからだ。おそらくダウンサイジングもなされないまま、プロジェクトごと放置されたのだろう。

「どうしたんだよ。もしかしてお前、あれからずっとここにいたのか」

「ボク、ワカラナイ」

 沈黙。AIとはいえ、幼児教育プログラムのためのキャラに過ぎないのである。たぶん自分の立場すらわかっていないだろう。幼児がマイクをとおして物を教えて知能が発達していく存在のはずだったのだが、その子供たちがこの空間には存在しないわけだから、知能はずっと未発達のままだ。仮想空間は子供みたいな性格の大人たちが頻繁に出入りする世界ではあるのだが、さすがの彼らだって完全に幼児向けの教育プログラムなんかには興味を示さないだろう。

 瑞生は困ったようにポロクを見あげていたが、こんな風に知能が未発達の架空のキャラクターとふたりきりにされても、途方に暮れるだけである。まさかこのキャラクターの相手をさせるのがメグのほんとうの狙いではないはずだ。瑞生は叫んだ。

「おいメグ、出てきて説明しろ」

 隣りからほんのり甘い香りがして、横を向くとメグが腰に両手を当てて立っていた。

「それにしても親切な地獄の案内人よねえ。出てきて説明しろ、なんて高飛車に言われて、こうやってのこのこ出てくんだから。ほんと、感謝しろよなあ」

「お前はポロクについてどこまで知ってるんだ?」

「じつはよくわかんないのよ、あたしの生まれるまえの話だから。仮想空間の十五才未満の子供の利用の許可が国からおりないってことが、デスパートの雇ってる顧問弁護士から開発部のほうに伝えられて、そこでこのポロクちゃんのプロジェクトもストップしたってのは、瑞生クンも知ってるよね」

「ああ。そこらへんまではまだデスパートの社員だったからな」

「でもその時点で、背景のつくりこみは抜きにしてもプログラム自体はほぼフィニッシュしていたし、まあエンジニアたちもそれなりの愛着があったみたいだから、プログラムは抹消されずに、商業施設の託児所に置かれたプリクラみたいなボックスにあるゲーム機に組みこまれたみたい。そんでこのポロクちゃんは今日もゲーム機のなかのモニターでずっと佇んでるわ。来るはずもないお客さんを待ちながらね」

 瑞生はデスパートを退職してからの年数を指折りかぞえる。

「あれからずっと、ひとりでここにいたのか」

「そうなるわね」

「よく退屈しないな」

「退屈って概念がなければ、退屈もしないわよ」

「そんなの概念なんかあろうがなかろうが感じるものなんじゃないのか?」

 メグが呆れたような顔をした。

「んもう。瑞生クンて、ときどき頭のわるい発言するよね。そうした感情を肉づけする概念を子供たちに教えさせるためにこのポロクちゃんは開発されたんでしょーが」

 瑞生はメグが言ったことを頭のなかで整理する。ようやく理解できたのか、瑞生は感心したようにうなずいた。そして巨大なポロクをあらためて見あげながら言った。

「うーん‥‥誰か冷やかしでもプレイしないもんかな」

「そもそも仮想空間の託児所なんて誰も興味ないわよ。現実世界の子供をこの世界に連れてこられるわけでもないし、宗教がらみの制約もあるから、この世界でヴァーチャルな子供をつくれるわけじゃないしね。ここはあくまで現実を忠実に模倣しなきゃいけない世界だから、小学校や産婦人科なんかと同じように、託児所そのものがある種のダミーに過ぎないわけだし。だから本来だったら、エンジニアたちはいさぎよくプログラムごと抹消すべきだったのよね」

「でも彼らは破棄しなかった‥‥」

「彼らなりの愛着があったんじゃない。これはデスパートのエンジニアたちが、あたしの試作品としてつくった、完全なAIの第一号だったわけだから」

「完全なAIの第一号? そうじゃないAIがいたのか?」

「瑞生クンはこのことは知らされてないかな。ごく初期段階に仮想空間のガイド役の女性がいたそうなの。その女性は現実のモデルがいたらしくて、瑞生クンのつくったコピーの詩梁ちゃんといっしょで、性格の主なところは手入力、AIの使用は部分的なものだったそうだから、完全なAIはこのポロクちゃんが最初だったらしいわ」

「そういえばそういう女性の話を聞いたことがあるような‥‥」

 瑞生とメグがふたりで話しこんでいる脇から、ポロクがぽつりと言った。

「ネエ、アソンデヨ。サビシイヨ」

「あはっ、寂しいだって。生意気にさ。誰が教えたんだろ」

 瑞生には心あたりがあった。恨めしそうな目でメグを睨みつけ、苦虫を噛みつぶしたような表情で言う。

「‥‥僕だよ。開発中だったポロクを第三者にテストしてもらうためにエンジニアたちに呼ばれてさ、なにか人間的な感情を教えてみて、って言われて、よりによってこんな感情を教えてしまったんだ。僕はマイクをとおして、寂しいという感情がどういうものか、ポロクに教えたんだ」

「でも寂しいなんて感情、正確には言語化できないじゃない」

「いろんな表現を駆使して時間をかけてポロクに教えこんだんだ。エンジニアたちと笑いながら‥‥」

「あれえ、そうだったのぉ」

 半笑いになっているメグを、横目で睨みつけながら瑞生は言った。

「いや、お前はわかっててやってるな。たしかこの幼児教育プログラムは、プレイヤーの名前を登録してからプレイするつくりになってたはず。ミズキなんて名前の人間は、プログラミングの部署にはたしか僕しかいなかった。その履歴が残っていれば、お前は誰がポロクに寂しいって感情を教えたのか、知ることができたはずだ」

 メグは唇を尖らせ、そっぽを向きながら言った。

「ふーん。どーだろーねー」

「とぼけやがって。これがお前の考えた第三の地獄ってわけか。くだらない」

「サビシイヨ」

 ポロクがまたそう言うと、瑞生にはポロクのおおきな目が泣いているように見えた。瑞生は少しだけ罪悪感がうずく。

「‥‥ところで、ポロクはいつまで生きつづけることになるんだ?」

「いつまでって‥‥仮想空間のブームが完全に廃れて、デスパートがこの商売をたたんだとしても、きれいにプログラムを抹消しないがきりは、いつまでもネット上に残ることになるんじゃない。プログラムを抹消するのだってそれなりに労力がかかるわけだから、デスパートが仮想空間を閉鎖する際にそんなことする可能性はほとんどゼロに近い‥‥となると大災害や核戦争なんかが起こって人類が壊滅状態になって地球上に電気が流れなくなる日までってことになるわね。それは五億年後のことかもしれないし、ひょっとすると明日までかもしれない。誰にもわからないわ」

「もし仮りに五億年生きるとして、そのあいだずっとポロクは寂しさを感じつづけるってわけか」

「そう、誰かさんがそんな感情を教えちゃったばっかりにね」

「サビシイヨ」

 瑞生はポロクの顔を見あげた。愛くるしい顔が瑞生の心を締めつける。メグに視線をうつして瑞生は言った。

「お前な、どこまで性格がわるいんだよ。こんなことを知ってしまった以上、落ちつかないじゃないか」

「サビシイヨ、ボク、ウマレテカラ、ズット、ズット、サビシイヨ」

 瑞生は振りかえってポロクを見あげる。そして人質とともに建物のなかに籠城する犯人に向かって刑事が説得するような口調で懇々と訴えかける。

「なあ、聞いてくれ。僕をおぼえているか。ミズキだ。お前に寂しいって感情を教えたのは僕だ」

「ミズキクン‥‥オボエテルヨ、ヒサシブリダネ。オトコノコダネ」

「そうだ。もうしわけないけど、あのとき教えた感情はじつは嘘っぱちだったんだ。寂しいってのは、ほんとうは、楽しい、ってことなんだ」

「タノシイ。タノシイッテ、ソレ、ドウイウコト」

「心がウキウキするんだ。これからなにか面白いことが始まるみたいな感じだ」

「ココロガ、ウキウキスルッテ、ドウイウコト」

 メグがややヒステリックな笑い声をあげるが、瑞生は無視する。

「僕がポロクに教えた、寂しいってのと真逆なことさ」

「ソレガ、ホントウノ、サビシイッテコト?」

「ああ。ごめんな、あのときは嘘ついてたんだ」

「‥‥ワカッタヨ。サビシイハ、タノシイダネ。ミズキクン、アソンデヨ。ボク、サビシイヨ」

「その寂しいってのは、楽しいってことだよな」

「ウウン、チガウヨ。サビシイハ、サビシイダヨ」

「だから、その寂しいっていう感情は、楽しいに更新されたんだよな?」

「コウシン? コウシンッテ、ナニ。ポロクニ、オシエテヨ」

「シュウセイシステムガ、サドウシテルンダヨ」

 そう言ったのは、ポロクの声を真似たメグである。瑞生がメグを殺気にみちた目で睨みつける。

「修正システム? なんだそりゃ」

「たとえば悪ガキが間違ったこと教えても、ポロクちゃんがそれを鵜呑みにしないよう、プログラム内にそれぞれカテゴリ別に蓄積されたワードと照合しながら学んでくんだ。そうじゃないと幼児教育プログラムの役割を果たさないし、変なこと教えられても困るわけじゃない。そうしないと、コンニチハ、ボク、ポロクダヨ、カワイイオジョウチャンダネ、アタマ、カチワッテアゲルヨ、みたいなことになりかねないわけだから」

「でもいったんは了承したじゃないか」

「明らかに間違ったことを教えてる相手を適当にあしらったってだけ。だっていつまでも間違ったことを教えてくる子供の相手なんかしてられないじゃない。口説いてくる金ばなれのいい上客をはぐらかすクラブのホステスとかといっしょだよ」

「じゃあポロクはずっと寂しいままなのか」

「ずっと一緒にいてあげたら?」

「真面目に話してんだぞ」

 瑞生は振りかえってポロクを見あげる。究極的な話、自分が死んだあともポロクは生きつづけるわけだ。自分が教えてしまった、寂しいという感情を抱えながら‥‥。瑞生はしばらく考えていたが、やがて振りかえってメグに言った。

「‥‥メグ、ポロクのプログラムを破壊しろ。お前なら簡単にできるだろ」

「んまあ、ひどいこと言うわね。そんなのポロクちゃんがかわいそうじゃない。ポロクちゃんはただ寂しさを感じてるってだけよ。べつに大人が感じるような深刻な寂しさじゃないわ。それにさ、将来的に十五才以下の子供が仮想空間を利用する許可が国からおりて、ポロクちゃんは仮想空間を訪れる子供たちの人気者になる可能性だってあるんだし。寂しさを感じている暇なんかないくらい、子供たちの相手しなきゃなんないときがくるかもしんないわよ」

 瑞生は苛立った声でメグに言った。

「AIなんだから精密に計算してみろ、その可能性はいったい何パーセントくらいあるんだ」

「えーとね‥‥0.000005パーセントくらいかな」

「ふざけるな。ないに等しい数字じゃないか」

「寝ている子供の視神経に信号を送るっていうのが、懸念材料ていうか障壁になってるらしいから、デスパートが子供にも安全安心な仮想空間のデータの送受信の装置をつくりだせる可能性を数字で割りだすと、そのくらいのパーセンテージになっちゃうのよ。そもそもこの仮想空間って、原価のまったくかからないものを商品としてユーザーに買ってもらうのが目的でつくられたわけでしょ。クレカを持てるわけでもないそこらへんの年頃の層の子たちなんて、デスパートもとっくに見切りをつけちゃってるから、今後も改良版を開発する気はなさそうなのよね」

「アソンデヨ。サビシイヨ」

 ポロクを見あげてから、瑞生はふたたびメグに視線を戻す。

「いいからプログラムを破壊しろ。ただでさえ不眠症ぎみなのに、ポロクのことなんか思い出したら、よけいに寝つきがわるくなる」

「できなくはないけど、存在を抹消しちゃうより、寂しさを感じつづけるほうがマシなんじゃないかなあ。それでもこのかわいらしいポロクちゃんを消し去りたいわけ?」

「ああ。たかが機械だろ」

「そう思うんなら、放っておきゃいいじゃない」

 瑞生は冷淡な表情で首をふった。

「罪の意識がうずくんだよ」

「マジで言ってるわけ? 瑞生クンがただぐっすり眠りたいってためだけに、かわいいポロクちゃんをこの世から抹消したいと言ってるわけ?」

「‥‥そうだ」

 メグは両腕を組んで瑞生をじっと睨みつけた。十七才であっても凄味のある睨みかただった。しばらくそうやって瑞生を黙ったまま睨みつけていたが、メグはやがて根負けしたように組んだ両腕をほどくと、こくんとうなずいて瑞生にむかって言った。

「わかったわよ。やったげる」

 しばらくして、ポロクが足元から消えていく。瑞生は最後までそれを見守っていた。ポロクの目は消える最後の瞬間に瑞生になにかを訴えかけているように見えた。なんともいいがたい、切ない表情だった。わずかに心が痛みながらも、完全にポロクが消え去ると、瑞生は振りむいてメグに言った。

「むしろお前に感謝してるよ、ポロクのことを思い出させてくれて」

 メグがやはり瑞生を睨みつけながら言った。

「でもこれってやっぱ、瑞生クンの自己満足だよ。それに‥‥瑞生クンさ、もし自分が寂しさの感情を教えたんじゃなきゃ、べつになんとも思わなかったでしょ」

 瑞生はそのことについて思いを巡らせていたが、やがて目を伏せてうなずいた。メグの指摘したとおり、自分が寂しいという感情を教えたのでなければ、ポロクがその感情を抱きながら何千年と生きつづけたとしても、べつになんとも思わなかっただろう。瑞生は醜悪きわまりないこうした自分の感情に心がずきずきと痛む。

 そして瑞生はさらに思った。コピーの詩梁もいずれはこうやって自分で判断して抹消しなければならなくなるときがくるのだろうか。ポロクはあくまでマンガチックな架空のキャラクターだ。そのぶん、こちらの精神に与えるダメージもまだ少ない。だが詩梁はリアルな人間のすがた形をしている。おまけにコピーの詩梁には生身の人間に劣らぬ喜怒哀楽の感情をすでに与えてしまっているのだ。‥‥そのことを考えただけで、瑞生は安易に詩梁のコピーをつくりだしてしまった自分を消し去りたいような気分になるのだった。

「こういう種類の地獄もあんだな。しかし‥‥お前どんだけ性格がわるいんだよ」

「こうしたこともただ人間たちから学んだだけよ。それに‥‥あたしだって、ポロクちゃんと同じように脆い存在だと思わない?」

 それにたいして瑞生がメグになにか言おうとしたとき、また世界が光で押しつぶされた。

*次回のアップは8月31日となる予定です。

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