11
十年以上も前、私が学生だった頃。
少し若い母のがっかりした顔が浮かんだ。ぐっと腹がせりあがるような思いに駆られた。彼女の笑い顔を見た記憶がなかった。いつも私に向けられるのは思いつめたような懸念の表情。
こんなことまで思いだすなんて、竹中に怒りさえ感じていた。もうそのことに触れて欲しくなくて、紛然として席を立った。新人君は私がなにも言わないから肯定したと思ったのか、満足そうに鼻歌を歌っている。人の気も知らないでのんきな人。もうこれ以上私に話しかけて欲しくなかった。
カラになったボトルにウォータークーラーから水を注ぐ。その間に自分の席に戻ってって、竹中に願う。
そこへ外へ出ていた部長が戻ってきた。隣に座っていなくてよかったという安堵感。しかし、部長はオフィスに二人だけだった私達を見て驚いていた。
「あれれ、なんか珍しいコンビで二人きりのお留守番だったんだね」
そんなことを言われて目をそらす私。今の私の心に現れた言葉を発していたら、この場はしらけてしまうだろう。そんなこと言うのはやめてください、というきつい言葉だったから。その代りに竹中が陽気な声を出す。
「はい、二人きりでいい感じだったんですよ。邪魔されちゃったなぁ」
悪びれもせず、竹中がそんなことを言った。
今度はそんな竹中を睨みつけた私。なんでこの人はそんなことを言うんだろう。
「ええ~っ、まさかだよね」
四十代後半の部長が大げさに驚いた。そして改めて私たちを交互に見比べる。その表情から、不釣り合いだと考えていることが読み取れた。そう、その視線と反応がとてつもなくいやだった。悪意みたいなものが感じられて、口の中に苦い物がこみ上げてくる。
それでも私はなるべく表情を変えずに言った。なるべく早くこの会話を終わらせるため。
「冗談に決まってます。真に受けないでください」
部長がそうだよねとつぶやき、安堵した息をついた。
「いやあ、竹中君ってすっごい年上好みだったんだって思っちゃったよ」
そう言う部長の口元がゆがんだ。皮肉っぽい笑み。それは絶対にあり得ないことだと言っているのだ。すっごい年上という心無い言葉に傷つきながら、私は愛想笑いをすることができず、視線を落とした。
そう、竹中は二十三歳、私はもうすぐ三十歳。街中を歩くカップルではあまり例をみない年の差の関係。普通ならそれで会話は終わりだった。冗談でした、で終わる笑い話だったが、竹中が口をとがらせてこう言った。
「そりゃないです。それって傷つくな。僕じゃ若輩者すぎて鹿島さんにふさわしくないってことですよね。少なくとも僕は本気なんですけど」
竹中の言葉が私をドキッとさせた。しかし、すぐに自分を戒めていた。そんなことあるわけない。すべてがこの要領のいい若者の冗談に決まってると。
年上の女性をからかうにもほどがある。
玉子サンドを作ってもいいと思っていたが、もう絶対にあり得ない。もし、それを手渡すところを誰かに見られたら、またこんな会話が飛び出してくるだろう。
孤独な寂しい三十路の女が若い男性社員を手なずけようとしていると。不本意だ。いや、それ以上に私は誰かの会話の中心にはなりたくないのだ。放っておいてほしい。




