第二章 破滅の足音 2
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ダグが、キャサリンとの待ち合わせの場所に来て、既に一時間以上経っている。それなのに、キャサリンは、未だに姿を現さなかった。
「どうなってるんだ。時間と場所を指定したのは、彼女の方なんだぞ、それなのに・・・、いつまで待たせるつもりだ」
誰に愚痴るともなく、言葉を漏らしていた。三日前に、村の集会所で、プロポーズをして以来、会う人、会う人に冷やかされる毎日を過ごしている。
おそらく、親友のマイケルの仕業に違いない。マイケルは、その日の内に、ダグとキャサリンの婚約の噂を村中に撒き散らしたのだ。
マイケルのお祭り好きにも困ったものである、とダグは常々考えていた。どんな些細な出来事でも大騒ぎにする才能が、マイケルにはあるのだ。
そんな、冷やかしの言葉も最初のうちは、嬉しくもあり、喜んで聞き流していたが、三日も続くと、ダグは、鬱陶しく感じてきていた。正直、放っておいて欲しかった。
ところが、キャサリンは、違った。未だに、チヤホヤされていることを喜んでいるのだ。そんな調子のキャサリンが隣にいては、ダグが、皆に、「いい加減にしろ」とは言えないのである。
「全く、女性の、ああいうところは、俺には理解できん。周りからチヤホヤされて、浮かれている自分を見て、あれほど嫌っていたミランダと同じだということに気がついていないのか、キャサリンは」
イライラが募り、ダグのひとり言は、その音量を増していた。
ダグは、三年前に父親を亡くして以来、ずっと家族のいない家で独り暮らしをしてきた。その家に、やっと新しい家族を迎えることができるのだ。嬉しくないはずがない。
しかし、ダグは、夜、独りになり、ベッドに入ると、どうしても不安になる。自分が、家族を持って本当に良いのだろうか。
この三年間、独りでいることに不自由を感じたことはない。つまり、独りでいることに慣れてしまっているのだ。そんな自分が、他人のことを幸せにできるのだろうか。キャサリンのことを本当に愛しているのだろうか。実は、唯単に、キャサリンのことを夜の孤独を埋めるための道具と思っていないのだろうか。
夜にもなっていない今も、そんな不安に苛まれている。これで、自分は、本当に幸せな家庭が築けるのだろうか。何よりも、自分自身の幸せを見いだせるか、不安は膨らむ一方であった。
そのとき、誰かが、背中を押すのが分かった。慌てて、ダグは振り返り、思わず拳を振り上げていた。
「きゃ、止めて、私よ、ダグ。遅れたことは、謝るから、許して」
ダグは、その声を聞き、正気に戻った。目の前にいるのは、一時間以上も待たされた相手である。
「キャサリン、お前な、自分で全てセッティングしておきながら、当の本人が一時間も遅れるとは、どういう了見だ。これじゃ、結婚して、これから一緒に生活するのかと思うと、不安になるぞ」
ダグの嫌味は、全くキャサリンには、通じていないようで、両手を顔前で合わせて、笑顔でウィンクしながら、唇から舌を覗かせて、首を軽く横に倒した。
「エヘッ、本当に御免なさい。実は、色々あってね」
「色々って、どんなことだよ」
「先ずは、家を出るときに、クソオヤジに捉まってさ」
キャサリンの父親であるシドは、腕の良い大工であった。現在、村にある家のほとんどは、シドが、その建設にかかわっている。
キャサリンは、そんな父親のことを、とても尊敬していた。そして、自慢に思っていたのだ。
ところが、三年前に、酒好きのシドは、酔った勢いで喧嘩を始め、右腕に大怪我を負ったのである。利き腕を負傷し、元のように動かすことができないと医者から言われ、シドは変わってしまった。
それからは、仕事もせず、一日中、家で酒浸りになり、母であるシルビアとキャサリンに当たり散らす毎日であった。
そんな状態を見せつけられ、今やキャサリンにとって、父親であるシドは尊敬の対象ではなく、嫌悪の対象でしかなくなってしまったのだ。
「それでね、私たちが結婚する話を、お酒を買いに行ったとき、酒屋の店主に聞いてきたみたいで、『結婚なんか許さん、お前は、これから、この俺に育ててもらった恩返しをしなくちゃならんだろう。先ずは、仕事先を見つけて給与を取ってこい』なんて言い出しやがる。自分のことを棚に上げて何を言ってやがるんだか」
キャサリンは、自分では気付かずに、父親の話をするときは、口調が強く、汚い言葉遣いに変わるのだ。
ダグは、キャサリンの怒りを鎮めるために、話題を変えることにした。
「あぁ、シドにも困ったものだな。ところで、他にも何かあったのか、キャサリン」
キャサリンは、ダグの言葉に我に返り、落着きを取り戻そうと、一旦、大きく深呼吸をして間を取った。
「えぇ、もうひとつあってね」
キャサリンは、いつもの穏やかな口調に戻っていた。それを見て、安心したダグは、話を先に進めるように促した。
「何だい」
「実は、ミランダのことなの」
その言葉を聞いて、「しまった」と心の中で、ダグは後悔したが、既に遅かった。ダグは、またミランダのことで、キャサリンから愚痴を聞かされるのかと思うと、うんざりした。
ダグにとっては、キャサリンの父親の愚痴を誤魔化そうとして振ったことによって、また、最初に逆戻りした心境である。
「何だい、また、ミランダとトラブッたのか」
「いいえ、その逆よ。今までのことを謝ろうと思って、ミランダの家を訪れたのよ」
「えっ!」
ダグは、自分の耳を疑った。あのキャサリンが、ミランダに謝ると言ったのである。
口さえ開けば、ミランダの悪口しか出てこなかったキャサリンの口から、ミランダに謝りたいという言葉が出たのだ。
ダグは信じられない思いが拭い去れず、もう一度、キャサリンに問い質した。
「キャサリン、今、ミランダに謝りたいと言ったのかい」
すると、あっさりと、キャサリンは肯定したのだ。
「そうよ。確かに、今までの私は、ミランダのことを馬鹿にしてきたわ。でも、三日前にダグからプロポーズされて、ミランダのことが可哀想に思えて、兎に角、謝りたくなったの」
「何が、可哀想なんだい。俺から見ても、ミランダの自慢話は、聞くに堪えないものなんだぞ。あそこまで、言われれば、誰だって、馬鹿にされていると思って当然じゃないか」
いつもなら、ダグの、その言葉に乗ってくるキャサリンなのだが、今日は違っていた。
「確かに、傍で聞いていると、そう聞こえるかもしれないわね。でも、良く考えてみたの。ミランダは、確かに、お城に出入りしていて、王太子妃に特別扱いされているわ。でもね、それは、ミランダが望んでなった訳じゃないと思うの。いいえ、逆に、望んだからと言ってなれる訳ないじゃない?」
キャサリンの発した言葉に驚いたダグは、まさに、開いた口が塞がらなかった。それほどの衝撃が、走ったのだ。
いつもなら、間違いなく、ミランダの悪口を言っているキャサリンである。そのキャサリンの口から、何と、ミランダを庇う発言が出たのだ。
ダグは、本当に驚いていた。これが、キャサリンなのか。目の前にいる女性は、本当はキャサリンではないのではないか。ダグは、そう思わずにはいられなかった。
「キャサリン、お、お前、本当にキャサリンなのか」
「朝から、お酒でも飲んでいたの。当たり前でしょ。私は、貴方の婚約者キャサリンよ」
「で、でも、キャサリンが、ミランダを庇っている。あのキャサリンがだぞ。信じられるか。ほんの四、五日前まで、ミランダの愚痴しか、俺に漏らしていなかった、あのキャサリンが、ミランダのことを庇うなんてことがあるのか」
その言葉を聞いて、キャサリンは、心底、今までの自分を恥じた。愛するダグの口から改めて、自分がミランダにしてきた態度のことを言われると、本当に自分の心の狭さが実感できた。
「そうよね。実は、私自身も信じられないの。何故、今まで、ミランダに、そんな態度を取ってきたのか。でも、きっと、今までの私は、ミランダに嫉妬していたのよね」
「えっ、何を今さら言っているんだい。そんなことは、とっくに分かっていることだろう。それを今さら蒸し返したところで、何故、急に百八十度も考え方が変わるんだい?」
「そうね、確かに分かっていたことだわ。でもね、正確には、ミランダに対する嫉妬と言うよりも、自分自身に対する焦りだったんだと分かったのよ。要するに、自分自身に対する怒りをミランダにぶつけていたのよね」
「え、自分自身に対する怒りって、どういうことなんだい?」
「それはね、同じように生きてきた同年代の女性が、ひとりだけ幸せになっていくことが、納得できなかったのよ。自分は、何故、あんな仕事もしないで、昼間から飲んだくれている父親にガミガミと言われる生活を強いられなくてはならないのか。実際には、そんな生活をしている自分自身に焦りがあったのよね。焦りが積もり積もったときに偶々、同年代の同じ村に住む女性が、ひとり幸せになっていく姿を見て、自分自身に対する焦りを幸せになっていく者に対する嫉妬にすり替えて、自分自身を納得させてしまったの。そういうことなのよ」
キャサリンは、そこで、ダグの目を見つめて話を先に進めた。
「それが、ダグ、貴方のプロポーズによって、救われたのよ。実際には、私も幸せだったんだって、貴方が分からせてくれたのよ。私には、既に、ダグ、貴方と言う最高の恋人が、ずっと傍にいてくれたの。そんな大事なことに今まで気づかなかったのよ。私は、何て馬鹿な女だったのかしら。でも、三日前の貴方のプロポーズが、私の心に余裕を与えてくれて、ミランダのことを平常心を持って考えることができたってわけよ。ダグ、貴方のおかげよ」
ダグは、キャサリンから、そう言われると、何だか照れ臭くなり、顔が赤く火照ってくるのが分かった。
しかし、少し、冷静になってくると、何か、違和感が持たれた。キャサリンの喋り方に、どこかで聞き覚えがあるのだ。そこで、キャサリンを問い質してみた。
「キャサリン、今日の君は、何だが、タイトさんみたいな喋り方だな。本当に、お前自身で、そこまで考えついたのか」
「え、あ、当たり前じゃない。私だって、考えるときは、きちんと、考えるのよ」
そう言いながら、キャサリの目は泳いでおり、ダグの目を見つめることを避けていた。明らかに、嘘をついている。もう、自分で認めているのと同じである。
ダグは、呆れながらも、そこまで、確りとした口調で喋ったキャサリンは、既に、タイトの言葉を自分のものにしていることを認めざるをえなかった。
「まあ、君が、そこまで思慮深くないことは、ずっと傍で見てきた俺には、お見通しだよ。でも、今の言葉は、確りと君の言葉として口から出ていたよ」
その言葉で、先ほどまで、避けていた視線をダグに戻して、キャサリンは、確りとダグを見つめた。
「ありがとう、ダグ。貴方の言うとおり、昨日、タイトさんにミランダのことを相談したのよ。そのときに、自分自身でも気づかなかった自分の心の内を聞かされて、正直驚いたわ。でも、タイトさんが言っていたわ。『今までのキャサリンだったら、きっと、今言ったことを理解することはできなかっただろう。でも、今の君は違う、ダグの言葉が切っ掛けとなり、心に余裕が生まれたんだ。その余裕ができた部分で、確りと物事を考えることができるようになったんだよ』ってね。その言葉で、私も納得できたの。今までは、タイトさんと話していても、言葉は頭に入ってきても私の心の中までは入ってこなかったの。いっぱいだった私の心は、それを受けつけなかった。だから、私は、知らず知らずに、タイトさんの言葉を拒絶していたのよ」
そう言われると、ダグにも理解できるところがあった。確かに、タイトさんの言っていることは、言葉としては素晴らしいことは理解できるが、心情的に理解できなかったのは、自分で拒絶していたからなのだ。
いっぱい、いっぱいの心が、他人の言葉を受け入れることを拒絶していたに過ぎなかったのだ。当然なことである。既に、いっぱいになった容器に水を注いでも、注いだ水は容器からこぼれ落ちるだけである。だから、直ぐに忘れるのだ。
今のダグならある程度は、理解できる。否、ほとんど理解できてはいないのだが、気持ちのどこかに引っ掛かるようになってきた、という言い方が正確なところだ。それは、おそらく、キャサリンも同様である。
それでも、ダグにとっては大きな進歩なのだ。キャサリン同様に、ダグにも心の余裕ができたからである。その余裕を作ってくれたのが、他でもない、目の前のキャサリンなのだ。
今までは、何となく、友人以上恋人未満のような宙ぶらりんな状態であった二人の関係が、三日前に変化した。
勇気を出して、村の皆が集まっている集会場でプロポーズをした事実を発表して、キャサリンが、それを肯定しくれたのだ。
皆の前で恋人宣言することによって、周知の事実として知られ、ダグの中でキャサリンは、完全な恋人として確立された。
それが、ダグの中で心に余裕を作れた原因なのである。最も、プロポーズの切っ掛けを作ってくれたのもタイトのひと言だった。
ダグは、本当にタイトに心から感謝していた。自分とキャサリンを変えてくれる切っ掛けを与えてくれたのだ。今度、キャサリンと二人で、タイトさんの家に結婚の報告とお礼をしに行くことを心に誓った。
「ところで、確りと、ミランダには、謝れたのかい」
随分と脱線してしまった話をダグは、急に思い出したように引き戻した。
「それがね、ミランダには会えなかったの」
「え、ミランダは、家にいなかったのか」
「そうなのよ、いくら家の扉の前で声を掛けても、力強く扉を叩いても応答がないの。お城に上がる前に会いたくて、早くに出かけたつもりだったんだけど・・・。それでね、辺りを一応、探してみたの。それで遅れちゃたってわけ。御免ね、ダグ」
「そうか、きっと、お城の舞踏会も近いので、今日は、早く登城したんじゃないのかな」
「そうよね、また、明日にでも行ってみるわ」
「ああ、そうしな。それよりも、今日は、これからの俺たちの生活を相談するために会うことにしたんだろう。そっちが優先だよ」
「そうね、これからの私たちの生活を考えると、自然と幸せな気持ちになれるの。どんどん心が広がって、より大きな心の余裕が持てるようだわ」
キャサリンは、本当に幸せそうに、両手を広げ、ダグの前で、踊るように何回も、何回も回って見せた。
ダグ自身も、そんなキャサリンの姿を見て、本当に幸せで、これからの人生、何ひとつ怖いものなんかない、と思っていた。
しかし、破滅は、少しずつ確実に、その足音を大きくしながら近づいてきていた。だが、二人は、そのことに気づいていなかった。




