終 章 1&2
終章
1
暗く長い廊下が続いている。この廊下は、こんなに暗かったのかと、ソール六世は、思った。
自分が、この廊下を殆ど使ってこなかった事実を思い知らされた心境である。六世は、ある扉の前で、立ち止まった。そして、中の人間に声を掛けたのだ。
「アルテア、余だ。入るぞ」
そう言うと、アルテアの返事を待たずに、扉を開けて、中に入った。
アルテアは、ベッドに腰掛け、寝間着姿のままであった。そして、六世に対して鋭い視線を投げかけ、きつい言葉を吐き捨てた。
「陛下、どうぞ、処刑なさってください。タイトの申すとおり、私は、シャインソール王国滅亡を画策した女でございます。如何に王妃という立場であっても、このままでは、国民に示しがつかないでしょう。どうぞ、私に全ての罪をなすりつけて、処刑してくださいまし。そして、貴方は、更に、魔王としての自分の存在を確固たるものにすればよいのです」
アルテアに喋らせるだけ、喋らせた六世は、申し訳なさそうに、喋り出した。
「アルテア、お前は、寂しかったのだな。
何も知らない、このシャインソールという大国で暮らさなくてはならなくなり、たったひとつの拠り所となるはずの余が、お前を拒絶したのでは、お前の思考が迷うはずだ。
余が、ミランダを愛したのは、お前の所為ではない。余に我慢が足りなかったからだ。アルテア、本来は、お前のいる場所をミランダに与えてしまったのは、余が子供だったからだ。だから、単に、甘えん坊の行動に過ぎん。
子供だったら、間違いを犯しても謝ればすむ。しかし、大人の余が、況してや一国の王である余が、やったことは、どのようなことをしても許されることではない。
それにやっと気づいたよ。ミランダとの仲を忘れてくれとは言えぬ。だが、余は、お前を愛する。否、最初に、この城に来たときから愛していたのだ。
それに、子供だった余が、気づかなかっただけだ。アルテア、お前に、余を愛して欲しいとは願わぬが、余は、これから、全力でお前を愛する。
この不毛であった三年間を自分自身で納得のいくものとするためにも。そして、余は、悔いのない明日を迎えたいと思っている」
そう言うと、アルテアに背を向けて、扉に手を掛けた。そして、ゆっくりと振り向き、ひと言、「愛している」と告げ、退室した。
廊下に出て、後ろ手に扉を閉めると、部屋の中から、アルテアのすすり泣く声が聞こえた。それを聞いて、六世は、焦らず、時間を掛けて、夫婦として共に成長していくことを誓った。
エミリオは、城の修練場に、兵士を集めていた。
「いいか、諸君、よく聞いて欲しい。私は、諸君らの噂どおりの男である。自分の下らぬ欲望から人を、それも陛下の弟ぎみを、この手に掛けた男だ。
本来なら、処刑されてしかり、自ら命を絶ってしかるべき男なのだ。しかし、あえて諸君らの前に立ち続ける理由は、たったひとつである。
平和ボケした諸君らの気持ちを叩きなおすためだ。平和になったとは言え、この間のような幽霊騒動が、またいつ起きるとも限らない状態に変わりはない。
そのときに、いったい誰が、諸君らの命を守ってくれるのだ。よいか、綺麗ごとを言うつもりはない。いざとなれば、陛下や王妃の命よりも自分の命を守りたいと考えることは、人として当たり前である。
だから、臆することなく、自分の命を全力で守るのだ。私は、そのために必要な剣の技術を諸君らに教える。
もし、私のような殺人鬼に教わりたくないならば、盗むがよい。決して無駄にはならないはずだ。
恨んでくれて結構、蔑んでくれて結構、しかし、私が、この国、否、この世界で最も剣の腕が立つことは事実である。
その私から、剣の指導を受けられるのだ。これをものにできるかは、諸君ら次第である。それでは、今日の訓練を始める」
そう言われた兵士たちは、全員、大きな声で「はい」と返事をした。エミリオは、兵士たちの怠慢を全て兵士自身の所為だと思っていた。
しかし、そうではないのだ。この平和な時代において、誰からも剣の指導を受けてこなかった兵士たちに自ら、剣の腕を磨くことなどできるはずがないのだ。
生まれたばかりの赤ん坊に、今すぐ言葉を喋れと言っていることと、何ら変わらない。タイトのおかげで、そのことに、やっと気づいた。
つまり、自分の怠慢を棚に上げ、全てを他人の所為にしていたに過ぎない。だから、他人に対して怒りをぶつけていただけなのだ。その結果のフランク王子殺害である。
今なら理解できる。怒りをぶつけるべき相手は、自分自身だったのだ。タイトの言うとおり、他人の所為にしているうちは、先に進めはしない。よって成長できずにいる。そのため、子供のままなのだ。
「これからでも、自分は、大人にならなくてはならない。肉体的にではなく、精神的に」
エミリオは、そう、呟き、兵士たちに稽古をつけるべく、腰の剣に手を掛けた。
ダグは、集会場に、村の主だった者を集め、城で起きた事件についての概略を話した。そして、自分の犯した罪についても皆に話したのだ。
「俺は、直接、陛下に問い質すことが、怖くて、貴族のひとりからキャサリンの死の真相を聞き出した。
その後、怒りに身を委ねて、その貴族を殺してしまった。確かに、そのときの俺は、黙って見ていた、その貴族もキャサリンを、その手に掛けて殺した陛下と何ら変わらないと思い、命を奪ってしまった。
しかし、そのときに、よく考えれば、理解できたはずなんだ。その貴族にも家族がいることを・・・。そして、その家族は、俺と同様、何故、自分の家族である人間が死ななければならないのか、理解できないで苦しむことになる。
そんな、当たり前のことを、自ら魔を追い求めて魔王となった俺には、理解できなかったんだ。愛するキャサリンが死んで死ぬほどの苦しみを味わった。その同じ苦しみを、俺は、見ず知らずの他人に押し付けたんだ。
キャサリのためでなく、俺のエゴを満足させるためだけに。だから、俺は人として恨まれて当然の男なんだ。
本来は、生きていてはならない人間なのだが、俺が死ぬと、また不幸な人間が生まれることになる。
先ずは、俺が殺した貴族の家族が、その怒りのやり場を失い、魔酔うことで、魔王になってしまう。
そして、もう既に家族も親友もいないと思っていた俺にも、まだ、家族と呼べるような人たちがいるんだ。その人たちを、これ以上悲しませるわけにはいかない。
だから、俺は、どんなに蔑まれようとも、死ぬほど憎まれようとも生きていかなくてはならない。
せっかく生きていくのだから、これからは、俺が、皆の代わりに、直接、クライス・ド・ソール六世陛下に会って、陳情を伝えようと思う。
一度は捨てた命だ。国民と王族の橋渡しができるなら、怖いどころか、喜びに胸が高まる思いだよ」
そう言って、ダグは、大声で笑った。そんなダグに、集会場にいた全員から拍手が送られ、口々に賛辞の言葉を述べていた。
ダグは、天を仰いで見た。遠くを見つめる、その瞳は、キャサリの面影を追っているようであった。
「キャサリン、御免よ。俺は、まだ、そちらに行くことはできないんだ。こちらの世界でやるべきことをやって、悔いのない明日を迎えた後、君のところにいくよ。それで、いいよな、キャサリン」
ダグは、そう、心の中で、キャサリンに誓った。
2
数日後、ソルビアス城の玉座の間には、クライス・ド・ソール六世、アルテア王妃、エミリオ将軍、そして、ダグの四人が、集まっていた。
「陛下、王妃様、その節は、本当に、私の至らなさが、あのような惨劇を生んでしまって、申し訳ありません」
「何を言っているのです。貴方と陛下を、そうするように仕向けたのは私です。本来、裁かれなければならないのは、私なのです」
王妃からは、以前に感じられたような、険しさが消えていた。今の言葉も本心から出た言葉に違いなかった。アルテアは、変わったのだ。
「アルテア、ダグ、そしてエミリオ将軍、皆、タイトの言葉を忘れてはならんぞ。誰が悪かったのかと言うような詮索に何の意味もない。問題は、悔いのない明日を迎えるために、今日この瞬間を一生懸命生きることが大事なのだ。だからこそ、今日、私のもとを訪れてくれたのだろう、ダグ」
「ハッ、その通りでございます。恐れ多いことですが、早速、国民の声をお伝えしたく参上いたしました」
「何が、恐れ多いことなものか。余は、呼び名が国王なだけであって、中身は、ダグや国民と何ら変わらぬ人間なのだぞ。恐れることなどないわ。どんどん言って参れ。但し、陳情を聞いた後、余自身で良く考えてから決断するから、必ず、聞き入れるとは限らんがな。ハハハ・・・」
「それは、勿論のことです。あらゆる人とコミュニケーションを取って、自分で考えるのに必要な情報を自ら集める、そして出した結論こそが、重要なのです。そうして、自分で熟慮した結論から行動して得られた結果だからこそ、自分で責任が負えるのです。今なら理解できます、タイトさんは、そう言っていました。私もタイトさんのお蔭で、ここまで変わることができました」
ダグは、しみじみとタイトの言っていた言葉を思い出しながら、そう語った。それに対して、エミリオが、口を挟んできた。
「ダグ、お前は、まだ、そのようなことを言っているのか。私は、タイトに言われたから、今、こうして生き恥を晒している訳ではないぞ。私は、私の考えで行動して、結果を得ている。その考えが、たまたま、タイトと同じだけのことだ。私の考えは、タイトのものではなく、私の考えなのだからな。だから、私が、今現在変わったのは、私自身の力に他ならない」
「そうですね。全く、そのとおりですわ。私が、ここまで変われたのも、タイトの力ではなく、やはり、私自身で考えて、変わったのでしょうね」
アルテアもエミリオに同意した。そして、六世も全く同じ考えであった。
「フン、当たり前のことを言うな。もし、現状の変化をタイトのお蔭とするならば、これから先の失敗もタイトの所為にするに決まっておるわ。それほど、我らの心は、まだまだタイトと比べれば脆すぎるのだよ。自分の行動は、全て自分の考えで行ったもの、だから、反省し、次につなげることができるのだ。それが、成長するということなのだろう。私たちは、まだまだ子供ということだ。精神的にな。ところで、エミリオ、その後、タイトの行方は・・・」
「ハッ、この間の玉座の間での一件以来、行方知れずございます。奥方の話ですと、『本当に申し訳ありません。私が、この地に残ることは、これから先、禍根を生むことになります。私は、この地で暮らすことは、もうできません。でも心配しないでください。私は、この空の下、必ず、生き続けます。アスリーン、君とフラニーのことを思って。だから、君とフラニーの築き上げてきた生活を守って、二人で強く、これからも変わらぬ生活を送って行くことを願っています。お父さんにも、申し訳ありませんと伝えてください。』という書置きを残して姿を消したそうです」
「そうか、タイトの件は、既に国民の知るところであるからな。このまま、この国に残ることは、余の権威の失墜を加速することになる。今後の執政に支障をきたすことを懸念して、自ら身を引いたのであろうな、エミリオ将軍」
「陛下のおっしゃるとおりだと思います。それと、タイトが、この国にいると思うと、我らは、タイトを頼らずにはいられません。陛下のおっしゃったとおり、我らは、それほど未熟なのです」
「そうですね。陛下とエミリオ将軍のおっしゃるとおりでしょう。タイトさんなら、そこまでお見通しなのでしょうね。タイトさんを頼っていては、この間の玉座の間の件が全く意味のないものとなってしまいます。もう、我々は、親離れをして、自らの足で、この大地に立たなければならないのですから」
ダグが、そう言うと、アルテアが、それに同意するように喋り出した。
「そうね、私たちは、もう、いい加減に大人にならないといけないわね。それが、タイトが、この国で最後に願ったことですものね。私たちは、タイトが何と言おうと、返しきれぬ恩義があるのです。タイトの最後の願いを聞き届けることは、義務ではなく、事実としなくてはならないはずです」
「フン、あのアルテアが、よくも変わったものだ。ま、余も人のことは、言えぬがな。ところで、アスリーンとフラニーの親子は、如何している、エミリオ」
「心配はいりません。かつては、私が心底惚れ抜いた女性です。自分のことは、自分で決めて、行動を起こしております、陛下」
「そうよな。タイトとお前の愛した女性だ。誰よりも強い女性であろう。なあ、アルテア」
「はい、アスリーンは強い人ですよ、陛下。タイトが唯一、勝てない者があるとすれば、間違いなくアスリーンだけでしょうね」
アルテアの言葉で、その場にいた四人は、皆、笑っていた。タイトと、その家族の愛の強さに、心の底より、賛辞を送ったのだ。




