第三章 魔界に迷いし者たち 6 第三章【終】
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ソルビアス城は、夜を迎えた。兵士たちの顔には、恐怖が色濃く表れている。当然である。昨晩は、三人もの人間が殺されたのだ。それも、相手は、その前日に惨殺されたフォレスティン村の女性たちの怨霊かもしれない。
科学ではなく、まだ、迷信が、さもありえるように伝えられる時代であった。剣ひとつで、己の道を歩むことのできる時代である。力が全てなのだ。その力が及ばない存在に出会ったとき、人々には、どうすることもできない。ただ、恐怖して、その身を任せる以外ないのである。
そのような、空気が蔓延しているようでは、兵士たちの士気が上がるはずはなかった。その状態を見て、エミリオは平和の弊害を感じずにはいられない。
(平和が続いてきた弊害が、この大事な時に出てくるとは。これで、警護が本当にできるのか。いったい、兵士としての、武人としての誇りは、どこに行ってしまったのだ。男として、恥ずかしくはないのか。やはり、私が・・・)
エミリオは、気配を感じ、考えるのを止めて、そちらを振り向いた。そこには、フランクが立っていた。エミリオは、何事かと思い、声を掛けた。すると、フランクは懇願してきた。
「エミリオ将軍、今日は、よろしく頼むぞ。貴方だけが頼りだ。相手は、怨霊だ。貴方以外の者に止められるとは思えない。頼む、私を守ってくれ。私は、賢いと言われてきたが、そんなことはない。臆病なので、失敗しそうなことは、自ら放棄してきただけのことなのだ。だから、気概のある兄が、何でも挑戦して失敗してきたことと比べられ、賢いというレッテルを貼られたに過ぎない。本当の私は、卑屈で弱い男なのだ。私は、死にたくない。頼む、エミリオ将軍・・・」
フランクは、エミリオの足元に跪いて懇願した。エミリオは、一瞬、顔色を曇らせたが、何事もなかったように応えた。
「何をおっしゃるのです、フランク王子。貴方様を守ることは、シャインソール軍の総指揮権を預かる私の役目です。必ずや、お守りして見せます」
そう言って立たせると、部屋まで送ると言って、フランクの私室まで共に向かった。
フランクの部屋まで辿り着くと、驚いたことに、その部屋の前には、六人の兵士が所狭しと、控えていたのだ。考えられないことであった。
元々、城の廊下は、敵に攻め入られたときのことを考え狭く作られている。それなのに、狭い廊下で六人もの兵士を配備することに如何ほどの意味があるのだろうか。
この狭い廊下では、人ひとりが剣を振るうのがやっとである。それ以上の兵士が剣を振るうことは同士討ちになりかねない。そんな常識的なことも、王子であるフランクや此処に控えている兵士たちには、理解できないのだ。
大勢で集まることによって、その恐怖を紛らわせたいのであろう。だが、精神的な恐怖は、紛れるかもしれないが、実際に命を守ることはできないのである。その矛盾に全く、誰も気づいていない。
これで、この国は、最強の国と言えるのだろうか。他の国は、シャインソール王国を脅威に思って、常に、臨戦態勢にある。いつ攻めてこられてもいいように。それなのに、最強を自負するシャインソールの人間は、他国から攻められることなどありえないと高を括っている。そんな国が最強であるはずがない。
エミリオは、その耳で破滅の足音を聞いてしまった心境になった。そこへ、兵士から声を掛けられた。
「は、将軍。ご苦労様です。アルフレッド最長老様よりの御指示で、我ら六名、フランク王子の警護に当たらせていただきます」
エミリオは、呆れてしまった。この命令を出したのは、他でもない、父親であるアルフレッド・プラームなのだ。エミリオは、もう、何も言いたくなかった。まさか、自分の父までも平和に害されているとは思ってもみなかった。
「それでは、フランク王子。私は、これにて失礼いたします」
フランクは、そう言って立ち去ろうとしたエミリオを呼び止めて、室内に招き入れようとした。フランクは、エミリオの返答を待たず、六人の兵士たちに警護を命じた。
「それでは、兵士の皆、警護を頼むぞ。私は、エミリオ将軍と話があるのでな」
「は、分かりました。王子、将軍、ごゆるりと」
そこまで、言われては、エミリオは、立ち去ることはできなかった。エミリオは、警備の指揮権を預かる身である。本来は、ひとつのところに留まるべきではない。
それでも、エミリオは、幽霊など信じてはいなかった。きっと、誰か人間がやったことである。人間が相手なら、自分の剣の敵ではない。そう考えていたのである。そこに、油断が生じていることをエミリオは自覚していなかった。
これも、エミリオが他人に対して感じていた平和がもたらした弊害なのである。エミリオ自身も、その弊害に対して例外ではいられなかったのだ。
そして、時間にして、数分間であったが、指揮官無しの時間を作ってしまった。その時間を見透かしたように、城内に女性の笑い声が響き渡った。
「ホホホ・・・、何故、私は死ななければならなかったの。何故、頭を潰されなくてはならなかったの。どうして、誰も助けてくれないの。悔しい、口惜しい。皆、私と共に地獄に行きましょう。ホホホ・・・」
その声を聴き、エミリオは、フランク王子の自室を後にし、城内を走り回っていた。
「どこだ。どこにいる。出てこい。我が剣の前に出てくるがいい。この剣に掛けて、成敗してくれる」
しかし、エミリオの声も虚しく、女性の笑い声は、小さくなり、やがて聞こえなくなった。
「く、取り逃がしたか」
そこへ、エミリオの名を叫ぶ、別の声が背後から聞こえてきた。
「将軍、エミリオ将軍。大変です」
兵士の異常事態を知らせる声に、エミリオも気が焦り、先を急がせた。
「どうした、何事だ。ま、まさか、陛下の御身に何か起きたのか」
しかし、兵士は身を震わせながらも、それを否定した。代わりに、別の名前を挙げたのだ。
「いいえ、フ、フランク王子が、自室で殺害されました」
「な、フランク王子の自室の前には、六人の兵士が警護に当たっていたではないか。兵士たちは何をしていたのだ」
「そ、それが、兵士六人、全員、斬り殺されております。それに、フランク王子は、頭部を真っ二つにされて殺されておりました。ま、また、フォレスティン村の女性たちの怨霊の仕業に違いありません」
「馬鹿め、そのようなことを軽々しく口走るな。それよりも、至急、陛下並びにアルテア王妃の警護を固めろ。お二人の身だけは、絶対に守るのだ」
エミリオは、自分を悔いた。やはり、かえって人数の多さが裏目に出たに違いない。何としても、このシャインソール王国を守らなければならない。エミリオは、そう心に誓った。
次の日の早朝、エミリオは、玉座の間にいた。昨夜の失態を六世に報告するため、自ら訪れたのである。
「申し訳ありません、陛下。フランク王子のお命をお守りすることができませんでした。この上は、責任を取り、この場で、この命を陛下に捧げます」
そう言って、エミリオは立ち上がり、腰の剣に手を掛け、引き抜き、自らの首に押し当て、腰を落とした。その姿を見て、六世は左手で制止した。その六世の姿を見て、エミリオは剣を鞘に戻し、その場で跪いた。
「何も、エミリオ将軍自らが責任を取る必要はあるまい。将軍のような優秀な人物を失うことは、シャインソール王国にとっては、大きな痛手となる。何よりも、余が悲しい」
「し、しかし、それでは、兵士たちに示しがつきません。今回の件も、元はと言えば、兵士たちの気の緩みが招いたこと。何としても兵士たちの士気を上げる必要があります」
「あい分かった。将軍の言うことも尤もだ」
そう言うなり、六世は、玉座を立ち上がり、ゆっくりとエミリオに近づいた。そして、跪いているエミリオの右肩を軽く叩き、左腰にあるエミリオの剣を抜き去った。そのまま、六世は、エミリオの後方に跪いて控えていた兵士三人のうちの一人に斬りかかった。
斬りかかられた兵士は、下を向いていたために抵抗できずに首を斬り落とされ、絶命した。それを見て、残りの二人の兵士は、逃げようとしたが、六世の動きが早く、もう一人も背中から鎧の隙間に剣を突き刺され、大量の血を流して、もんどりうって倒れ、やがて息絶えた。
最後のひとりは、出口まで辿り着き、逃げようとしたが、その扉の重たさに、手間取っていたところを、六世が手にしていた剣を兵士の背中目がけて投げ放った。その剣が兵士の背中に突き刺さり、そのまま、扉に凭れ掛かるようにして息絶えた。
周りに控えていた大勢の貴族たちは、呆然と、その光景を眺めていた。その姿を見て、六世は笑顔を作り、エミリオに話し掛けた。
「これで、良かろう。どうだ、周りの貴族たちの顔を見てみろ。余と怨霊と、どちらが恐ろしい存在であるか、よーく、その胸に聞いてみるのだな。これで、兵士たちの士気も上がること間違いなしだ。後のことは、よろしく頼むぞ、エミリオ将軍」
六世の顔は、兵士の返り血で汚れていた。その顔で作られた笑みは、まさに悪魔の微笑であった。見る者全てに、恐怖を与え、逆らう力を奪っていったのだ。
もう誰も疑わなかった。六世は、この世の者ではない。そして、怨霊などと言うような存在の危ういものでもない。この世に実体を持って、君臨する悪魔なのである。そう、人の命を、その手で弄ぶ魔王なのである。
人の口に戸を立てることはできない。否、寧ろ、六世自らが、それを望んでいるかのように、その日のうちにシャインソール王国全土に、魔王誕生の噂は広がっていったのだ。こうして、六世は、王国を魔界へと変貌させていった。
その日の夜、フラニーを寝かしつけ、タイトが、留守にしている隙に、アスリーンは、実家であるカスバーンの屋敷を訪れていた。
「お父様、どうなのです。本当に、国王陛下は、巷で流布されている噂どおりの方なのですか」
アスリーンの剣幕に、たじろぎながらも、ジェラルドは、どうにか親の威厳を保とうとして怒鳴り返した。
「何だ、アスリーン。こんな夜遅くに、屋敷に来たかと思えば、何を言っておるのだ。お前は、タイトと結婚してからというもの、貴族としての誇りは何処にいってしまったのだ」
「お父様、その誇りとやらの所為で、自分の過ちを素直に認められないのが、貴族たちの駄目なところなのです。どうして、分からないのですか」
怯むことのないアスリーンの剣幕に、なおも押され、ジェラルドは、如何したらいいか分からず、兎に角、アスリーンに家へ帰るように言い放った。
「もう、夜も遅い。今日は、帰れ。フラニーも独りで心配ではないか。それに、タイトにも、いつ城から伝令がくるか分からないのだぞ。夫の管理も妻の大事な勤めだ」
「あら、いつもは、タイトを婿とは認めないお父様が珍しいことを仰るのね。やっと、タイトを私の夫と認めてくださるのかしら。それに、フラニーは大丈夫。確りと家には鍵を掛けているし、寝る前によく言って聞かせてありますから。あの子は、夫に似て確りしてますので」
ジェラルドは、そこまで、捲し立てられると、もう諦めて、自ら立ち上がり、寝室へ引き下がろうとした。しかし、その行為をアスリーンは許しはしなかった。
「お父様、どちらに行かれるのですか」
「決まっておろう、もう、夜も遅いので、寝室で寝るのだ」
「何を言っているのですか。巷の噂が、さも本当のように流れ続ければ、キャサリンたちを手に掛けたのも陛下であることを誰も疑いません。そうなれば、民衆たちは、黙っていませんよ。確かに、今までは、そんなことはないと言い訳ができましたが、噂に尾ひれがつき、大きくなると民衆全員を飲み込んでいくことになるんです。津波のように自分の力で逆らうことは、もうできないのですよ。民衆が立ち上がり、押し流されるままに身を任して、この王国は滅びることになります。そうなっても、お父様、貴方は、貴族の誇りなどと口にしているつもりですか。貴族と言う階級そのものがなくなるのに、何が貴族の誇りなのです」
「アスリーン、お前は、本当に、タイトと結婚して詭弁を唱えるようになりおって。お前のような小娘に何が分かるというのだ。このカスバーン家を守っていくということが如何いうことか分かっておるのか」
「分かりたくもありませんわ。確かに、先ほどの言葉もタイトが、私にしてくれた話を、そのまま、お父様に告げただけです。でも、私も、その通りだと思いました。だから、お父様にも分かって欲しくて話したのです。でも、もう、いいです。お父様と話しても埒があきません。だから、本人に聞いてまいります」
「ア、アスリーン、お、お前、今から、城に上がる気か」
「そうです。私は、今からソルビアス城を訪れて、直接、クライス・ド・ソール六世陛下にお伺いしてまいります」
アスリーンは、許せなかったのだ。愛する者の命を奪うことが。キャサリンを失ったダグの気持ちが痛いほど理解できた。昨日、集会場で話した内容が、自分の中で真実味を帯びてきたのだ。今の六世ならば、いつ、タイトの命を、フラニーの命を、そしてアスリーン自身の命を、その手で奪っても不思議ではなかった。
そんなことは、絶対に受け入れられない。何としても真相を確かめ、誰かが、六世の凶行を止めなくてはならないのだ。
アスリーンは、迷うことなく、カスバーンの屋敷を後にし、ソルビアス城へと向かった。その後を慌てて止めようとして追ってくる父の存在など全く視界に入れず、ソルビアス城へと急いだ。
ダグは、独り、暗い部屋の中にいた。昨日は、タイトに言われ、何も考えたくなくなり、集会場を後にしたが、気がついたらソルビアス城の近くにいた。
ソルビアス城の警備は、物々しく、とても近づける状態ではなかった。確かに皆の言うとおりであった。これでは、誰も城に近づくことはできない。
元々、何もする気はなかった。だが、気がつくとソルビアス城の近くに来てしまったのだ。帰ろう、兎に角、今は休むんだ。全ては、明日だ。
そんな状態で、今日を迎えたが、休養を取って考えてみれば、やはり、如何考えても城に侵入することは不可能であるという結論に行き着く。つまり、クライス・ド・ソール六世に復讐することはできないのだ。
無理を通せば、皆の言ったとおり無駄に命を落とすだけである。冷静に考えれば、考えるほど、途方に暮れるだけであった。そうダグが思考の袋小路に迷い込んでいたとき、ダグの家の扉が、何者かによって叩かれた。
ダグが、扉を開けると、そこには親友であるマイケルが立っていた。ダグが、家に招き入れるとマイケルはダグに話し掛けてきた。
「昨日は、すまなかった。余りの話の大きさに正直、怖かったんだ。だが、俺は、お前の親友だ。俺は、やっぱり、お前を信じるぜ。だから、二人で、ソルビアス城に乗り込んで六世に鉄槌をくらわそう。それが、お前が言うようにキャサリンたちの手向けになる」
ダグは、嬉しかった。キャサリンを失い、正直、自分には、もう頼れる者はいないと思っていた。だが、ダグは、まだ独りではなかった。ダグには、親友であるマイケルがいたのだ。ダグにとっては、もう、この世で唯ひとりの家族である。
「あ、ありがとう、マイケル。俺は、お前と親友で本当に良かった。だが、城の警備は、皆が言ったように厳重でとても近づけない状態だ。どうするんだ」
「なんだ、お前らしくもない。今でもキャサリンのことを愛しているんだろう。昨日も自分で言ったように、死んでもいいじゃないか。あの世でキャサリンに誇れる自分でいないで、如何するんだ。安心しな、俺も、あの世に付き合って、お前の凄さをキャサリンに伝えてやるよ」
ダグは、そう言われると、もう迷いはしなかった。本当に、親友というものはありがたかった。心からマイケルに感謝していた。
「本当にありがとう、マイケル。お前の言うとおりだ。俺は、もう迷わない。お前と共に、城に乗り込んで、あの六世に一矢報いてやる。頼むぜ、相棒」
「ああ、任せておけ、相棒」
二人は固い握手を交わし、一路、ソルビアス城へと走りだしたのだ。
こうして、運命の糸に手繰り寄せられるように、人々がソルビアス城へと導かれていった。怨霊や悪魔が蠢く魔城の主である魔王に手招きされては、その招待を断ることはできない。それが、自分の命を失うことになっても行かずにはいられないのである。魔王に魅せられた人々は、その運命も魔王に握られてしまったのだ。




