第三章 魔界に迷いし者たち 4
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ダグは、漸く、城に着いた。もう、夜も大分更けて、城の人間たちも寝静まった頃である。しかし、ダグには、そんなことは、関係なかった。城への橋は、既に上げられていたが、ダグは、大声で叫んで中の人間を叩き起そうとした。
そのときである、微かに声が聞こえた。それも女性の声である。気になったダグは、その声のする方向へ歩きだしていた。
やがて、城の裏の森の中に人影を見つけた。それは、女性であった。しかし、その佇まいは異様としか言いようがなかった。女性は、全身真っ赤であり、顔は、暗くて、ハッキリとは見えなかった。
「ダグ、会いたかったわ、キャサリンよ」
そう、その女性は名乗った。声は、掠れており、あの美しかった声の面影は感じられなかったが、目の前の女性は、確かにキャサリンと名乗ったのである。
「キャサリン、生きていたんだね、良かった。でも、どうしたんだい、その格好は」
「ダグ、私は、もう、この世の者ではないの。私は、あの狂った魔王、クライス・ド・ソール六世の手に掛かって死んだのよ。それも、頭を潰されてね。だから、貴方には、顔を見せることはできないの。そこから先に来ては駄目よ」
その言葉に、ダグは、ショックを隠せずにいた。
「キャサリン、君は、君は、死んでしまったのか。俺は、これから、如何すればいいんだ」
「ダグ、貴方は、私を愛してくれた。だから、私が、どれだけ悔しい思いで死んでいったか、分かって欲しい。これから先の貴方との明るい未来を閉ざされてしまったの。悔しくて、悔しくて、死んでも死にきれず、こうして貴方のもとを訪れたのよ」
「キャサリン、どうして、君が死ななくてはならなかったんだ。俺には、納得できないよ」
「これから、城の裏手の門から、一台の馬車が出るわ。その馬車に乗った貴族に聞いてみなさい。その貴族は、昨日の一部始終を、その眼で見ているから。そして、私の無念を晴らして、ダグ。六世を、あの魔王を、この世から消し去って」
そういって、キャサリンの霊は、森の奥の暗闇へと消えていった。
「待ってくれ、キャサリン、せめて、もう一度、君と会いたい。君は、何処にいるんだ」
「私は、この森の奥にある洞窟の中で皆と眠っているわ・・・」
そう、言葉だけを残して、キャサリンの霊は消えていった。その言葉を信じて、ダグは、森を奥へ、奥へと進んでいくと、直ぐに、一つの洞窟を発見した。
洞窟の中は、冷たく、湿気が多く、暗闇であった。それでも入口近くに差し込む月明かりで、ほんの少しだが、目を凝らせば、洞窟の奥を窺い知ることができた。すると、奥の方に、何かが山になって積まれているのが見て取れた。
ダグは、ゆっくりと近づくと、息を飲んだ。そこには、十二人の女性の遺体が積まれていたのだ。その遺体の損傷具合は、どれも悲惨な状態であった。おそらく、死体を焼いたりすると、煙が出て目立つので、この洞窟に隠して、時と共に風化するのを待つつもりであったのだろう。
普通の一般庶民は、自分の生活範囲にない城に近づくこともしない。おそらく、露見する確率は、かなり低いはずである。それでも、ゼロパーセントではない。このような惨事を露見させる可能性がある、こんな洞窟に放置しておくことが理解できなかった。
ダグだけでなく、誰も理解できるはずがない。六世の常軌を逸した行為が、既に、全員の理性の箍を吹き飛ばしたのである。理屈で動ける人間が、ソルビアス城内には、いない。兎に角、現実逃避したい。早く、日常の平和な生活を取り戻したい一心で動いているのだ。
ダグは、その遺体の山の中に、愛する女性を見つけた。顔は半分潰れ、あの愛くるしい顔を確認することはできないが、愛するキャサリンを見間違うはずがなかった。ダグは、そっと抱きあげ、洞窟を出た。
月明かりのもとに出ると、改めて、キャサリンに起きた出来事の異常さが見て取れた。
「こ、これが、あの美しかったキャサリンなのか。痛かっただろう。苦しかっただろう。俺は、何もしてやれなかった。君が、苦しんでいるときに。俺は・・・」
ダグは、強くキャサリンを抱きしめ、その場で大声をあげて叫んだ。すると、一台の馬車が止まり、不審そうな顔をした御者が降りてくるのが見て取れた。
ダグは、先ほどの出来事を思い出した。キャサリンの霊が、自分に言ったことをである。間もなく、ここを馬車に乗った貴族が通る。その男が一部始終を見ていたと、その男に聞けとキャサリンは言っていたのだ。
ダグは、キャサリンの遺体を木の根元に置き、ゆっくりと立ち上がり、自分自身も御者のもとへ近づいた。そして、御者が訊ねる暇を与えず、いきなり殴り倒したのだ。常に、鍛冶屋として大きなハンマーを振っているダグの拳は、それだけで凶器となった。殴られた御者は、その場で気を失った。
そして、歩みを止める事なく、ダグは馬車に近付き、扉を蹴破った。中にいた貴族は、驚いた顔をしていたが、そんなことは、構わずに、ダグは、胸倉を掴んで馬車から、その男を放り投げた。
「な、何だ、貴様は。私をシルバス卿と知っての狼藉か」
シルバスは、威厳を込めて言ったつもりであったようだが、当のダグには、全く通じなかった。ダグは、城に直談判するためにやってきたので、身を守る道具として、ひと振りの大きな鉈を腰に下げていた。
それを見たシルバスは、動揺して懐から短剣を取り出し、ダグ目がけて体当たりの要領で突っ込んできた。しかし、普段から鍛えていないシルバスは、毎日のように暑い鍛冶場で働いて鍛えているダグの敵ではなかった。身をかわして、逆に、腰にした鉈で斬りつけられた。
大きく背中を斬られたシルバスは、その場で倒れこんだ。そして、まだ、逃げようとするシルバスの姿を見て、ダグは、二度、三度と鉈を振り下ろした。
しかし、人を斬った経験のないことと、心の何処かで人を殺すことに抵抗のあったダグには、シルバスの命を完全に奪うことはできなかったのだ。何より、シルバスには、訊ねなくてはならないことがあった。やがて、最初の傷が深く、抵抗を諦めたシルバスは、命乞いをしてきた。
「ゆ、許してくれ。何が目的だ。金か、金ならば、今は、これだけしかない。足りなければ屋敷に戻って、もっとくれてやっても良い。だから、命だけは、命だけは助けてくれ」
そう懇願してくるシルバスの姿を見て、ダグは訊ねた。
「キャサリンも、お前たちに助けを求めなかったか」
シルバスは、最初のうちは、何のことだか、見当がつかなかったようだが、やがて、昨日の惨劇の犠牲者であることに思い至った。
「そ、そうか、あの女性たちの知り合いか。あ、あれは、国王陛下が、我々に相談なく、勝手にやったことだ・・・」
シルバスは、淡々と昨日の惨劇を話し出した。その状況を知れば知るほど、ダグにとっては、辛い限りであった。その場にいなかった自分を悔いた。
最後の状況まで、聞き終えたダグは、もう既に、シルバスを生かしておくことはできなかった。この男も六世と同じである。キャサリンの惨殺に手を貸したのである。苦しく泣き叫んで、助けを求めたキャサリンの手を振り払っていたのである。
そう思った瞬間、ダグの中で何かが切れた。
気が付いたときには、シルバスの首を切り落として握りしめていた。そして、ダグは、その首を城に向けてかざし、誓いを立てたのだ。
六世を自分手で裁くことを、そして、その場にいた全貴族を根絶やしにすることを強く心に誓った。
ダグは、キャサリンを連れて帰り、自分の家の裏に埋葬した。
「これで、もう、離れることはないよ。痛かっただろうね。必ず、俺が、仇を取るから。全てが終わったら、俺も君のもとへ行くよ。そして、今度こそ、結婚しような」
そう言って、ダグの両目からは、涙が止まることなく流れ続けた。これが、この世で流す最後の涙であると心に誓っていた。
ソルビアス城は、大騒ぎになっていた。場内における二つの遺体、そして、その報せに走ったシルバス卿の惨殺体、この夜だけで三体もの死体が発見されたのである。
貴族や兵士たちに与えた恐怖は、並々ならぬものであった。それも、その死体が通常の死体とは異なり、全てが頭部を潰されているのである。それも、シルバス卿の頭部は、切断されてもいた。その残虐極まりない殺され方に、皆が恐怖したのだ。
そして、その死体を見て、皆が口々にするのは、昨日の六世による惨劇の犠牲者が復讐のために帰ってきたという怨霊による復讐という話である。
至急、城に主だった貴族たちが集められた。そして、その貴族たちによって、休んでいた兵士たちも全員叩き起されることになった。
叩き起こされたのは貴族や兵士ばかりではなかった。最長老であるアルフレッド・プラームによって六世、アルテア、フランクも玉座の間に集められたのだ。
寝ていたところを無理やり起こされた六世の機嫌は、すこぶる悪かった。
「何事だ、アルフレッド。このような夜中に緊急事態とは」
「は、申し訳ございません、陛下。何分、緊急事態だったゆえ」
「全くですわ。陛下は、ともかく、私には、この国の出来事など関係ありません。私は、直ぐにベッドに戻って眠らさせていただきます」
「お、お待ちください、王妃様。これは、皆様のお命にも関わる出来事なのです」
フランクが、不安そうに訊ねた。
「私たちの命に関わることとは、いったい何事です」
そう言っているフランクの声は、震えていた。
「実は、今夜、殺人事件が起きました」
「さ、殺人・・・」
フランクの表情は、固まってしまった。
「そうなのです。それも三件もです。犠牲者は、全て貴族です。その貴族たちは、昨日、陛下の・・・」
そこで、言い淀んでいるアルフレッドを見かねて、六世が喋り出した。
「そうか、三人とも余の試し斬りの現場にいた者たちなのだな」
「そ、その通りでございます。そして、その者たちの遺体は全て、頭部が潰されていたのでございます。その・・・」
また、アルフレッドは、言い辛そうに黙ってしまった。それを平気な顔で六世が引き継いだ。
「ほお、つまり、余が最初に試し斬りをした女と同じように、頭部が潰れておったのか。それは、また、興味深いな」
「そ、それじゃ、その三人を殺したのは、陛下に惨殺された女の幽霊ということなのですか。悔しくて地獄から蘇り、自分と同じ苦しみを与えたと・・・。ひぃー、何て恐ろしいことでしょうか」
アルテアは、アルフレッドと違い六世のことを気遣ったりしなかった。それでも、その表情は恐怖に曇っていた。
「何を心配しておる。ここは、最強の王国シャインソールの象徴たるソルビアス城なのだぞ。誰が来ようと叩き潰すだけだ」
「しかし、陛下。三人のうちの二人が、このソルビアス城内で殺されたのです。油断は禁物です。今後は、城の警備を増やし、陛下と王妃様、そしてフランク様をお守り致します。そして、我が息子エミリオに陣頭指揮を取らせますので御安心を」
「大げさではないか、アルフレッド。余は、夜は静かに過ごしたい。そんな物々しい警護はいらんぞ」
「そうですわね。相手が幽霊ならば、どんな警備も無駄ですわ」
「いいえ、陛下、王妃様、私は剣聖と言われるエミリオ将軍が、この城の警護に当たってくれるならば安心です。是非、そうしていただいた方が宜しいかと思いますが」
フランクは、その臆病な性格から、六世とアルテアの意見に反論した。相手が、アルテアの言うように、本当の幽霊ならば無駄であろうが、相手が人間であれば、この地上で最強の剣聖エミリオ将軍に勝てるものなどいるはずがない。これほどの安心感を得られることは、他では考えられないのである。
「フランク、お前は、相変わらずだな。そのような臆病なことで、これから余の弟として生きていくことができるのか。まあ、よい。フランクの言うように、剣聖と呼ばれるエミリオ将軍が、この城を守ってくれれば、余もぐっすりと就寝できよう。後のことは、アルフレッドに任したぞ」
そう言うと、六世は、サッサと玉座を後にして、私室へと戻っていった。その姿を見届けたアルテアは、当たり前のように自分も六世とは、別の寝室へと戻っていった。
しかし、フランクは、まだ、その場を離れられずにいた。
「アルフレッド、どうか、私の部屋の前の警護を増やしてはもらえないだろうか。特に、エミリオ将軍に、お願いして欲しいのだが」
アルフレッドは、一時期は、ルーファスよりも、このフランクが次期国王に向いていると思っていたが、今は、すっかりと、その考えも消えていた。この男の臆病ぶりでは、とても国ひとつを背負って立つことなどできないことは、誰の目にも明らかである。
今まで、皆が、フランクに期待していたのは、全て、ルーファスに対しての反発から来るものであった。最も、アルフレッドたち貴族にとっては、国王は形だけの存在であってもらわなくては困るのである。そのためのフランクへの期待感でもあった。
ところが、ルーファスが国王になってから、王国の在り方が変わってしまったのである。六世となったルーファスは、決め事の際に、自分たち貴族に何ひとつ相談がないのだ。今までも、国王の尻拭いをしてきたのは、自分たち貴族なのだ。その思いが、精神的に国王より優位に立ち、三世以降、失われつつあった貴族の権勢を保つことに繋がったのである。
兎に角、現在の国王である六世は、全く理解できず、形だけの存在として祭り上げるにはリスクが大き過ぎた。そこで、今後のことを考え、アルフレッドは、フランクの申し出を快く引き受けた。
「分かりました、フランク王子。ご安心くだされ。エミリオには、確りと申しつけておきます」
「ありがとう、アルフレッド。それでは、私も私室に戻るとしよう。警護のほう、よろしく頼みます」
その夜から、ソルビアス城は、眠らない城と化したのだ。決して眠ることを許されないのである。眠ったら最後、目覚めることはできない。そんな恐怖心が城の中には充満していた。




