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第三章  魔界に迷いし者たち 2


 既に、日が落ちていた。フォレスティン村は、一軒、一軒の家の距離があるため、日が落ちれば、暗闇が押し寄せてくる。

 そして、村と王都サンディアスを繋ぐ道は、森の中にある。その森に鬱蒼(うっそう)と生い茂っている木々によって、闇夜を照らすはずの天空に輝く月明かりが遮られる。そのため、その道は、日が落ちると完全なる暗闇(くらやみ)となる。故に、その森はフォレスティン村の住民からは、暗黒の森と呼ばれていた。

 その暗黒の森を、列を成して歩いている人影があった。全部で十二人の女性の列である。その中には、キャサリンの姿もあった。キャサリンたちは、今夜、ソルビアス城で開かれる舞踏会に参加するために、この闇の道を城に向かって歩いている。

 先頭に立って歩いているキャサリンの手には、ランプが握られていた。ランプの灯は、この闇を照らすには、非常に心許(こころもと)ないものだが、この闇に唯一、光をもたらすものでもある。

 キャサリンは、注意しながら、先を急いでいた。この闇夜を照らすのは、たったひとつのランプだけなのである。それも、自分ひとりで闇を彷徨(さまよ)っている訳ではないのだ。自分の後ろには、十一人もの人間が、ついてきているのである。自然と後ろを気にするために、その歩みは遅くなる。

 そのため、既に、予定時間を大分過ぎているのだ。このままでは、間に合わない、その考えが、先ほどから、キャサリンの歩みを加速させているのである。

「キャサリン、もう少し、ゆっくり行って。こっちは、足元が、殆ど見えないのよ。(つまづ)いて怪我するわ」

「御免ね。でも、予定より、大分時間が掛っているの。このままじゃ、舞踏会が始まってしまうわ。折角、得たチャンスを放棄したくないでしょ。もう、ミランダの自慢話を聞かされて、悔しい思いをしなくてすむのよ」

 そう言われ、十一人の女性たちは、皆、その足取りが軽くなった。

「そうね、もう、あんな思いをするのは、耐えられないわ。キャサリン、貴女を信じて歩いていくわ。頼むわよ、舵取りは」

「ええ、任せて。こんなところで座礁して遭難するなんて冗談じゃないわ。私たちは、必ず、ソルビアンス城に辿り着いて、舞踏会に参加するのよ」

 暗闇のため、確認したわけではないが、十一人の意思は、間違いなく、キャサリンと同じものである。

 それでも、闇は、人の心に不安をもたらす。キャサリンは、とても自分ひとりでは、この恐怖を乗り切ることはできないと思った。自分の後ろにいる十一人の存在が、背中を押してくれているのである。

 そして、何よりもキャサリンが歩みを止めずいられたのは、ダグの存在が大きかった。

「ダグ、私のことを守ってね」

 そう、心の中で願うことができる人間が、キャサリンにはいるのだ。人は、心で恐怖を感じる。その恐怖を乗り越えるために必要なことは、身体的な助けではなく、心が折れないように支えてくれる力が必要なのだ。それが、今のキャサリンにはいる。ダグという最愛の男性である。

 そういう意味でキャサリンは、この十二人の中で、最も、心の強い人間と言える。キャサリンにとってのダグのような存在に、キャサリン自身がならなくてはならない。そうでなくては、キャサリンの後ろにいる十一人の心が折れ、その歩みを止めなくてはならなくなる。だから、キャサリンは、自分の心の中をダグで埋め尽くすことにした。キャサリンの心にダグがいる限り、キャサリンの歩みは止まることはないのだ。

 そして、十二人の女性は、ついに、暗黒の森を抜けた。夜空には、丸い月が、その姿を現した。その月明かりは、十二人の心に明かりを灯したのだ。

暗黒の森は、距離にして一キロ程度である。昼間なら二十分程度で抜けられる。しかし、今夜は小一時間も掛ってしまった。ここからが勝負である。急がなくてはならない。

「さあ、暗黒の森を抜けたわ。ソルビアス城のある王都サンディアスまでは、もう直ぐよ」

 キャサリンは、後ろを振り向き、十一人に向かって叫んだ。その声に、十一人も笑顔で答えた。

 キャサリンは、また、正面に向き直り、右手を挙げて、前方を指さした。その指の先には、月明かりよりも遥かに明るい光が見て取れた。その明かりは、自然の明かりではない。天をも照らす、その灯りは、王都サンディアスの町明かりに他ならなかった。

「目指すは、あの光、私たちを照らしてくれる光よ」

 キャサリンは、そう言うと、先ほどよりも更に、その歩みを速めた。自分の焦る心を紛らわすように、どんどん速度を増していった。


 その門は、キャサリンの三倍以上もの高さがあった。その威容(いよう)(ほこ)った門は、キャサリンたち十二人を拒むかのように、存在していた。

 キャサリンたちが門を見上げていると、門番として職務に就いていた兵士が、声を掛けてきた。

「お前たちは、フォレスティン村から、舞踏会に参加するためにきた女たちか?」

 キャサリンたちは、門に気を取られているために、門番の存在に全く気付いていなかった。そのため、声を掛けられた瞬間、心臓を鷲掴みにされたようで非常に驚いた。

 門番を視界に捉えたキャサリンが、(ようや)く状況を理解して答えた。

「は、はい。私たちは、今宵、お城で開かれる舞踏会に招待されたフォレスティン村の者です」

「よし、ついてこい。陛下も、先ほどからお待ちかねだ」

 キャサリンは、その抑揚のない声に、不安を覚えた。何か、あったのだろうか。

 王都サンディアスの町中と違い、ソルビアス城内は薄暗かった。石畳の廊下には、蝋燭(ろうそく)の灯りが、心許なく揺らいでいた。敵の侵入を防ぐためか、明り取りの大きな窓などはなく、敵を攻撃するための僅かな穴が点々と存在するだけである。

 そして、通された部屋には、扉が入ってきた入口しかなく、窓は全く存在しなかった。部屋の中にある蝋燭の数は、僅かであり、十二人がいる、この広い部屋の明かりとしては、とても十分とはいえなかった。

 そして、唯一の出入り口である扉の物見窓には鉄格子が嵌められていた。その扉の存在が、この部屋に牢屋というイメージを与えたのである。

「ここで、待て。今、陛下にお知らせしてくる」

 兵士が、部屋を出て、ゆっくりと扉を閉めた。十二人の女性たちは、牢屋に閉じ込められた囚人の気分であった。それも、死刑宣告され、死刑を待つ囚人である。このまま、黙って自分の刑の執行を待っているような気分になった。

 長い、長い時間が過ぎたように思えた。ゆっくりと牢の扉が開き、死刑執行人が現れたように感じられた。しかし、扉を開けて入り口に立っているのは、先ほど、国王のもとへ知らせに向かった兵士であった。

「よし、先ず、陛下が、ひとりひとりと会い、直接、お声を掛けてくださる。無礼のないように。それでは、お前から参れ」

 そう言って、兵士が指さした先にいるのは、キャサリンであった。キャサリンは何故か、体が震えた。きっと、陛下に会う緊張と、これから始まる舞踏会への期待で武者震いをしているだけであると自分に言い聞かせた。

「は、はい。直ちに参ります」

 その発言とは裏腹に、キャサリンの足取りは重かった。何故か、直ぐにでも、この城を立ち去りたい。そして、ダグのもとに帰りたい。そんな気持ちが、自分の中で膨らんでいくことを、キャサリンは自覚していた。何か言いしれようのない恐怖が、キャサリンの肌を刺すようであり、思わず叫び声をあげそうになる。

 キャサリン以外の十一人も無言ではあるが、全員、不安の色を隠しきれないでいた。だが、誰も、その不安を口にすることはなかった。長く続いた平和が、シャインソールにいる国民たちの危機意識を鈍らせているのである。どうせ、何も起こるはずがない。最終的には、そう結論づけてしまうのだ。今まで何も起こらず、平和に過ごせてきた事実が、これから先も何も起きないという結論に結びつけてしまうのである。

 キャサリンは、牢屋のような部屋の入口の前で、一旦立ち止まったが、兵士から、先を急ぐように(うなが)されると、意を決して、その部屋を出た。そして、また、永遠と続くような暗い石畳の廊下を黙々と歩いていく。自分の足音が、キャサリンの鼓膜を痛いほど震わせた。キャサリンは、心の中で、ダグの名を唱え続けた。

 どれぐらい歩いたのだろうか、キャサリンには、何十年も歩き続けたように感じられたが、大きな門の前で立ち止まっていた。その部屋の入口は、扉ではなく、まさに門と呼ぶに相応しい威容を誇っている。

 キャサリンは、この門を抜けて、城の外に放り出されるのではないかと思った。その門が、ゆっくりと開くと、キャサリンは、恐怖心から眼を閉じてしまった。しかし、キャサリンの(まぶた)を閉じた瞳にも明かりが感じられ、思わず目を開けてしまった。

 キャサリンは、瞳に飛び込んできた光景に固唾(かたず)()んだ。部屋の中にいるはずなのに、朝のような明るさ、そして、そこにいる人たちの(たたず)まいが、この世のものとは思えなかった。

 キャサリンは、見たこともない服装や装飾品の数々に目を見張るばかりであった。ここは、天国に違いない。自分は、天国に迷い込んでしまったんだ。そうに、違いない。こんな世界が、この世に存在するはずがない。

 (しばら)く、呆気(あっけ)にとらわれていたキャサリンは、正面の一段高い位置に坐している男の姿に気がついた。その男の姿は、先ほどまで見惚れていた人たちよりも、更に、(きら)びやかに光輝いていた。そして何よりも、他の人たちとは、気質が違っていた。

 その男が、ゆっくりと立ち上がり、キャサリンを確認すると、話し掛けてきた。

「よく来たな。余が、クライス・ド・ソール六世である。今宵は、楽しむが良い。その前に、お前たちの顔も覚えたいので、もっと、こちらに来てくれぬか」

「はい、今宵は、お招きくださり、誠にありがとうございます。このような席に相応しい(しつけ)をされてきませんでしたので、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、何卒(なにとぞ)、お許しくださいますよう、お願い致します」

 そう言って、キャサリンは、頭を下げると、六世の言いつけどおりにゆっくりと近づいていった。キャサリンには、既に、先ほどまでの不安など微塵(みじん)もなかった。ただ、この後、繰り広げられるであろう、煌びやかな舞踏会に思いを()せるだけであった。

 六世の前で、キャサリンは、その歩みを止め、膝をつき頭を下げた。

「フォレスティン村のキャサリンです。どうぞ、お見知りおきくださいませ」

 キャサリンは、六世から声が掛るのを頭を下げた状態のまま、待ち続けた。その顔は、笑みを浮かべ、これから始まる舞踏会と、ダグとの結婚生活を考え、心の中は幸せで一杯であった。

 六世は、玉座からゆっくりと降りてきた。頭を下げたままの状態であるキャサリンであるが、六世の動きが感じ取れた。キャサリンは、いよいよ声が掛けられると興奮していた。ついに、その時が来たのだ。

 しかし、六世は、下を向いているキャサリンに声を掛ける気はなかったのだ。何故なら、六世の目的は、舞踏会を開催することではなく、腰につけた宝剣の破壊力の確認なのだ。

 そのようなことを知る由もないキャサリンは、目の前に六世の爪先が見えても全く微動だにせず、下を向いたままでいた。

 六世は、汚いものでも見るように、侮蔑の視線をキャサリンに浴びせ、腰にした剣に手を掛けて引き抜いた。そして、躊躇(ためら)うことなく、キャサリン目がけて宝剣を振り下ろした。しかし、宝剣の重みで、頭から狙いがずれ、キャサリンの左の肩口から袈裟斬(けさぎ)りに斬りつけていた。

「ギャーアアアアアッ」

 玉座の間に、キャサリンの悲鳴が響き渡った。キャサリンは、余りの痛みに、それ以上、言葉にならなかった。キャサリンは、自分の身に何が起きているのか、理解できなかった。

 この玉座の間に、足を踏み入れたとき、天国に迷い込んだと思ったのが間違いであることに気がついた。自分が迷い込んだのは、天国ではなく、地獄なのだ。そう思い、辺りを、もう一度、見てみると、この玉座の間にいる人々は、誰も動いておらず、石像のように思えた。

 どの石像も、表情は恐怖で引きつっており、キャサリンのことを(にら)みつけていた。しかし、それだけのことである。どのような表情であろうと、石像が動くことはなかった。

 キャサリンは、肩の痛みで立ち上がることもできずにいた。それでも、()うように、少しずつ、後ろに下がって行った。

 その様子を(しばら)く、見ていた六世は、獲物を追い詰めるべく、ゆっくりと歩き出した。そして、自分の剣の腕の無さに怒りを覚え、自然と形相がきつくなっていた。

 その六世の顔を見たキャサリンの恐怖は、ピークに達して、心の中で何かが音を立てて崩れていった。

「ま、魔王が、魔王が・・・」

 キャサリンは、譫言(うわごと)のように繰り返していた。


 キャサリンの命の灯が消えると、返り血で真赤に染まった六世は、鬼の形相で「次の者を連れてまいれ」と命令した。しかし、その凄惨(せいさん)な現場から動けるものは、誰もいなかった。そこで、六世は、玉座の(かたわら)に控えている兵士から、新しい剣をもぎ取るように手にすると、自ら、残りの獲物を狩りに行動を起こした。

 残りの十一人が待っている部屋の前まで来ると、その唯一の入口である鉄格子の(はま)った扉を蹴破った。

 物凄い残響が辺りに響いた。そして、六世は、血に染まった自らの姿を中の女性たちに(さら)した。その姿を見た者は、皆、恐怖に身を(すく)め、一歩たりとも、その場を動くことができなかった。

 六世は、そんな女性たちを躊躇うことなく、一人、また一人と確実に、その命を絶っていった。そして、残り、三人になった時点で、手にした剣を勢い余って床に叩きつけ、その剣先を折ってしまった。

 それを見るや、残された三人の女性たちは、唯一の入口に向かって走り出していた。

「誰か、入り口を(ふさ)げ、絶対に逃がすな。もし、逃がしたら、全員、余自ら、成敗してくれる」

 そう、六世の怒号(どごう)が響き渡ると、その部屋の入口を(ふさ)ぐように、二人の兵士が立ちはだかった。それを見て、女性たちは、その兵士たちに(すが)りついた。

「ど、どうか、助けてください。こ、殺されます。どうか、お助けを・・・」

 入り口を塞いている兵士は、助けを求めてきた女性たちから目を(そむ)け、助けるどころか、地獄と化した部屋の中へ押し戻した。

「フフフ・・・、どうだ、これが余の力だ。余の力は絶大なのだ。決して、生きて、この城を出られると思うなよ」

 そう言うと、六世は、入り口で石像のように控えている兵士のひとりから、剣を奪い取ると、残りの獲物を仕留(しと)めに掛った。

 女性たちは、自分たちが何故、こんな目に合わなくてはならないのか、全く理解できなかった。そう、誰ひとり、自分たちに起こった出来事を説明できるものはいなかったのである。

 そんな恐ろしいことはなかった。理由もなく、いきなり、剣で斬りつけられるのである。平和に暮らしてきた日常が、音を立てて崩れ去っていく。自分たちに、今できることは、悲鳴を上げることだけなのだ。だから、三人は、力一杯叫んだ。

 その悲鳴を間近で聞いていても、兵士たちは、動くことはできなかった。完全に、恐怖と言う感情に身体を押さえつけられているのである。

 六世は、最後のひとりを、剣で串刺しにすると、剣を抜くのも面倒臭いというように、そのまま剣を手放し、その部屋の扉へと向かって歩き出した。その赤く染まった顔からは、あらゆる感情が消え去ったように無表情になっていた。

 未だに動くことが出来ない兵士たちが六世の進路を塞いでいた。

「邪魔だ、退()け」

 凄むでもなく、通常のトーンで言い放った言葉であったが、兵士たちは、弾かれるように六世のために道を作った。そして、六世は、十二人の女性たちの血で真っ赤に染まった自分自身の姿を一瞥(いちべつ)すると、再び感情が爆発したように大声で笑いながら、廊下の闇に消えていった。

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