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第三章  魔界に迷いし者たち 1

第三章  魔界に迷いし者たち




 澄み渡った青空、牧歌的な風景、フォレスティン村は、昨日と何ひとつ変わってはいなかった。庶民にとって、国王が変わることなど、これで六回目である。その度にいちいち驚いてなどいられないのだ。

 自分たちの生活は、国王が変わろうが、変わるまいが続いていくのである。その事実が、国民たちを突き動かす原動力なのだ。

 正直、国王など、雲の上の存在でしかなく、直接、眼で見ることのできない存在なのだ。つまり、雲に包まれた存在である以上、国王の生活など確認しようがない。よって、自分たちで理解できないことを悩んでもしょうがないのである。

 自分たちに関係なく、新しい国王が即位して、自分たちの意思に関係なく、治世が行われるだけのことなのだ。今までも、そうであった。そして、これからも、そうであるに違いない。

 それで、この国は、今まで平和に過ごせてきたのである。当然、国民たちは、これからも変わることなく、今までどおりの生活ができることを信じて疑わなかった。

 ところが、いつもとは異なり、午後になって兵士たちがやってきて、フォレスティン村の中央広場に立札を立てていった。

今宵(こよい)、クライス・ド・ソール六世陛下が、この村の女性たちを集めて、王妃となったアルテア様主催の舞踏会を開く。よって、未婚の女性は、全員参加すること。なお、ドレスや装飾品は貸し出すので、用意する必要はない」

 立札には、そのように書かれてあった。この立札を見た村の女性たちは大喜びである。いつもミランダから聞かされたお城での華やかな舞踏会に自分たちも参加できるのである。嬉しくないはずがない。

 当然、その中には、キャサリンの姿もあった。「ねえ、ダグ、私も、まだ、婚約しただけだから未婚よね。私、今夜の舞踏会に参加するわ。ミランダからいつも聞かされて、やっぱり、悔しかったのよ。だけど、ついに、私も夢に見たお城の舞踏会に参加できるのね」

 ダグは、思った以上にはしゃいでいるキャサリンを見て、心配になってきた。

「おいおい、キャサリン。君は、まだ独身とは言え、もう、旦那様は決まっているんだぞ。余り羽目を外して、間違いを起こさないでくれよ」

「え、ダグは、私のことを疑っているの。私が、ダグ以外の男の人と、そんなふしだらな関係になると、そう言うのね。そう、信頼関係がないようじゃ終わりね。結婚前で良かったわ。別れましょう、ダグ」

 ダグは、キャサリンに、そう言われて、慌てて否定した。

「そ、そんなこと、ある訳ないじゃないか。俺が、君を信頼していないって。俺が、信頼していないのは、世の男どもの方だよ。気をつけてくれよ、本当に」

 そうダグに言われて、機嫌を直したキャサリンは、ダグに顔を近づけて耳元で囁いた。ダグは、キャサリの吐息が耳に掛ると、くすぐったく感じ、肩をすくめた。

「馬鹿ね。大丈夫よ。私には、ダグしかいないわ。例え、どんなに容姿の良い男が、向こうから寄ってきても、私の心の中には、貴方がいる。だから、もう誰も、私の心の中には入ることはできないわ」

「ああ、ありがとう。それを聞いて安心したよ。楽しんでおいで、キャサリン」

「ええ、御免ね。今晩、あなたの家で食事する約束だったのに。私の我が儘で」

「何言っているんだ。食事は、これから先、ずっと一緒にできるじゃないか。お城の舞踏会に呼ばれるのなんて、次は、いつになるか分からないぜ。心おきなく、楽しんでおいで。俺は、君が喜ぶ姿を見るのが、何よりも嬉しいんだ」

「本当にありがとう」

 そう言って、キャサリンは、ダグの頬に、そっと唇を添えた。ダグは、くすぐったいような、残念なような、そんな複雑な気分になった。

 ダグは、改めて、自覚した。自分は、本当にキャサリンが好きなのだと。愛して()まない存在なのだ。キャサリンのことを絶対に放しはしない。これから先、永遠に。

「それじゃ、皆と今夜の打ち合わせをして、一緒に行ってくるわ。寂しいだろうけど、浮気しちゃだめよ」

「ば、馬鹿言うな。お前こそ、俺を、もっと信用しろよ。俺が、キャサリン以外の女性に好意を抱くことなど、今後一切ありえないね」

 キャサリンは、笑顔になり、嬉しそうに答えた。

「冗談よ。ダグは、何でも真剣に受け止めて、必死に答えるから、からかわれやすいのよ。でも、そこが、本当に可愛いのよね」

 今度は、ダグの唇に、自分の唇を重ねた。(しばら)く、そうしていると、やがてキャサリンの方から、ゆっくりと唇を離してきた。

「愛しているわ、ダグ。じゃ、行ってくるわね」

 そう言うと、今度こそ、周囲の雑踏(ざっとう)の中に、キャサリンは姿を消していった。

「愛しているよ、キャサリン」

 まさか、これが最後の別れになるとは、ダグには知る由もなかった。魔王の魔の手は、キャサリンへと伸びてきていた。


 その数時間前に、ソルビアス城にアルテアが懇意(こんい)にしている王都サンディアスの宝石商が、六世に面会を申し出てきた。

 六世は、何事かと(いぶか)しんだ。何せ、相手が、あのアルテアが懇意にしている宝石商なのだ。それに、いつも連れている侍女のミランダという女を伴わず、ひとりでの登城なのだ。何か、あると思ってもしかたのないことである。

「分かった、ここに、その者を通せ」

 六世は、結局、その宝石商と会うことにした。アルテアのことも(くぎ)を刺しておく必要があるからである。これ以上の歳費(さいひ)無駄遣(むだづ)いは、王国の運営に支障をきたす。それは、何としても防がなくてはならない。

 自分の代で、このシャインソール王国を終焉させる訳にはいかないのだ。終焉王のレッテルを貼られることは、六世には耐えられない屈辱であった。

 やがて、宝石を体中に散りばめた派手な服装で、その宝石商は六世の前に現れた。アルテアもアルテアだが、この男も如何(どう)かしている。宝石など、体中に散りばめて、重たくないのだろうか。それよりも誰かに襲われるかもしれないと考えたことはないのか。その時に、そんな重たい服を着ていて、咄嗟(とっさ)に反応できるとは思えなかった。

 やはり、馬鹿であるという結論に行き着く。しかし、良く考えれば、最近は、この宝石商のような馬鹿者が、このシャインソール王国には、増えてきている。これも、平和が長く続いた弊害(へいがい)なのだ。

 この平和が、これからも永遠に続くと、この馬鹿者どもは思っているのだ。何故、そう思えるのだ。今日と同じ明日が、何故、確実に来ると思っているのだ。

 そんな思いに(ふけ)っていた六世を、目の前の男が、現実に引き戻した。

「陛下、新国王になられ、誠におめでとうございます」

 そう言って、宝石商の男は、六世に向かって下卑(げび)た笑みを向けた。六世は、気分が悪くなることを自覚しながら、横柄(おうへい)に答えた。

「そんな、世辞はよい。今日は、いったい何用だ。アルテアなら私室にいるぞ。ただし、今後は、余の許可なく、このソルビアス城での宝石の販売を禁ず。よいな、分かったか」

 六世に(にら)みつけられ、宝石商の男は、震えあがった。

「も、勿論(もちろん)でございます。国王陛下の許可なく、このソルビアス城で商売をすることなどありえません」

 そう言って、その男は頭を下げ、チラッと上目づかいに六世の顔色を(うかが)(のぞ)き見た六世の顔は、能面のように表情がなくなり、表情がないため、かえって不気味ではあったが、男も商売人である、その根性たるや並大抵ではなかった。

「実は、今日、お伺い致したのは、他でもありません。これを陛下に見ていただきたく・・・」

 宝石商は、右脇に抱えていた(きり)の木箱を目の前に差し出した。その木箱は、長さ一メートル以上あり、大変大きなものであった。

「何じゃ、それは」

 そう言われ、宝石商は、そっと、木箱の蓋を開け、中から一振りの剣を取り出した。その柄には、ダイヤが散りばめられ、立派な細工が施されていた。

 そして、何よりも、その鞘が素晴らしかった。鞘には、ダイヤはもちろん、パールやエメラルド、サファイア、あらゆる宝石が散りばめられており、鞘自体も純金で出来ていた。その輝きたるや、目も眩むほどであった。

 六世の(かたわら)に控えていたアルフレッドは、思わず感嘆の声を上げた。

「こ、これは、何と素晴らしいものじゃ。儂も七十年以上生きてきたが、このように素晴らしい宝剣は見たことがない」

 アルフレッドの口ぶりから、その興奮が感じ取れた。

「如何でございましょう。このような逸品は、陛下のような高貴なお方が持ってこそ、その輝きが活きるのです。どうか、そのお腰に、下げてくださいまし」

「ほう、聞きしに勝る商売上手だな。余にしか、似合わぬか」

「はい。この世で、この宝剣に負けぬ気品を備えているのは、クライス・ド・ソール六世陛下をおいて他にはございません」

「フン」

 六世は、鼻で笑った。明らかな世辞である。それでも六世は、その宝剣を買うことにした。

「あい分かった。余が買うてやろう」

 その言葉を聞いて、宝石商の男は、持っていた宝剣を落とさんばかりの喜びようであったが、すぐさま男は気持ちを切り替え、商人として話を続けた。

「ありがとうございます。きっと、陛下もお気にいることでしょう。私も早く、この宝剣を腰に差した陛下のお姿を見てみたいものです」

 そうして、作り笑いをして、宝剣を一旦、桐の箱に戻そうとした宝石商を、六世は止めた。

「あいや、待て。お前は、宝剣を売りに来たのだろう。宝剣と言えども剣に変わりはない。剣にとって一番重要なことはなんだ」

 そう、六世に問われ、宝石商は、「何を言っているんだ、この馬鹿王は」と心の中で唱えながら、答えた。

「そうですね、剣にとって一番重要なことは、やはり、切れ味でしょうか」

 その答えを聞いて、六世は、笑い出した。

「フハハハ・・・、やはり、お前は商人だな。剣の本質を全く理解していない。ただ、切れ味が良いだけで良いのなら、料理に使うナイフと変わらん。剣の本質はな・・・、人を斬ることだ。人を斬ることができず、何が宝剣だ。ただ飾って見ているだけなら、ダイヤのネックレスと何ら変わらん」

 クライス・ド・ソール六世は感情の籠らない声で、先を続けた。

「余が欲しいのは剣である。その剣が、本当にお前の言うように素晴らしいものであるならば、それを余に見せてみろ」

 そう言って、六世は、先ほどまで、嫌味な笑顔でいた宝石商を睨みつけた。宝石商は、今度こそ、その手から宝剣を床に落としてしまった。その残響が、辺りに響いたが、誰ひとり、声を上げることができないでいた。

「どうした、お前の持参した大事な商売品が落ちたぞ」

 六世に声を掛けられ、やっと我に返った宝石商は、先ほどまでとは打って変って、口が上手く回らなくなっていた。

「へ、陛下・・・、わ、私めに・・・、ど、どうしろとおしゃったのですか」

「聞こえなかったのか。剣の本質である人を斬るところを、この場で見せろと言ったのだよ。どうだ、今度は聞こえたか」

 この男は狂っている、そう、宝石商は思った。(いや)、宝石商だけではない。この玉座の間にいる全員が、そう思っていたが、誰も、それを口にすることはできなかった。

「どうした、誰か見繕(みつくろ)って、早う、連れてこい。そして、余に見せてくれ。その宝剣の素晴らしさを」

 宝石商は、体の震えが止まらなかった。もう、この玉座の間にいる全ての者に、その震えで身につけた宝石が、ぶつかり合って鳴る音を聞かれているに違いなかった。だが、宝石商の男には、そのような些細(ささい)なことなど、全く頭の中にはなかった。

 目の前の男のことで頭の中は一杯になっていたのだ。この男のもとから逃げなくては、そうしなければ、自分が死ぬことになる。この男は、狂っているのだ。

 そう思えば思うほど、宝石商の体は、その場から動くことができなかった。まるで、金縛りにあったようである。

 業を煮やしたのか、目の前の男、六世が、玉座から立ち上がり、自分のもとに近づいてきた。宝石商の心臓は、早鐘のように鳴り響いていた。

「どうした、何故、震えているのだ」

 六世は、そう言って、宝石商の目の前に片膝をついた。そして、目の前に落ちている宝剣を拾い上げると、鞘から刀身を抜き去った。

「ほう、中々、良いものであるようだな」

「そ、そ、そうで、ご、ございま、しょ、しょう」

 宝石商は、言葉にならない声を上げていた。

「何を言っておるのだ。確りと(しゃべ)らないか。余には、お前の言葉が理解できん。それよりも、試し斬りのできる適当な人間はいないのか」

 六世は、暫く、考えていると、何かを思い出したように、宝石商に(たず)ねた。

「お前のところに、アルテアのもとに頻繁(ひんぱん)にやってくる女性がいたではないか。あの者は、どうしたのだ」

 宝石商は、直ぐに、ミランダのことを言われているのが分かった。しかし、そのミランダは、数日前から出勤してきていないのだ。

「そ、それが、ミ、ミランダは、数日前から、出勤してきていないのです。無断欠勤を続けているので、辞めさせよう・・・」

 宝石商が言い終わらないうちに、体の震えが、より大きくなった。そう思った瞬間、宝石商の背中から、何かが突き出てきた。それは、真っ赤で尖ったものだった。

「もう良い、分かった。要するに、試し斬りできる者を連れてこなかったのだろう。お前は、それでも商人か。売る商品をアピールしないとは。致し方ないので、そなたの体で試させてもらったぞ。中々、良い切れ味だな」

 宝石商の体から突き出ていたのは、宝石商自身の血で濡れた宝剣の剣先であった。六世は、更に力を込め、一気に宝剣を宝石商の体に突き刺した。その瞬間、宝石商の体は、大きく震えたかと思うと、その口元から大量の血を吐き出した。

「がはっ、な、な、・・・・・・」

 宝石商は、既に言葉も喋ることもできず、両目を恐怖の余り、大きく見開いたまま、息絶えた。

 六世は、立ち上がり、左足を宝石商の腹に当て、右腕に力を込めて、刺さった宝剣を一気に引き抜いた。そして、血に染まった宝剣を一瞥(いちべつ)すると、左足に力を込め、宝石商の骸を突き飛ばした。

「うーん。やはり、ひとりでは、何とも言えないな。よし、フォレスティン村から何名か、見繕って参れ。そうだ、なるべくなら、抵抗の少ない、若い未婚の女性が良いぞ」

 六世は、何事もなかったかのように、そう、命令を下した。しかし、誰もが、放心状態であり、直ぐに動き出す者はいなかった。

「どうした、余の命令が聞こえないのか。それとも余の命令に背くというのか、よかろう、まだ、余の力を認識していないようなら、今一度、見せてやろうか」

 そう言うと、すぐ傍に控えていた兵士の首を血に染まった宝剣で斬りつけた。兵士は、何が起こったのか、分からなかった。周りに目をやると、皆が自分を悲しげな瞳で見ていた。いったい、如何したのだろうか。そのとき、急に首筋に痛みが走った。左手を自分の首筋に当ててみると、ぬるりとした感触があった。その左手を眼前に翳すと、真っ赤であった。それが、自分の血であることに気付くまでに数秒の間があった。

「がーっ」

 短い悲鳴を上げ、その場に、吐血して倒れた。倒れて、なお、体を痙攣させていたが、やがて、それも治まり、動かなくなった。

「さて、もう一度言うぞ、フォレスティン村から、若い未婚の女性を見繕って、直ぐに余の前に連れてまいれ」

 この二度目の命令は、直ちに実行された。誰も、その場にいたくはなかった。今直ぐ、この場を離れたかったのだ。まるで、蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなった。

 今や、この玉座の間にいるのは、クライス・ド・ソール六世だけであった。

「フフフ・・・、余は、人間を超えるのだ。余こそ、魔王である。フフフ・・・。ハハハ・・・。」

 その笑い声は、玉座の間に響き渡った。

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