17
私の部屋は単身者仕様でキッチンと水回りは別にある。けれど部屋は6畳程だ。備えつけのクローゼットとロフトがあるから、まだ良いけれど。
初めて私の部屋にあがり小さなテーブルの前に座る佐野さんは、何が珍しいのか辺りを見回している。
そんな姿も佐野さんが、元彼より背も高く鍛えていて、スタイルも良いからか存在感までもがあると思った。
恥ずかしくなるので、あまり部屋を見られたく、テレビをつけてリモコンを佐野さんに渡した。そうしていると、元彼が部屋にいた時よりも部屋を狭く感じる。
小さなキッチンでもカフェオレを作りながらでも、私は佐野さんを一人で意識してしまう。
カフェオレは、私だけならインスタントコーヒーだけど、先日家から送られた荷物の中に個別包装のドリップ式のコーヒーがあったのでそれを使う事にした。
マグカップしかないので、あまり使わない物の中から元彼が使わなかったマグカップを選んで、カフェオレ作り佐野さんに出した。
なるべく佐野さんと離れて座り、元彼が使った物は全て捨てようと考えながらカフェオレをすすった。
「ねぇ。智恵ちゃん。飲み会は楽しかった?」
「楽しかったですよ。」
佐野さんカフェオレを一口飲んで、テレビのニュースを見ながら聞いてくる。
「カフェオレ美味しい。智恵ちゃんは、会社の人と仲良いの?」
「ん?今日の飲み会で一緒だった人達は、仲良くしてくれています。私が一番年下だからか、男の人も女の人も気にかけてくれるんです。」
「ふ〜ん。智恵ちゃんは、男と二人で遊ぶなら誰がいい?」
「え?…二人なら佐野さんかな?」
答えは一つしかなかったけど、いきなり話しがとんで戸惑う答えになった。
佐野さんは、マグカップをテーブルに置き、私の隣に座りなおした。
「どうして?」
「どうしてって言われても…。普通に楽しいからです。」
「どうして楽しい?」
「え?それは佐野さんだから?」
「俺といて楽しいだけ?」
「あの…。ちょっと。佐野さん、近いです。」
佐野さんは、私から目を離さず、少しずつ私に顔と身体を寄せてくる。
私が逃げても後ろに倒れそうになるだけなので、佐野さんの胸を押し止めた。
「じゃあ、ライブは来てみたいと思う?」
「学生の時から、なかなかチケット取れなかったから、取れたら行きたいと思ってますよ。」
私から視線を外して、またカフェオレを飲む佐野さんは、今日は何か変だ。
「智恵ちゃん…。俺が佐野悠斗って分かってる?智恵ちゃんの前に生の佐野悠斗がいるんだよ?」
佐野悠斗なのは分かっていても佐野さんは佐野さんだ。今更、佐野悠斗を強調されても、それでドキドキはしない。
佐野悠斗の佐野さんが、私が片想いをしている人だから。
けど、佐野さんが元彼女の私と頻繁に連絡を取り合っていても、今は彼女でもない。なら、私からみたらたまに会う元彼だ。
私は友達のつもりでいたのに、現実に気が付き落ち込んでしまう。
「当たり前でしょう。
何年連絡取り合ってると思ってるんですか。今更、サイン下さいなんて騒げないですよ。」
私から別れた元彼に片想い中なんて…私、何してるんだろう。
溜め息が出てしまう。
渋い俳優さんのサインは、宝物のひとつとして引っ越しても持ってきた事を思い出したけれど内緒にした。
「俺が溜め息つきたいよ。智恵ちゃんは、いったい俺をどう思ってるんだろうなぁ…。」
テーブルに頬杖をついて、テレビを見ながら独り言のように言う佐野さん。
好きだけど、好きと言えずにいる私。現実を伝える。
「それは、もし私が人に話すなら、元彼と連絡とって友達みたいな付き合いしてる人としか言えないですよ。」
「そうじゃなくてさぁ。」
私の言葉に佐野さんが大きな溜め息をついた後、横目で軽く睨んでくる。
「えっと…佐野さんの事、格好いいと思ってますよ。歌やドラマは最近も買って見たり聞いてないですけど。たまにテレビやCMで見ます。
普段の佐野さん、仕事も真面目に頑張るいい人だし。あと、優しいし、一緒にあちこち行く事も楽しいです。私、佐野さんと一緒に遊べる事を結構楽しみにしてるんですよ。」
佐野さんが私から、違う答えが出るまで待つように、無言のまま私の目を見ている。なので、なるべく素直に私が思っている事を伝えた。
「楽しみなのは、俺も同じだよ。会える日が待ち遠しい。
けど、智恵ちゃんは俺が夜遅くに他の女と二人きりで、仲良く笑いながら歩いてるの見たらどう思う?俺が、その女が部屋のドアの中に入るまで見送ってるの見たらどう思う?」
佐野さんが、私の両肩に手を置いて切なげな眼差しと声音で話す。
「え?もしかして、さっきの見てた…。」
私の言葉を遮り話す佐野さんの眼差しに、少しずつ熱がこもっていく。
「俺…もう、智恵が他の男に取られるのを、指をくわえて見ていられない。」
強い力で引かれ、佐野さんに抱きしめられ耳元で低く囁かれる。
「智恵が好きなんだ。他の男じゃなくて、俺と一緒にいよう。」
その言葉に顔が赤くなり、胸がドキドキしてきてしまう。
「別れたくもなかった。もう一度、智恵とやり直したい。
毎日、忙しい仕事と部屋の往復で、何度智恵に会いたくなったか分からない。遊んで帰っても、玄関を開けたら智恵がいそうな気がする時もあった。」
そのまま、佐野さんはゆっくり話し続ける。
「智恵に彼氏が出来たと聞いて、自棄になりそうにもなった。
そいつと別れてから、会える様になってもアピールに智恵は気が付いてくれないし。
俺も、また付き合いたくても、また別れたくないから慎重になっていた。
前が急に付き合って別れたから、今までは時間もかけてたんだ。」
佐野さんが、私の髪を耳にかけて表れた耳に口づけを落とされ、顔が赤くなる。
「正直に言うと、智恵に彼氏がいるならと同じ業界の彼女とかと付き合うような事もした。けど、やっぱり駄目。好きになれなかった。智恵じゃないから。
それで、最近になって智恵の一番近くにいられる気になってたら、周りに男がチョロチョロしてるし。」
佐野さんは、私の頬に唇を寄せた後に少し身体を離す。熱く艶めく瞳で私の目を強く見たまま、親指で私の唇をゆっくりと撫でながら言葉を続ける。
「今なら俺も少しは仕事のペースが掴めた。
今日の男や前の男よりも、俺は智恵を大切に幸せにする。だから、これからも俺と二人でたくさん食事したり出かけたりしよう。
もう、これ以上俺の前から消えないでくれ。他の男じゃなくて、俺を選べよ。」
好きな人に、ストレートに気持ちをぶつけられて嬉しい。けど、私は臆病にもなってしまう。
「でも…私から別れたのに…。」
「あの電話で、俺は分かったとしか言ってない。
別れも止めるつもりだった。智恵が疲れたと言ってだけだったから、2、3日して落ち着いた頃に話せば、また智恵と一緒にいられると思ってた。
あのモデルも本当に友達のつもりだったのに、智恵に見られてから急にモデルの態度が変わった。
すぐに付き合いもやめたよ。」
「でも…。」
「でもは、もういい。智恵も本当は俺の事が好きなんだろ?」
佐野さんは、片手で私の手を上から強く握り、じっと答えを待っている。
ここで素直にならないと、また佐野さんと離れてしまう。私も、もう離れたくない。
気持ちが通じ合った嬉しさが少しずつ込み上げてきて、小さく頷いた。
「なら、もう黙って。これからの未来は、ずっと俺と一緒にいよう。」
佐野さんが顔を傾け近づいてきて熱い唇が重なり、すぐに離れる。
「まだ、不安だからちゃんと聞かせて。智恵は、また俺の彼女で…。ずっと俺と一緒にいてくれるますか?」
「…います。」
佐野さんは唇の熱さを隠すように、穏やかな声で確認してくる。
「智恵…。」
だんだん近づいてくる、妖しく艶めいた佐野さんの眼差しに負けそうになる。頬に添えられた佐野さんの手も熱い。
でも、これ以上の抵抗は無理だ。プロポーズのような告白に、私は胸のドキドキに潰されそうだ。
佐野さんの唇を手で止めた。
「あの…。今日の男の人は先輩で…。彼女のマンションの入口に変質者がでるので、心配してお泊りに行ってるんですけど。送ってくれたのは、そのついでです。」
動きを止められた佐野さんが不満そうな顔をしながら、私の手を外す。
「随分と仲良さそうだったから嫉妬したけど、それなら良かった。なら、俺も心配だから泊まる。ねぇ、智恵。泊めて。」
何かのスイッチが入った佐野さんが顔を近づけはじめた時、私の携帯の着信音が響いた。
携帯を探して、誰からの着信かも見ずに慌てて佐野さんから離れ背中を向けて電話にでた。
「も、もしもし?」
『智恵ちゃん?』
それは、夜桜の時に会った元彼だった。たまに電話をしてくる元彼。時計を見ると12時前だった。
元彼からの電話は長い。しかも、毎回この時間帯にかかってくる。
私と寄りを戻したいから始まり、長々と愚痴を聞かされてしまう。
それが分かってから、私は早目に切るように心がけていた。
なにも今日じゃなくてもと、いつもより言葉がキツクなる。
「こんな時間に何?」
『今から行ってもいい?明日は休みだろ?』
「何、言ってるの。駄目に決まってるでしょ。じゃあ、切るわよ。」
背中を突かれ、佐野さんに小さな囁きで「誰?」と聞かれる。私も同じように「夜桜の元彼」と答え顔を見ていられず視線を外した。
『智恵ちゃんに、どうしても会いたいんだ。バイトがあるから、こんな時間にしか連絡できないけど…。』
元彼の話しは続き、私が断ろうとしたら、携帯が手から消えた。
「よぅ。久しぶりだな。夜桜の時の彼女はどうしたんだ?別れたか?」
驚く私に、ニヤッと佐野さんは笑った。