15
それは11月の事だった。
世間は厳しくなかなか就職先が決まらない中、四年制大学に通う高校からの友達に、同じ大学の彼氏とその友達との飲み会に来ないかと誘われた。
その時の友達の彼の友達が私の彼氏になる。
お互いの連絡先を交換をして、次に二人で会った時に告白された。
正直いうと佐野さんがまだ好きだった。
けれど、付き合ううちに、この人を好きになるかも知れないとOKした。
私と同じ年のどこにでもいる様な、友達の間で優しくてもてると友達が言う彼だった。彼とは、週に一回くらいのペースで外で会っていた。
年末になっても佐野さんとのメールは続いていて、たまに電話がある。最近は長話をして沢山笑って話せた。
年が明けると佐野さんに食事に誘われたけれど、彼氏に悪い気がして就職活動を理由に断った。
やっと決まった就職先は家から距離もあるので、家から出る事にした。一人暮しに慣れるために、仕事が始まる前の二月からアパートで生活を始めた。
大学も家からより近くなり、就職先もアパートの最寄りの駅から電車も含めて30分程。大きくない企業の事務だけど、節約すれば生活はできるだろう。
佐野さんとのメールや電話も、増えたり減ったりしながら続いていた。
付き合っている訳じゃないので数は気にならず、気楽に思えて楽しく出来る。
四月の中頃になると就職のお祝いにと、佐野さんに食事に誘われ、最寄り駅まで車で迎えにきてくれた。
佐野さんのマンションと私のアパートまでの距離が、私の家までと同じ位の時間らしい。
車の中で聞いた話しでは、歌も売れて主演ドラマもまたあるらしい。
あれから、偶然にしかテレビで佐野悠斗を見ない私は驚いてしまった。
「佐野さんって人気者なんですね。さすが佐野悠斗。素敵。すごいです。」
私は、素直に拍手付きで感想を言った。
「智恵ちゃんって、俺の事をわざわざ見たり聞いたり、絶対にしてないね。」
冷たく言われてしまった。
佐野さんの車で着いたお店は、割烹料理で個室だった。
「智恵ちゃん。ほんとに久しぶりだね。」
「本当ですね。」
本当に久しぶりだった。会うのは、別れ話をして以来だった。
たまにテレビで佐野さんを見かけていたけれど、会うと前より大人びて艶と迫力がある気がする。
そんな佐野さんと、お茶とおしぼりが置かれているテーブルに向かい合って座ると、車の中より緊張してしまう。
佐野さんの髪は長くなっていて、黒髪のまま緩やかに波打っていた。
「また会えるなんて嬉しいな。」
「私は、もう会える事は無いと思っていました。佐野さん、痩せました?」
「少しね。智恵ちゃんは相変わらず冷たいけど、綺麗になったね。」
前みたいにクスクス笑う佐野さんに何だか安心してしまう。
佐野さんは、何か思い出した様に隣に置いたバックから小箱を取り出し、テーブルに置いた。
「これ、お祝い。気持ちだけ。」
「え?いやいや、いいですよ。」
「返されても困る。今もその時計も使ってくれてたんだね…。これ、仕事用にでもして。」
佐野さんに言われて少し恥ずかしくなり手で腕時計を隠した。
あのクリスマスに貰った物だけど、どうしても今まで外せないでいたのだ。
「佐野さん…。」
「ほら、いいから開けてごらん。」
包装を開き開けてみると腕時計だった。シルバーのベルトの大人っぽいデザインだ。
「ありがとうございます。」
「着けてみて。」
その言葉に着けてある腕時計をハンカチで包んでバックに入れ、新しい腕時計を着けてみた。佐野さんは、ずっと微笑みながら私を見ていた。
前の腕時計見たいに華やかさは無いけれど、手首にしっくり馴染み落ち着いてるけどお洒落な腕時計。
嬉しくなり、一人で手首をあちこち回しながら眺めてしまっていた。
「気に入ってもらえたみたいで良かった。仕事はどう?彼氏は?」
「え?仕事は…まだ慣れないですね。彼氏は…その、別れました。」
「え?そうなの?」
「ん~まぁ、三日前だからほやほやです。」
元カレの事は12月に佐野さんからのメールで聞かれて、伝えてあった。
けれど、こうして顔を合わせて聞かれると、何となく話にくくて居心地悪くなり姿勢を正す。
そんな私を佐野さんは、顔中でにっこり笑って見ていて見惚れてしまいそうになった。
「ふ~ん。俺は嬉しいけど。」
「佐野さんは、よりどりみどりでしょ。」
久しぶりに佐野さんの笑顔にドキドキして、ふいと視線をそらした所にナイスなタイミングで料理が運ばれてきた。
テーブルにならんだ色どり鮮やかな料理が並べられる。器からして居酒屋と違うので、目を惹かれてしまう。
「食べていいですか?」
「どうぞ。」
いつもの様にクスクス笑う声はするけれど、もう佐野さんをしばらくは見ないと決めて、料理を堪能しはじめた私だった。
「なんでその彼氏と別れたの?」
「他に好きな子が出来たそうです。」
元彼が気になるのか、佐野さんが聞いてきた。
元彼は実家暮らしの学生で、私のアパートは彼の家からのよりも、大学が近く便利がいいらしい。
私が学生の頃は、彼とお互いの大学の友達とよく一緒に外で遊んでいた。けれど、二月の終わり位から、私の部屋に彼があがるようになった。
そうしているうちに、週末のデートは毎回私の部屋になり、彼は長ければ二泊するようになった。ただ、ご飯とお風呂と泊まるだけの日もあれば、夜も遅くに酔って寝るだけに来る事もあった。
私も卒論や慣れない仕事の研修で疲れていたし、気分転換に外に遊びに行きたい。
彼が夜遅く突然来るのも、毎週泊まられるのも、家事や買い出しにも行きたいし困る。
初月給までは家が仕送りをしてくれるし、今までのバイトの貯金も少しある。
けれど、全く何もせず出さない彼といて正直、時間も気持ちもお金も私は段々きつくなってきた。
なので何回かそんな事を彼に言っていたせいもあるのか、彼から「他に好きな子ができた」と、三日前に振られてしまった。
彼を好きなれるつもりだったのに、情が湧いていただけだったのか、別れを告げられても驚いただけで失恋のショックは何も無かった。
佐野さんには、こんなに詳しくは話せず一言で終わらせ、料理を食べているとしみじみ言われてしまう。
「もったいないなぁ。」
「いいんです。自分で佐野悠斗に似てるって言う様な人だったし。全然似てないのに…。」
グフッと食べ物の飲み込みに失敗した様子の佐野さん。
それは一番ショックだった。
「俺、佐野悠斗に似てるって皆によく言われるんだ」と自慢げに言った彼の一言。
彼に別れを告げられた時よりも、ショックが大きかったかもしれない。
彼を含めた皆に、眼科受診をすすめたくなったくらいだったから。
「違う。男の奴がもったいないって意味。」
「むせながら言われても説得力ないです。」
それから、佐野さんとはお互いの仕事の事、一人暮らしの事、色々な事を話して楽しい食事になった。
帰りは佐野さんにアパートまで送ると言われて、アパート前に佐野さんの車を止めた。
ふと、見上げた暗い私の部屋が寂しく見える。
「佐野さん。一人暮らしって大変ですね。」
「お?わかった?寂しくなった?」
「それもあるけど、色々大変です。」
仕事に食事に洗濯に掃除、その他の全てを一人でする事が慣れるまで大変だった。今でも面倒だし上手くできない。
「智恵ちゃん…。寂しくなったり何かあったら、俺で良ければいつでも連絡しておいで。」
頭を撫でられたけれど、智恵ちゃんと呼ばれる事が少し寂しくなる。
「あの…カフェオレ飲んでいきますか?」
自分で言いながら、顔が赤くなった。
やっぱり、私はどうかしているのかも知れない。
「ん~。今日は、やめておこうかな。行きたいけど、帰れなくなりそうだから。ごめん。」
佐野さんは、困った顔で私に気を使いながら誘いを断り帰って行った。
私は、部屋で誘ってしまった事の意味を、深く考えて一人恥ずかしくなり何故か落ち込んてしまった。
そして、佐野さんからの就職祝いの食事から、一週間と少したった金曜日。
いつもの様に近くの大きな公園の桜を歩きながら見て、アパートに帰ると私の部屋の前に誰かいる。
背の高い男性だ。キャップにブランド物らしいパーカーにジーンズの知らない人。元彼より背が高いので違うと分り安心した。
少し怖くなりながら私は階段をゆっくり、音が鳴るように昇り始めた。
その音に気が付いたのか、知らない男性は振り向き私を見てクイッとキャップのツバを押し上げる。お洒落なセルフレームの伊達眼鏡に、髪を後ろで一つに束ねた佐野さんだった。
「智恵ちゃん。」
「え?なんで?分からなかった。」
「いつも、この位の時間に帰るって智恵ちゃんが話してたから待ってた。一緒にお花見どうかと思ってさ。夜桜になるけど。」
クスクス笑いながら佐野さんに誘われた。
「は?」
「車じゃないから、どこかで智恵ちゃんの好きなファーストフードでも買って、近くの大きな公園にでも歩いて行こうよ。」
私の中で、驚きが徐々に嬉しさに変わってきた。
「別にファーストフードが好きな訳じゃないんですけど…。いいんですか?」
「いいよ。着替えておいで。ここで待ってるから。」
じわっと嬉しさが大きく膨らみ、短く返事をすると急いで部屋に入った。
佐野さんが今日はラフな服装だったので、私もジーンズと春のニットに着替えてスニーカーを履き慌てて外に出た。
「そんなに慌てなくてもいいのに。じゃあ行こうか。」
佐野さんは、笑ってキャップを深目に被り直し階段を降り始めた。
「やっぱり、晩飯だし店で食う?」
公園に向かい歩きながら佐野さんに聞かれたけれど、私はどちらでも良かった。
佐野さんとこうして、お花見に行ける事がとても嬉しくて楽しかった。
結局、公園を過ぎた所に美味しいべーグルサンドのお店にした。そこでべーグルサンドとスープとドリンクを買い公園に向かう。
週末だし、桜も見頃なのであちこちでグループがシートを敷いて、お花見の宴会をしている。
私達はシートがないので、桜を見ながらベンチを探し二人並んで歩道を歩いていた。
そうすると、前から仲良さそうに腕を組んで歩いてくる一組の若い男女を見つけて私の歩みは遅くなった。
男性は元彼で、腕を組んでいるのは、私が短大の時の友達だった。
その友達は、私達が付き合っている時に、みんなで遊んでいたいつものメンバーの一人だった。
向こうも私に気が付いた様で、二人共と目が合ってしまい、近い距離で四人の足が止まってしまった。
「智恵ちゃん?」
ショックとかではなく、二人を見て納得してしまった。
そういえば、みんなと一緒に遊んでいても二人は、よくコソコソ話をしていた。
そうか。こうゆう事だったのか…。
「智恵ちゃん?誰?」
一人で考えていると耳元で聞こえた佐野さんの声に、驚いて思い出してしまった。
そうだ。二人に佐野悠斗とバレる前に早く行かなきゃ。騒ぎになると、佐野さんに悪い。
「あ…。えっと、元彼と短大の時の友達。ね、行こう。」
私の気持ちが慌て始めて、言葉も選べず佐野さんに正直に答えてしまう。
気まずそうな二人に関わらずに、その場を離れようと佐野さんの腕を引っ張っても、佐野さんの足は動かない。
「あの…。ね、行こうよ。」
気持ちが急いても、佐野さんと名前は呼べない。
「こいつが佐野悠斗に似てるって自分で言ってる奴?」
元彼を見据えて、クイッと少しキャップのツバの端を親指で上げ、余裕のある態度で私に聞く佐野さん。
佐野さんの片目がハッキリ見えて、こっちが慌ててしまう。
「フンッ。智恵。こいつのどこが佐野悠斗?俺の方が似てるし。」
「本当…。似てる。格好良い…。」
佐野さんの言葉と表情に悔しそうな顔になる元彼に、何を考えてるのか佐野さんに加勢する彼女の呟き。
本人なんだから当たり前だ。
思わず溜め息が出てしまう、私。
「お前も智恵を振るなんて、馬鹿だね。こんなに可愛いのに、もったいない。ま、智恵がフリーで、狙える俺はラッキーだけどね。」
そう言って佐野さんは、私の肩を抱いて見せ付けるように頬にキスをした。
「きゃっ。」
肩を抱かれ智恵と呼ばれてキスまでされて、私はドキドキしてしまっていた。
友達の声まで聞こえて、顔が赤くなり慌てて佐野さんを押し返す。
「ちょっと…。」
佐野さんをうっとり見つめる彼女に、佐野さんじゃなくて私を睨む元彼。
私はまた、溜め息が出そうになった。
「じゃあ、せいぜい二人で仲良くな。お前には、その彼女がお似合いだよ。
俺なら、その彼女より智恵を選ぶけどな。さ、行こう。」
二人に意地悪そうに言い切ると、佐野さんは私に蕩けるように甘い笑みを浮かべ、肩を抱いたまま歩き始めた。
少し歩いて私が振り返ると、二人は揉めている様だった。
「智恵ちゃん。勝手な事してごめんね。」
佐野さんは、私の肩から手を離すとキャップを被り直し、さりげなく私と手を繋いだ。
気持ちまで包み込まれるような暖かい手に、私は自然と笑みがこぼれてきた。
「いいえ。大丈夫です。ありがとうございました。
私、あの人の事を好きになりきれてなかったんです。付き合っている時に、あの彼女達とよく一緒に遊んだりしてたから、あの二人を見ても何だか変に納得しただけで。さすがに驚きはしましたけど…。」
「智恵ちゃん…。」
淡々と話す私の繋いだ手を佐野さんが強く握る。
「二股とかされてなきゃいいんだけど…。うわぁ、嫌。…されてたら最悪。
あ。それより佐野さんこそ、あんな事して大丈夫ですか?」
ぶつぶつ言って気が付いた私の問いに、佐野さんは苦笑しながら答えてくれた。
「大丈夫。薄暗いだろ?よく見えてないはず。俺が自分で似てるって言ったから、あの二人もきっと似てると思うだけさ。智恵ちゃんだって、始め俺だって分からなかっただろ?」
「そうだった…。」
「バレてもいいさ。智恵ちゃんだしね。」
楽しそうに、にっこり笑って言う佐野さん。
「誰も信じないでしょうしね。ありがとうございました。」
佐野さんの言葉にドキッとしたけれど、私も笑顔で返したら溜め息をつかれてしまった。
私から別れ話を出し、自分でもよく理由が分からないまま佐野さんと別れた。
心が揺れない様に、思い上がらないように、自分に言い聞かせて、佐野さんと繋いだ手を私から離してベンチを探した。