第七話・・・届かない光
指先の光を再現できるようになってから、さらに数週間が過ぎた。
私は毎晩のように実験を続けていた。エレナとガレスが眠り、家の中が静まり返った頃、寝台の上でそっと身体を起こし、自分の指先へ意識を向ける。最初の頃は三秒ほどしか保てなかった光も、今では五秒、長い時には十秒ほど維持できるようになっていた。けれど、それ以上の変化は起こらない。淡く光るだけ。指先に小さな明かりが灯り、少しすると消える。それだけだった。
もちろん、進歩していないわけではない。半年前は一瞬だけ光っただけで、再現すらできなかったのだから、今の状態は明らかに前進している。私はそのことを理解している。理解しているはずなのに、消えていく光を見るたびに胸の奥に小さな引っかかりが残った。
どうして、これ以上進まないのだろう。
その問いは、日に日に大きくなっていった。
私は条件を変えてみた。朝に試す。昼に試す。夜に試す。座って試す。立って試す。窓際で試す。寝台の上で試す。呼吸を深くしてみる。逆に息を止めてみる。エレナの治癒魔法を思い浮かべる。ガレスの風魔法を思い浮かべる。胸の奥の温もりをゆっくり指先へ流すことも、少し強く押し出すことも試した。
結果は、ほとんど変わらなかった。
光る。
消える。
それだけだ。
私は失敗を嫌ってはいない。前世の知識に照らしても、試行錯誤の過程に失敗は必要だ。失敗とは、条件が適切ではなかったという情報であり、それ自体に価値がある。だから落ち込む必要はない。そう考えているはずだった。
けれど、何度試しても同じ結果しか返ってこないと、胸の奥が少しだけ重くなる。
この感覚は何だろう。
不満。
焦り。
落胆。
いくつかの言葉が浮かんだが、どれもぴったりとは当てはまらなかった。ただ、指先に灯った光が消えるたびに、私は心の中で小さく呟いていた。
――違う。私は、ただ光らせたいわけじゃない。
では、何をしたいのか。
その答えが分からなかった。
ある日の午後、エレナの元へ村の少年が運び込まれてきた。畑の近くで転んだらしく、膝を大きく擦りむいている。血が滲み、泥もついていた。少年は泣くのを我慢しているようだったが、唇は震えていた。母親らしき女性が心配そうに背中を撫でている。
「大丈夫よ。すぐ綺麗にするからね」
エレナはいつものように優しく声を掛けた。傷を見ても慌てない。まず清潔な布で泥を拭い、少年が痛がるたびに
「ごめんね、もう少しだけよ」
と声を掛ける。その声は柔らかく、聞いているだけで相手の緊張をほどいていくようだった。
私は少し離れた場所で積み木を持ちながら、その様子を見ていた。表向きは遊んでいる子供だが、実際にはエレナの魔力の流れを観察している。彼女が傷口へ手をかざすと、胸の奥から腕へ、腕から手のひらへと淡い光が集まっていく。これまで何度も見た流れだ。だが、その日は少し違うことに気付いた。
エレナの魔力は、傷口へ向かう前に一度やわらかく広がっていた。まるで傷そのものだけではなく、少年の恐怖や痛みごと包み込もうとしているように見える。魔力の流れは穏やかで、急がず、押し付けず、相手に合わせるように形を変えていく。
「ヒール」
緑色の光が膝を包み、傷がゆっくりと塞がっていく。少年の震えが収まり、母親の表情も少しずつ安堵へ変わった。エレナは魔法が終わった後もすぐには手を離さず、少年の頭を軽く撫でた。
「よく我慢したわね。偉かったわ」
少年はまだ涙を浮かべていたが、小さく頷いた。
その光景を見て、私は考え込んだ。
エレナは傷を治した。けれど、それだけではない。彼女は少年を安心させようとしていた。痛みを取り除くだけでなく、怖かったという気持ちにも寄り添っているように見えた。
魔法とは、ただ魔力を外へ出すだけではないのかもしれない。
そう思った瞬間、私は自分の実験を思い出した。私はただ光らせようとしていた。胸の奥から指先へ魔力を運び、外へ出す。それだけを繰り返していた。
――でも、それは何のための光なの?
心の中でそんな声がした。
私は答えられなかった。
夕方、ガレスが庭で弓の訓練をしていた。森へ入る前の確認なのだろう。彼は矢を番えず、弓を引く動作だけを何度も繰り返していた。私は窓際に立ち、椅子の背につかまりながらその様子を眺める。
ガレスの魔力は、エレナのものとは違う。胸の奥から腕へ流れるまでは同じだが、その先が鋭い。まっすぐで、迷いがなく、外へ抜ける力が強い。彼が弓を引くたび、指先から微かな風が生まれ、周囲の草が少しだけ揺れる。
私はその動きを見つめた。
ガレスは何を考えて魔法を使っているのだろう。
エレナは助けるために魔法を使う。傷を治し、痛みを和らげ、相手を安心させるために。ではガレスはどうなの。獲物を仕留めるためか。魔物から身を守るためか。それとも村を守るためか。
窓の向こうで、ガレスが弓を下ろした。その横顔は真剣だった。普段の不器用で少し大雑把な父親とは違う。森で魔物と向き合う時の顔だ。
私は以前、ガレスに抱かれて森へ入った時のことを思い出す。赤い目のグレイウルフがこちらへ飛び出してきた時、私は何もできなかった。ただガレスに頼ることしかできなかった。あの時、彼は迷わず弓を構えた。そして風魔法を使った。
あの魔法には目的があった。
私を守る。
魔物を止める。
そのための風だった。
――なら、私の光には目的があるの?
また、心の中で問いが生まれる。
私は指先を見つめた。小さな手だ。まだ何かを守れるほど強くない。誰かを治すこともできない。風を起こすこともできない。ただ光るだけ。
けれど、本当にそれだけでいいのだろうか。
夜になっても、その問いは消えなかった。エレナとガレスが寝静まった後、私は寝台の上で身体を起こした。窓から差し込む月明かりが床に淡く広がり、部屋の中は静かだった。外からは虫の声が聞こえる。私は自分の右手を見つめ、いつものように胸の奥へ意識を向けた。
温もりはすぐに見つかった。以前より探しやすくなっている。私はそれを指先へ運び、小さな光を灯す。淡い光が指先を包み、静かな部屋の中でわずかに揺れた。
成功。
だが、それだけだった。
私は光を見つめながら、エレナの魔法を思い出す。少年を包み込むような優しい光。次にガレスの魔法を思い出す。迷いなく前へ進む鋭い風。どちらにも明確な目的があった。ただ魔力を外へ出しているのではない。何かをしたいという意思が、魔力の流れに形を与えているように見えた。
なら、私も同じようにすればいい。
そう考え、私は指先の光へ意識を向ける。
ただ光れ、ではない。
前へ。
外へ。
何かに届くように。
私はそう願った。
しかし光は変わらなかった。指先で淡く揺れるだけで、前へ伸びることも、形を変えることもない。少し強く意識すると、むしろ光は不安定になり、すぐに消えてしまった。
もう一度試す。
今度はエレナのように柔らかく広げようとする。
失敗。
光は広がらず、指先で小さく揺れて消えた。
さらに試す。
ガレスのように鋭く流そうとする。
失敗。
光は一瞬強くなっただけで、すぐに途切れた。
何度試しても結果は変わらない。光は生まれる。けれど届かない。私の指先から少しも先へ進まない。
胸の奥が、きゅっと締め付けられるような感覚があった。
痛みではない。
苦しさとも違う。
でも、心地よくはなかった。
どうして。
私は心の中で呟いた。
(どうして上手くいかないの)
その言葉が浮かんだ瞬間、私は少し驚いた。上手くいかないことに対して、こんなにも心が揺れるとは思わなかった。前世の私なら、結果が出なければ条件を変えるだけだった。失敗に感情を挟む必要はない。そう判断していたはずだ。
けれど今の私は違う。
悔しい。
その言葉が、ゆっくりと胸の奥に落ちてきた。
私は悔しいのだろうか。
思い通りにならないことが。
何度試しても同じ場所で止まってしまうことが。
エレナやガレスにはできることが、自分にはまだできないことが。
私は消えた指先を見つめた。そこにはもう何の光も残っていない。月明かりだけが、私の小さな手を白く照らしている。
泣くほどではない。
怒るほどでもない。
けれど、胸の奥に残ったその感覚は、確かに私を静かに乱していた。
私は毛布を握りしめ、深く息を吐いた。諦めたいとは思わなかった。むしろ逆だった。できないと分かったことで、もっと知りたくなった。何が足りないのか。何を間違えているのか。魔力の量か、流し方か、それとも目的の持ち方か。
分からない。
でも、分からないからこそ知りたい。
私は窓の外へ視線を向けた。夜空には見知らぬ星々が静かに瞬いている。第4話で見た時と同じ、地球には存在しない星空。あの時の私は、この世界が異世界であることを認めた。そして今、その世界の法則の前で立ち止まっている。
きっと、世界は簡単には答えをくれない。
前世のように検索すれば済むものではない。誰かが用意した答えを受け取るだけでは、ここから先へは進めない。
だから、自分で探すしかない。
自分で考え、自分で試し、自分で失敗しながら、少しずつ近付いていくしかない。
私はもう一度、指先へ意識を向けた。今度も小さな光が生まれた。けれどそれは、やはり指先から先へは進まなかった。
届かない光。
その言葉が心に浮かぶ。
今はまだ、それでいいのかもしれない。届かないと分かったことも、一つの答えなのだから。
私は光が消えるまで見つめ続けた。悔しさは残っている。けれど、その奥には不思議と別の感覚もあった。少し苦くて、けれど完全には嫌いになれない感覚。
上手くいかない。
だから、次も試したい。
その夜、私は初めて「失敗」が心を乱すものだと知った。
そして同時に、失敗してもなお手を伸ばしたくなるものが、この世界にはあるのだと知った。
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