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この日の夕飯の食卓では、俊はこれまでよりも明るい表情で奈々子の相手を
しつつ『これ美味しいよ、いつも美味しいの作ってくれてありがとう』なんてことまで口にした。
「どういたしまして」と桃は返したは返したが、心境は複雑だった。
この人は、果たして……明日恵子に会いに行くつもりなのだろうか。
再度のアバンチュールを楽しむ為に。
まだまだ、私を苦しめる為に?
私と仲直りしたげにしていたこれまでのパフォーマンスは、
いったい何だったというのか?
その日近々爪を切らなきゃと思っていたのだが、桃は爪を切らずに
研ぐことに集中した。
淡井恵子は身長150cm体重41kgの華奢な女だ。
反して桃はというと、162cm49kgとスレンダーだが
見た目よりはるかに運動神経があり、身体能力が優れていた。
◇ ◇ ◇ ◇
そして翌当日、桃は俊が出ていくのを見送った後すぐに実家へと向かった。
母親に家に来てもらえればよかったのだが、足の調子が悪いから
奈々子を連れてきてくれたら子守できると言われ、連れて行くことになる。
それで少しわちゃわちゃしているうちに俊が出ていってから早30分が
過ぎてしまった。
その為、駅前まで出てタクシーを拾いホテルオークラ神戸を目指した。
地下鉄とJRを使うのもタクシーを使うのも時間的に大差はないけれど、
1分でも早く行きたかった。
それに暑い中、歩いて乗り換えをしたりする気にはなれなかったというのも
ある。
なのに、なんということ。休日ということもあり、桃の乗ったタクシーは
渋滞に巻き込まれてしまい、ホテルに到着したのは俊が家を出た時から
1時間半も過ぎてからのことだった。
それでなくても暑い中での移動で、緊張と逸る気持ちから額からは汗が
後から後から吹き出てくる。
それを桃はタオルハンカチで拭き拭きようやくホテルまで辿り着いた。
『はぁ~涼しい~』
と一息ついたけれど、休んでなどいられない。