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第82話:部屋に籠りたい気持ちがよ~く分かりました

 大満足のシオン、渋面で思い悩むアリア、その対極の2人をすぐ傍から見ているシアンは、嬉しそうに微笑んでいた。


 (最初にアリアちゃんを見た時に険が取れたなとは感じていたけれど、ここまで穏やかになっていたのね。シオンさんに折角のじゃれ合いを取られちゃったのは残念だったけど、こんなに楽しそうな2人を見られるなら、取られ甲斐はあったかしら)


 そう内心で述べると、シアンは以前来た時とは見違えた2人の姿に胸が温かくなる気がして、薄っすらと頬を緩めた。

 しばらくほっこりする心持で2人を見守っていたシアン。だが、次第に優しさの浮かぶ瞳の奥に怪しい光が混ざり始まっていった。そして遂に瞳が怪しい光で満ちた時、潜んでいた興奮が表へと現れ出た。


 (とっても素晴らしい、光景だわ!!はぁ~はぁ~)


 病的で熱烈な瞳でアリアとシオンを眺めていく。


 (うふふ、お嬢様×侍女。うふ、うふふふ、定番よね。今見ている限り、攻めはシオンさんね。でもって、受けがお嬢様かしら。あぁ~、これだからたまらないのよ。はぁ~どんどん百合が咲き乱れるようだわ)


 アリアが物凄く引いていることに一切気づかずに、夢中でアリアを堪能し続けるシオン。

 看護師シアンの主観で白ユリが繚乱する背景が2人の背後に浮かぶ。その中、百合大好きシアンが、うっとりしたままの表情でほぅと熱いため息を吐いた。

 そして、頭の中で眼前の現実を離れ、空想に耽っていたその時、たまたま空気を読まず見えてしまった光景に、一気に熱が冷めていった。

 まだまだアリア×シオンを見ていたかったが、好奇心旺盛な子犬が若干威嚇する孤高の一匹の猫に突撃し猛烈にじゃれつくように、シオンが熱心にアリアに頬擦りする様を横目に見ながら、折角凹ませたテクノが落ち込みから復活する所をシアンが確認したのだった。

 今度は残念そうなため息を一つ吐くと、ドクターテクノを見て内心でもうちょっと落ち込んでくれていればいいものをと、悪態を吐いた。

 しかし、テクノが復活したのだから趣味の時間は終わりにして仕事に戻らなければと気持ちを一瞬で切り替える。

 シアンはテクノを無視し、スイに視線を送った。その視線で訊ねた事は、許可の申請であった。

 スイは柔和な微笑みでそれに答え、どうぞお気にせずと快諾の意思をシアンに返した。

 それを受けたシアンはすぐさま実行に移る。

 ナース服のポケットを探り目当ての物を取り出すと、静かに移動し激しくアリアにじゃれつくシオンの隣に立った。

 そして、「シオンさん」と一切の警戒を抱かせない穏やかな声音で声を掛け、無警戒で呑気に「どうかしましたか」とアリアを堪能中のシオンが振り返った瞬間、ニコッと微笑み「おやすみなさいです」の言葉と同時に、その首元にプツっと針を刺した。

 その一瞬で針の根元のシリンジに溜まっていた緑色の液体を注入し終える。

 スイから許可は得ているので躊躇いもなく事を済ます。

 そして、首元に刺した注射器をスッと抜くと、無表情で力なく床に倒れゆくシオンを見送った。

 床に倒れたシオンに向かって無機質な表情でシアンが一言呟いた。


 「お仕事ですので、悪しからず」


 無情に冷酷に、ただ仕事に忠実にあれとシアンは、己の仕事を完遂した。






 身体が思う様に動かないのかシオンは遥かな高みから冷淡に見下ろすシアンを仰ぎ見るのみ。その口元は何かを語りたいのかピクピクと小刻みに動いていた。

 アリアは唖然とシオンと、じっと観察する様に動かないシアンを見た。

 「うっ」と呻きが聞こえたかと思ったら、突然鬱陶しいと思っていたシオンの拘束が緩み床に倒れたので、慌てて振り向いた先では、狂気すら感じさせる静かな表情でシオンを見下ろす、シアンを目撃した。

 アリアはその異様な姿に一瞬圧倒され身体が竦んでしまった。だが、思わず下げた視線でシオンを見たことにより、恐怖よりもシオンを心配する思いが怯んだ心を打ち破った。

 竦んで動かない身体に内心で(動け!!)と喝を入れると、すぐにしゃがみ込みシオンの身体を揺すり呼び掛けた。


 「シオン!」


 すると、一瞬という間すら置かずに、苦しみに呻いていたシオンがバッと顔を向け、そして、ある意味怪談染みた姿でふにゃりと表情を崩して口を開いた。


 「・・・・」


 「?」


 どうも上手く口が動かないようで、微かに息の漏れる音しか聞こえない。

 そこでアリアは、床に倒れたまま首だけを執念でほぼ後ろまで回し、何かを呟く怪奇な格好のシオンの口元に恐る恐る耳を寄せた。

 すると、まだ拙い言葉遣いながら一生懸命にお母さんとお父さんに何かを伝えようとしている赤ちゃんの様にシオンが呟く。


 「あはあ、おひょうはま(ああ~、お嬢様)」


 微笑みも嬉しそうなシオン。


 「シオン!大丈夫ですか!!」


 「はひ、はいひょうふへふ(はい、大丈夫です)」


 ニヘラと微笑むシオンを見られて、緊張していた気持ちが緩んだ。


 「良かった」


 そう安心しきった気持ちで声を掛けると、アリアは怖いながらもシアンを睨んだ。


 (うちのシオンに何してくれんだ!こんなんでも俺にとっては大切なシオンなんだぞ!)


 流石に声に出して訴えられる程気持ちは強くないので、内心でシアンを恨むように述べる。

 そして、怖いながらもシアンを睨んでいるアリアに、すぐ傍で倒れるシオンの声が聞こえてきた。


 「おひょうはま、おひょうはま(お嬢様、お嬢様)」


 「どうかしましたシオン!?」


 何か身体の異常が時間を置いて現れたのではと、慌ててシオンに振り返る。


 「あほ、ヒオンほおへはいをおひひへはえまへんは(あの、シオンのお願いをお聞き願えませんか)」


 「・・・うん?・・ううん?」


 何かを伝えようとしていることは分かる。だが、抜けたような口調なので良く分からない。なので、首を傾げるのみのアリア。


 「はっほ。ひほんをはっほ(抱っこ。シオンを抱っこ)」


 シオンが次の言葉を口にする。そして、少し謎の薬の効果が弱まったのか、シオンが床に倒れたまま弱々しく両手を広げてアリアを見上げた。

 今度は言葉の意味が分からなくても、発音の感じと両手を広げた姿から何を伝えたいのかを、アリアははっきりと理解した。

 それによって、身体に何か支障をきたしたのではないと分かりホッと一息吐くと、流石にこの子供の身体でシオンを床から抱き起こすのは無理そうなので、シオンの頭だけを膝の上に乗せた。

 そして、随分と子供っぽい可愛らしいお願いだなとクスリと軽く笑みを零すと、優しくシオンの頭を何度か撫でていく。

 けれども、やはりシオンは抱っこが良いようでぐずつく子供みたいに、尖らせた唇から不満を口にする。


 「嫌っ!!抱っこ、抱っこが良いの!!シオンは抱っこが良いの!!」


 随分謎の薬の効果が抜けてきたようで、覚束なかった言葉からはっきりとした言葉へと変わっていた。更に、舌の回りと共に身体の自由も回復してきたようで、シオンの手がアリアの服を掴んで、駄々を捏ねる様に引っ張ったりする。

 それに最初は微笑ましさを覚えて「はいはい」と応えていたアリアであったが、徐々に不信感を抱くようになった。


 (おかしくねっ?)


 内心でそう呟くと、本当に子供の如く両足をバタバタして抗議するシオンを眺める。


 (俺も無意識にシオンが娘に見えてたけど、変たイィ・・、ううん、あのシオンがこんなに子供っぽく駄々こねるか?いや、しないよな。絶対、『お嬢様、身体が動きません、シオンを、シオンをギュッと抱き締めて下さい。お嬢様のお身体の全てを全身で感じられるように!感触、体温、香りまで感じられるように抱き締めて下さい。はっ、そうでした。ここは冷えた身体(?)を温める為に、ぜひ素肌と素肌で体温を交換しなければ!!お嬢様っ!!』とか言って、とんでも理屈付けて執念で動かない身体で服脱いで抱き着いてくるだろう。うん、シオンなら絶対にやる。じゃあ、このシオンはなんだ?)


 微かに頭痛を覚える光景を考えてから最後に疑問を呈したアリアは、「ママ、ママの抱っこ。ママの抱っこ」と増々精神が幼くなっていくシオンを見てから、シアンに疑いの眼差しを向けた。

 アリアに睨まれたり、胡乱な眼差しを向けられたりしているシアンは、それらを一切意に介さずに、ようやく得意顔でアリアが望む答えを口にした。


 「うふふ。私の開発したアリアちゃんリラックス剤、どうですか!」


 ニコリと笑ってアリアに顔を向けた後、シオンにチラリと視線を落としてから再び口を開いていった。


 「最初は全身に痺れを、それでアリアちゃんの気を引いた後に、母性体験が出来る幼児退行効果の二段構えの自信作です。あはっ!そうして私を見つめるという事はお気に召して頂けたようですね。頑張って一昨日から寝ずに作った甲斐があるというものですよ!」


 そうして意気揚々と語り終えると、またもナース服から一本の細い注射器を取り出し、それを躊躇いなく、ピカピカグラスのテクノに投げつけた。それは寸分の狂いもなくテクノの首元に刺さり、どういう原理か、シリンジ内の紫色の薬が勝手にテクノに注入されていった。

 刺さった瞬間、見えにくくないのかと問い掛けたいパリピグラスのまま、多分真面目に何かの紙束に目を通していたテクノが「オウ!?」と驚きを漏らした。

 そして、怪しい薬パート2が全てテクノに注入され終わると、一瞬の沈黙の後、ガタっと椅子から立ち上がり、


 「オウ!オウ!ボックちゃんなんだかとっても走りたい気分になってきたネッ!気分は草原を自分勝手に駆け巡る馬の如しだヨ!!」


 との謎セリフを残して、恐らく医務室から勢いよくと飛び出していった。


 そうしてしばらくすると、外から「ボクちゃんの天職を見つけたヨ!!ヒャッポー!!」との聞き覚えるある声がしんと静まり返ったように感じられる室内に聞こえてきた。


 「うふ、うふふ。転職からの天職、気分は最高の競走馬。もう誰も熱く滾る狂走のパトスを止められねぇぜ、剤の効き目は十分ね。結果をメモっておかなきゃ」


 シアンは忙しそうにメモを取り出すと、満足気に結果を書き込んでいった。その最中に、シアンが「やっぱり、ドクターで治験するとなんでこんなにも楽しいのかしら」と恍惚とした艶やかな笑みで零していた。

 アリアはその思わず零れた発言と、妖艶に彩られた笑顔を湛える真性のマッドサイエンティストを見聞きした後、空になった椅子に、壁際で頭を抱えて「師事する先間違えていないかしら」と苦悩する女医さんを見遣ってから、前のアリアがここに来ることを本気で拒んだ理由を明確に理解した気がした。


 (アリアお嬢様、お子様扱いしてごめんな。俺も鍵かけて部屋に引きこもりたいわ)


 内心でそう零し、頭を振ってイヤイヤする幼児退行中のシオンをあやしながら、煤けて見える主なき椅子を見つめていった。

 隣から聞こえる「今度はどんな素晴らしいお薬を作ろうかしら」との絶対に劇薬作りの構想に取り掛かるシアンを、視界に入れないようにして。




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