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第58話:一生懸命

 しばらく抱き締められたアリアは、ようやく満足がいったローズに解放された。

 地面にようやく1人で立てたアリアが、ホッと一息吐き、先程の続きを語ろうとした瞬間、いつの間にか敗北の絶望から復活していたシオンがアリアに向かって飛び掛かってきた。


 「敗北なんてどうでもいい!!今は、お嬢様成分をこの胸に!!」


 変な事を叫び、急に飛び掛かってきたシオンにびっくりしたアリアが、思わず横に避ける。すると、シオンが間一髪、本当に目と鼻の先、数センチの距離を通過していった。


 「なっ!?いつの間にその様な身のこなしを!?」


 驚愕に見開かれた目で、アリアを見ながら、シオンがそう零した。

 アリアに躱された後、シオンは態勢を整えながら、華麗に着地した。


 「・・・」


 アリアはその無駄に決まった様を、呆れた表情で冷ややかに見つめた。

 そして、目の前の駄メイドにもう一度飛び掛かられる前に、冷静な声で叱りつける様に言葉を掛けた。


 「シオン、わたくしは貴女が無事帰って来てくれた事には、安堵しましたよ。ですが、今はまだ気を緩めるべき場面ではありませんよね。それはローズもです。今わたくし達が行うべき重要な事は、シオン達が保護した女性達の対応です。2人とも、先程の様に緊張感を以って、事に当たりなさい」


 アリアに静かな怒りの籠る声音で怒られた2人は、シュンと項垂れ素直に『はい』と頷いた。

 2人を叱り終えたアリアは、大の大人2人を背後に引き連れて、保護した女性達の下まで向かっていった。

 遠くから見ていたので、そこまでの現状が思う様に理解できていなかったアリアの目に、本当に酷い姿の女性達の姿が映った。


 (これが現実なんだ)


 悲惨な姿に動揺を心の内で語った。

 しかし、動揺は内心のみで、表情には一切それを表さずに女性達に顔を向けた。

 内心の動揺が彼女達に伝わらないよう慎重に意識し、毅然とした態度で彼女達に向かい語り掛けていった。


 「わたくしはアリア=チェイサーと申します。チェイサー家、現当主の娘でございます。今宵からの身の安全は私達一同、責任を以って保障致します。どうか、心安らぐまでこちらでお過ごしください」


 アリアは言葉を締めくくると、深く心から彼女達の尊厳が救われるように頭を下げた。

 十秒ほど頭を下げた後、ゆっくりと頭を上げていった。

 そして、彼女達が安心できるように微笑みを向けた後、彼女達の傍に控えているメイドの3人と、いつの間にかその後ろにひっそりと立っていたスイに声を掛けた。


 「彼女達の為のお部屋の準備をお願いします。それと、湯の準備も忘れずにお願いします」


 そう声を掛けて、保護した女性達に顔を向けた。

 未だ恐怖に囚われ続けている彼女達は、アリアの話が届いていない様子で、身体を震わせ身を寄せ合っていた。

 それを確認したアリアは先程の指示を訂正した。


 「彼女達に大部屋の準備をお願いします。それと、少しでも気が紛れるようにお湯の準備を速めて下さい。後、ダニエルに温かな食事の準備を進めるようにもお願いしてください」


 「畏まりました、お嬢様」


 スイが恭しく答えて、見習いメイド達に役割を伝えていった。

 スイからの指示を聞いた見習いメイドの3人は、短く『畏まりました』と述べ頭を下げると、各々が自身の役割を果たす為に、屋敷へと走り去っていった。

 それを見届けると、気を張った状態を維持しつつ、スイに小声で残りの指示を伝えた。


 「スイ、このことをフウお姉ちゃんとセツお姉ちゃんに見られないように注意して下さい。それと、しばらくの間、保護した女性達に監視を付けて下さい。決して目を離さず、1人にしないよう最大限の注意を心掛けて下さい」


 「畏まりました、アリアお嬢様。それでは、今しがたの指示と少々の野暮用を済ませに参りますので、ここで失礼させて頂きます」


 スイは深々と頭を下げると、アリアの指示と今夜中に済ませなければならない仕事の為に、屋敷に駆けていった。

 その背中に、アリアの心からの声が届けられた。


 「お帰りなさい、スイ」


 その一言を聞いたスイは、一度屋敷に向かう足を止め背後を振り返ると、サッと、けれども、深々と敬意を込めて首を垂れた。頭を上げたスイは、足取りを先程よりも軽く、屋敷へと向かって行った。

 アリアはスイを見送り、場を見回す。自分とシオンとローズ、それから保護された女性達が残る状況を確認できた。

 しかし、先程まであった2台の馬車はアリアの知らぬ間に、走り去っていた。

 御者をしているらしいタスキにも一言掛けようと考えていたアリアは、ぽっかりと空いた馬車の停車していた空間をほんの数秒間見つめた。そして、一応無事に帰って来ているのだから、その内会った時に“お帰り”と伝えようと心に留めた。

 アリアは気持ちをタスキから切り替えると、目の前の現実に目を向けた。


 (ええと、素人ながらに考えた指示を出したけど、これから、どうすればいいんだ)


 残された女性達を見据えて、そう不安を心の中で零した。

 アリアの見つめる先では、未だ保護された女性達が恐怖に怯えた様子で周りを忙しなく見回していた。

 アリアの心がその痛ましさに締め付けられる。しかし、だからこそと、自分を叱責した。


 (顔に出すなよ!今は不安な彼女達に、安心を与えられることを意識するんだ!)


 よしっと、自分がやらなければと強い覚悟を抱くと、アリアは不安が表に出ないように毅然とした態度で、彼女達の前に立った。

 はっきりとした言葉で、彼女達に声を高く上げて、今度こそ伝われと口を開いた。


 「どうか、わたくし達を信頼してください。わたくし達は、何があろうと皆様を信頼しますし、どんな災いからも皆様をお守りいたします。どうか、わたくし達に心を開いては頂けませんか」


 そう大きな声で訴えて、アリアは深く頭を下げた。

 数秒間、頭を下げた後、再び頭を上げて彼女達をその目でしっかりと見た。

 彼女達がアリアとローズの方に視線を向けてくれている姿を見ることができた。

 だが、囚われていた彼女達の目には、信じる事への疑いが色濃く残っていた。

 アリアは、背後を振り返り、彼女達を保護した時の状況をシオンに訊ねた。


 「シオン、どの様な状況で彼女達を保護したのですか」


 「はい、お嬢様。その・・・」


 シオンは言い淀む。本当にアリアの先ほどの言葉を信じて、薄汚れた世界を話しても良いものか、逡巡する。

 ちらりと愛しの傅くべき己の主を見る。

 純真な穢れなき、あどけない姿のアリアがその目に映った。

 やはり、汚れた世界など知らなくて良いと、アリアに答えずに、ローズと2人で彼女達の世話をしようと心に決めた。

 シオンが苦悩で歪んだ表情で、後は私達が、と伝えようと口を開いた。

 その瞬間、シオンが言葉を紡ぐより先に何かを察したアリアが言葉を発した。


 「ありがとう、シオン。わたくしの為に苦心してくれたのですね」


 ニコリと笑みを浮かべた。


 「大丈夫です、シオン。わたくしは知っていますよ、そういう許し難い世界があることを。だから、お願い!彼女達の事をわたくしに教えて下さい!」


 そう訴えた後、真剣な眼差しでシオンの顔をじっと見つめた。


 (ああ、俺は知っているとも。前の男の時に、ネットのニュースとかで見たからな。人間の倫理が荒廃した悲惨な世界を。そう、戦争、災害、貧困、虐め、それに権力者の道楽で徒に弱者が消費される最悪な現実を俺は唯見てきた)


 心の中で、回顧した記憶を悔しく零した後、アリアは一度目を閉じて、そして、勢いよく目を開いた。


 (だからこその今、公爵家の一人娘として転生した俺の、前の男の時には持ち得なかった最上級の権力で、見える範囲だけでも悲惨を食い止め、救える人を救っていきたいんだ。たとえ、主人公でなくても)


 もうそこには、悪夢に怯えていたアリアの姿はなかった。

 立派な主人公然とした憎まれ役の悪役のご令嬢、アリアがいた。

 アリアの力強い意志をその瞳に見たシオンは、一瞬だけ躊躇ったが、すぐに誇らしげな笑みを浮かべた。そして、一度頭を下げてから、謝意を述べた。


 「申し訳ございません。シオンがお嬢様の心意を見誤っていました」


 あどけなく未だ純真な少女だが、既にその身には貴族足り得る風格が宿っていると感じられた。シオンは見誤った己の慧眼を恥じた。だからこそ、己の恥を笑い、アリアの高貴な精神を誇る笑みと、愚かなる自身の謝罪を送ったのであった。

 それから、頭を上げたシオンは笑みをそのまま、恭しく敬意を示しながら口を開いた。


 「はい、お嬢様。彼女達は、野盗に攫われていた所を私が保護致しました」


 述べ終えると、シオンは再び、深く敬服の念を表した礼をアリアに捧げた。

 シオンの言葉と礼を受け取ったアリアは、シオンから顔を保護した女性達に向けた。

 目にありありと映る怯えに対し、アリアは毅然とした眼差しを向けた。そして、そのまま堂々とした足取りで女性達に近づいていった。

 そうして、女性達の前に着くと、自分に言い聞かせた。


 (動揺は見せるな。堂々と頼りがいのあるお嬢様像で彼女達の前に立つんだ)


 心の中で今一度覚悟の発破を掛けたアリアは、一度背後を振り返り、シオンを流して、ローズを見た。

 再び前を向くと、背筋を伸ばし、顔を彼女達に固定し、大きく口を開けて、はっきりと今できる最大の誰にでも通る声で言葉を発した。


 (これが!俺が今、最も頼れる言葉だ!)


 「あたいに全てを任せな!!」


 それを聞いたシオンとローズが凍り付いた。特にシオンは驚愕に目を見開いていた。

 アリアは続けて、言葉を発した。


 「あたいのシマに入ったアンタらはもう、誰にも奪わせはしないぜ!!」


 更に凍り付くシオンとローズ。シオンの中から、可憐に微笑むアリアの像が崩れていく。

 アリアはまだまだ続ける。


 「強制はしない。あたいに全てを預けられるモンはあたいの背に付いて来な!!それ以外は、このシマで落ち着いた頃に、ジジイに言い付けて、近くの警察まで送ってやるよ。そこで保護してもらいな。何、見捨てるって訳じゃない。あたいらは、その後も全力の支援を続けて、折角の晴れた空の下、お天道様に照らされた生きる道を作ってやるよ!」


 シオンとローズが互いに指さし合っていた。シオンの脳裏ではもう、今日のグリムと共に見て回った店にあった喧嘩上等との特攻服を羽織って不敵に笑むアリアの姿が浮かんでいた。

 アリアは更にまだまだ続ける。


 「さぁ、まずはあたいからの餞別だ!!風呂の準備は済んでる。身綺麗にして、温かい食事を取りな。そして、一晩も二晩も、それ以上かけても構わない。自分の身の振り方を考えて、しっかり決めな!!」


 ニッと歯を誇らしく見せると、最後の締めを語った。


 「そんじゃ、風呂に行くか!!さっぱりして行こうぜ!!」


 さっと踵を返し、屋敷に向かって歩いていった。

 シオンとローズが狼狽えながらも、アリアに付いていった。

 その3人の背に、『はい、お嬢』と小さめに声が掛けられた。声は小さいが、己が意識が強く籠った返事であった。






 途中でシオンがアリアの着替えを取りに離脱する中、アリア達一行は何事もなく女湯に到着した。

 そして、早速服を豪快に脱ぎ去ったアリアは、肩にタオルを掛けて、本日何度目かになる大浴場への扉を潜った。

 言葉は要らねぇ、背中で語って引き連れると行動で体現したアリアは、彼女達が付いて来てくれることを信じて、大浴場へと踏み入ったのであった。

 その勢いのまま、洗い場に到着したアリアは、桶に溜めた冷や水を一気に身体に掛けて、根性を入れると、背後を振り返った。

 唖然としたローズと、そのローズを恨みがましくジト目で見ているシオンが最初に映った。

 いつの間にかアリア達に合流していたシオンがローズに、一体お嬢様に何を教えたんだと、責める眼差しを向けていた。ローズがそれに首を振って何も教えてないと必死に弁解している姿を確認し終えた後、アリアはいよいよ、ヘッドロックを決めているシオンから視線を横にずらした。

 そして、見た。シオン達が保護した女性達を。

 身に纏っていた汚れた衣服とは違い、掠り傷が微かに浮かぶだけの綺麗な裸体であった。

 それだけがあるだけで、どこも酷い怪我も穢れもない美しい裸体であった。

 アリアは視線を上げて、彼女達の顔を見た。

 怯えが薄れ、安心感が浮かびつつある彼女達が自分を見ていることを確認出来て、ホッと胸を撫で下ろした。

 安心できたアリアは、彼女達の下に向かい、先程までの荒々しさとは打って変わって丁寧な言葉づかいを意識した声で言葉を紡いだ。


 「皆様、ここがわたくし達のお風呂となります。どうぞ、心安らぐまでお寛ぎ下さい」


 そう言葉を紡いだアリアは、彼女達一人一人に心を込めて浴場内を案内していった。




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